加納忠幸のワイン飲もうよ 2004年にスタートしたワイン造り
念願の「蔵出し」を終えて。

(2012.02.24)

「桔梗ヶ原」の印象。

2004年8月28日、前日の8月27日に甲府で開催された第2回国産ワインコンクールの公開テイスティングに出席して、今まで知らなかった全国各地の国産ワインを知って日本ワインに新たな可能性を感じていた私は石和温泉で一夜を明かした後、中央高速の甲斐一宮のバス停で仲間の乗ったマイクロバスが到着するのを待っていました。

というのも、メルシャンさんのご好意で、ワイン造りを最初から最後まで体験させてくださるプロジェクトの最初のイベント、桔梗が原の葡萄生育状況視察が行われることになっていたこの日、新宿集合で出発したマイクロバスに、このバス停で拾ってもらうことになっていたのです。

それにしても今から思えばなんとも奇遇、私が日本ワインに本気で取り組もうと思った翌日にこのようなイベントが開催されたのには、なんとも運命的なものを感じざるを得ません。

さて、この日の目的は葡萄の生育状況の視察。長野県塩尻市桔梗ヶ原のぶどう畑を回ります。この日の様子は生育状況視察に写真日記の形でアップしています。

私がこの日一番印象的だったのは実は桔梗ヶ原という地名と実際の場所とのギャップ。

長野県にある「桔梗ヶ原」という地名から想像していたのは、「美ヶ原」と同じような高原地帯に桔梗の群落があり一面に桔梗の花が咲いているイメージ。

ところが実際に行ってみると「桔梗ヶ原」というのはJR塩尻駅から直線距離で1kmも離れていない場所で、以前はこの一帯がそのように呼ばれていたのかもしれませんが現在は甲州街道(国道20号)に続く国道19号線の交差点の名前でしかなかったのです。

「桔梗ヶ原」交差点の周りはかなりの比率でぶどう畑になっており、それはgoogleの地図でも良くわかります。

東京方面から来て桔梗ヶ原交差点を右折すると、ちょっと言ったすぐ右側にメルシャン前と言うバス停が。ここはメルシャンの醸造所がかつてあった場所で、現在は試験農場になっています。そしてすぐその先左には井筒ワイン、その先すぐ右には五一ワインがあり、この桔梗ヶ原が長野県におけるワインづくりの中心地であることがわかります。


国道19号線の「桔梗ヶ原」交差点

メルシャン前というバス停
ワイン作りの第一歩は、選果。

さてワインづくりの話を続けます。一番のメインイベントはぶどうの収穫と仕込み。それは10月2日に行われました。

収穫は朝一からしなければならないので、前日塩尻入りをしてホテルに一泊、翌朝ぶどう畑へ向かいます。その時の様子の写真日記はこちら

そしてなんといっても力が入った仕込み。その中でも特に気合が入ったのは選果です。

除梗機(じょこうき)によって梗からはずされた葡萄の粒がゆっくり飛べるルトコンベアーの上をう動いてくるのですが、この中から色が悪い粒や、取りきれなかった梗などを取り除いていきます。

その時のみんなの目の厳しかったこと。場合によってはベルトコンベアーを止めてまで仕込みにふさわしくないものを取り除いていきます。

このときばかりはメルシャンのスタッフも出来上がるワインの量が減ってしまうのではないかというように心配そうな目でこの作業を眺めていました。おそらく、メルシャンの選果よりもはるかに厳しい基準で選果作業をしていたのでしょう。

そしてこの葡萄の粒は破砕され、発酵用の開放桶へポンプで送られます。

桶の中に入った果汁の中には、赤ワインなので皮や種ごと桶に入っています。これにお湯で少しふやかした酵母を振り掛けて仕込みは終わり。


ブドウを一粒一粒選果する。

これが桶の中に入った果汁。
ルモンタージュと澱引き。

つぎの作業は発酵を助ける作業。具体的には発酵桶の上に固まった皮や種のかたまり(果帽)をその下の発酵中のワインと混ぜる作業です。この作業をする目的は
1.皮の色素と タンニンをスムーズに抽出するため。
2.雑菌を増殖させない。
等とのこと。

一つは櫂突き。日本酒でも行われている作業ですが、風呂の掻き混ぜ棒のようなもので、発酵桶の上の果帽を下の発酵中のワインの中に押し込んで混ぜる方法(ピジャージュ)。

もう一つは桶の下の蛇口から発酵中のワインから取り出して、ポンプアップして果帽の上から降りかけるもの(ルモンタージュ)。今回はこちらの方法です。

これは毎日行わなければならないので、参加者が当番の日を決めて勝沼まで行って毎日交代で作業に当たります。私が行ったのは10月8日、仕込から6日目です。

桶の下からワインを抜いて、果帽の上から満遍なく降りかけます。この作業が1日に数回。

このルモンタージュ作業を体験すると、ワインを作っているんだと言う実感がわいてきます。

その後、澱引きを2回。澱引き1、2005年3月26日澱引き22005年11月13日を経て清澄へ。

ワインの中に混じっている不純物を卵の白身を使って取り除く作業です。その卵がただの卵でない。メルシャンでは特別な地鶏の卵を使っていました。その卵は塩山にある黒富士農場の直売所まで買出しに行きます。

この卵が美味しいこと。このイベントの後、私は勝沼へ行った時、時間があれば必ずここに寄って卵を買って帰るようになりました。

(左) 桶の下からワインを抜きます。
(右) このように果帽の上から満遍なく降りかけます。

(左) ルモンタージュ作業をしているところ。
(右) 黒富士農場の直売所

瓶詰め、コルクに焼印を押してワインが完成。

最初に塩尻の畑へ行ってから約2年半後、いよいよ瓶詰めの日が訪れました。それは2006年3月11日。まず、コルクに私達のグループの特別な焼印を押します。

瓶詰めの作業は企業秘密で写真を撮ることができなかったので、写真はありません。

私達が造ったワインは約樽5本分でしたが私達の権利があるのはそのうち1本分。樽1本で、750ml瓶、276本、1500ml瓶6本の瓶詰めをすることができました。樽1本は225lですので、合計216リットルは大変効率の良い数字。

収穫・仕込みから7年、瓶詰めから5年半後の2011年11月9日、ようやくそのワインの蔵出しをする機会が訪れました。

その間に当時のメルシャンの関係者で残っている人が一人になってしまい、メルシャンがキリンビールの傘下になってしまいと状況が激変してしまって、果たしてあのワインは私のところに本当に来るのかと思っていたとき、いよいよ蔵出しができると言う朗報が届いたのです。

そこで蔵出しのための準備が始まりました。まず、このプロジェクトに関係した人たちが何本のワインを受け取れるか決めること。

このプロジェクトはフル参加の人もいれば、ほんの数回参加しただけの人もいます。

そこでできたのがExcelの表。それまでに行われたイベントそれぞれにポイントをつけ、どのイベントに参加していたかを記入していくと、自分の取り分のワインの本数がわかるというもの。フル参加でも上限5本となっています。

私の場合、出来上がったワインの樽詰め作業に参加しないだけでほとんどフル参加なので7本の権利はありますが、上限の5本。更に夫婦で参加したので10本の取り分となりました。

蔵出し当日も参加者を募り、それもポイントに加算されます。10:00頃勝沼のシャトー・メルシャンに到着、ジェネラルマネージャーの斉藤さんとチーフワインメーカーの味村さんのお話を聞きいよいよ作業に取り掛かります。

(左) コルクに私達のグループの特別な焼印を押す。
(右) こちらが先ほど焼印を押したコルク栓をしたワイン。


これが私が提出したExcelの表
ラベルを貼って出荷。プロジェクトが完了。

一般に売られているワインの裏ラベルに記載されている品名(果実酒)、容量、アルコール度数、添加物、製造者名等です。実際の作業は蔵出しのページに。パレットに載っているワインのコルクには私達のワインの証明である焼印が。

庫出しではシールを張った後、ボトルに通しナンバーを書きました。実際には 276本の750mlボトルを詰めましたが、試飲その他で少し減ってこの日残っていたのは235本。

数字の若い100本ほどは今後のイベント用に保存し、残りを参加者個々の申告に従って配分します。この時参加できなかったメンバーには宅急便着払いで宅配。とにかく割れずにそれぞれの方に届いて欲しいという願いがかない、破損が一切なくメンバーのもとに届けることができました。

作業は昼過ぎに終わり、勝沼ぶどう郷駅の近くに新しくできたレストラン、『パパソロッテ』で、食事をしながら試飲。そして保存用のワインを、JRが使わなくなたトンネルを利用してつくられたトンネルカーブにこのように保管してこの日の全作業を終了。

それにしても2004年から2011年の長きにわたり、このプロジェクトを実現してくださったメルシャンの皆様、ありがとうございました。私と妻の取り分合計10本は、1年に1本ずつ味わいを確かめながら飲んでいきたいと思います。

(左) 蔵出しに必要な作業は法的に必要なラベルを貼ること。
(右) レストラン『パパソロッテ』で、食事をしながら試飲。

(左) JRが使わなくなったトンネルを利用してつくられたカーブ。
(右) トンネルカーブに保管されるワイン。