向後千里のArt Life 懐かしさと新しさの日比野克彦『ひとはなぜ絵を描くのか』展。

(2010.12.01)

先日久しぶりに秋葉原まで足をのばした。
行き先は廃校となった中学校をギャラリーに生まれ変わらせたアートスペース。目指したのは4時まで行われるというデモンストレーションを一目見ること。急ぎ足で近くまで行った時、ふと空を見上げたら、その人がまさに絵を描いていた。小学校の壁にかかげたキャンバスにクレーンに乗って大きな絵を描いている。思わず声を掛けそうになったが、いつになく緊張感の漂う雰囲気に思いとどまった。よく見ると校庭ではカップルや家族連れ、お年寄りと様々な人々が、描き上がっていくその絵を大切そうに見守りながら、のんびりと休日の日向を楽しんでいた。
いい空気、いい風景である。

さて、建物の中へ。天井をぶち抜いて高く、白く塗られたギャラリーの壁に段ボールアートが掲げてあった。近年精力的に活動を繰り広げている朝顔のワークショップがクローズアップされる度に、段ボールアートに思いめぐらしていたのは、恐らく私だけではないだろうと思う。懐かしい作品群も久しぶりに展示されると聞いて実はうずうずしていたのである。80年代に颯爽とアート史に登場した日比野克彦は本当に眩しい存在だった。そして30年近くの時を経た今も少しも古びた様子もなく、楽しげな絵が何枚も贅沢に飾ってあった。サッカーゲームやボートを漕ぐ人、ボウリングのピン……etc。

日比野さんと話していたら、近所の方がすごいですねと日比野さんに話しかけてきた。「もっと早く気がつけばよかった。で、誰が描いたの?」と。思わずプッーと噴き出した。「僕です」。笑いの渦がそこにできた。確実に街に溶け込んでいる。

そして、『ひとはなぜ絵を描くのか』である。
パリのホテルの一室で、とある事情で缶詰になって描いたという絵が20枚。
その時の心情がテキスト化され、絵と重なる。
テキストの雰囲気と異なり、絵は思いのほかさわやか。

実はこのお題、友人達とお酒を飲みながらよく語るテーマである。
ラスコーの洞窟の壁画はなぜ描かれたのか?
神妙な顔で、大抵私が口火を切る。
「きっと、狩りの様子を描きとめたのだ。その必然が描いた人にはあったはずだ」と。
友人の画家は無言。

別のキュレーターの友人は、「珍しい動物だから狩りの様子を伝えたかったのと描きたかったのと両方」と冷静に言う…etc。
そして再び、私「食べるために描いたのだ」爆笑である。
なぜ、人は描くのだろう。永遠の謎である。
日本には工芸もファインアートも、その境界はなかった。
そして、アートという言葉が出現する前から人は描いている。
私には、その答えの一つがこの展覧会にもあったように感じた。

 

 
日比野克彦 ひとはなぜ絵を描くのか

会期:2010年10月30日~12月13日(月)
場所:3331 arts chiyoda
2:00-19:00、金・土曜日のみ20:00まで(最終入場は終了の30分前まで)
火休