Creators 木村伊兵衛賞受賞、下薗詠子。
『きずな』は、13年間の成長の証し。

(2011.04.22)

■下薗詠子プロフィール
1979年鹿児島県いちき串木野生まれ。九州ビジュアルアーツ専門学校写真学科で写真を学ぶ。その後、東京でカメラマンとして活動をスタート。ミュージシャン、アスリートの写真を手がける。’98年から2010年まで足かけ13年間撮りためたポートレートをまとめて応募した『ビジュアルアーツフォトアワード2010』で大賞受賞。『きずな』として青幻社から発売され、第36回木村伊兵衛写真賞に選ばれた。休みの日は家中の窓を全開にして湯船につかり仲間とウィスキーをストレートで楽しむ。

下薗詠子オフィシャルサイト 
http://eiko-shimozono.com/

第36回木村伊兵衛賞受賞 『きずな』について、
そしてこれからについて。  

故木村伊兵衛の功績を記念し創設され「写真の芥川賞」といわれる木村伊兵衛写真賞。その第36回目の受賞者が先日発表されました。審査委員の写真家・森山大道をして「意味とも美感とも無縁な<異界>そのものである。」といわしめた下薗詠子さんの写真集『きずな』。ページを繰るごとに見ているものの心が疼くような鮮烈な肖像の数々が続き、空を見上げる笑顔の女性で終わります。なんとも表現しがたいグルーヴ、ラストには救われたようなカタルシスさえ感じさせる作品集です。下薗さんに『きずな』について、そしてこれからについてのお話をうかがいました。    



 
 

『きずな』で氣と氣を繋ぐ、傷(きず)を繋ぐ。

ー『きずな』について教えてください。ひとことで言うとどんな作品ですか?  

『きずな』は写真をはじめた学生のころから2010年までの13年間に撮ったポートレートを2009年に個展で発表する時につけたタイトルです。『きずな』という言葉には「絆」には、人と人を繋ぐつながり、結びつくという意味があります。私にとって写真を撮るということは人と人を繋ぐことであると同時に、氣と氣を繋ぐ、傷(きず)を繋ぐことでもあったからです。  また「きずな」とひらがなで書いたとき、この言葉の持つ美しさ、しなやかさに氣づきます。ゆくゆくは海外でも活動したいので、その時にアピールできる日本語(ひらがな)独自の美しい響きのある言葉だと直感しました。  

『きずな』というテーマが最初からあって、それに合わせて作品撮りをしたというわけではないのです。『きずな』はひとことでいうと、私にとって「魂の借金を返す。魂の罪、汚れを0(ゼロ)に戻す」ということなんですけど……。

写真をはじめたのは高校卒業後です。将来どうするのか考えた時に、興味のあったアートの世界で何かやりたいと思いました。集団生活が苦手だったのでひとりの世界でできる何か。高校時代はアート関連の書籍を読むためによく市立図書館に通ってました。そこでアンディ・ウォーホールのシルクスクリーンに魅せられました。図書館には彼のアート・スタジオ「ファクトリー」の写真集があって、その写真がとってもカッコよかった。そこで写真の専門学校へ行くことに決めました。学校入学をきっかけに撮りはじめ、徐々に写真に対する自分の温度が上がり、真剣に向き合っているうちに本氣になっていった感じです。
 
’09年、東京『トーテムポール・ギャラリー』での個展『絆の肖像』で発表した作品を中心に『ビジュアルアーツフォトアワード2010』に応募しました。大賞に入選、写真集『きずな』として出版されました。それが今回の木村伊兵衛写真大賞の受賞となりました。  

街で会ったコから市来串木野の親族まで。

ー『きずな』には全95点のポートレートがおさめられています。ご出身土地である鹿児島県市来串木野(現・いちき串木野)がタイトルになっている作品が6点と多い。またそのタイトルの作品に、同じと思われる人物がモデルとして繰り返し登場します。これらの人物は下薗さんのご家族でしょうか? また表紙になっている血を予感させる色の写真も印象的です。『きずな』は血の繋がり、血縁が大きなテーマでしょうか?  
 
たしかに『きずな』には祖母や従兄弟、兄弟といった血の絆のある血縁が多くモデルとして登場しますがテーマではありません。’98年に写真を撮りはじめたばかりの頃のモデルのほとんどは街で声をかけたコたちです。「あ! あのコ、カワイイなー。」と思ったら声をかけて撮らせてもらっていました。でもだんだん人の表面的なところじゃない、もっと面白いものを撮りたいと思うようになった。それとともに街で声をかける人を選ぶ目が肥えてきて、ピンと来る人となかなか出会わなくなりました。人の心の深いところを見るようになっていったからでしょうね。  

そういったときに、それまで肯定的にとらえることが難しかった自分のルーツや血縁、親族と向き合うようになり、モデルとして登場してもらうことが多くなりました。第1章「鹿児島 市来串木野 | 012 」のモデルは従姉妹と祖母です、その祖母は2009年に他界しその時の様子は第2章「9から0になる | 087 」に収めました。従姉妹はその後結婚して妊娠しますが、その姿は第3章の「血筋の絆 / 手と手をとってつながる世界 | 094 」で見ることができます。  

表紙になっている真っ赤な写真「東京 池袋 | 026 」は池袋のラブホテルで撮ったもの。ある夜の池袋で泊まるところがなくて友達とラブホテルに行きました。ベッドに寝っ転がていると、そこに鏡があって、そこに映ったものを撮影しました。ちょっと子宮から出てきてこんばんは、といった感じのイメージ。’04年の作品で、時期的には自分がいちばん常軌を逸していた頃です。死への願望が強い時代でした。

 
 

撮影したいと思う人=モデルは自分の鏡。

ーご親族はじめモデルさんたちは、スキンヘッドで富士山で踊る女性だったり、サドゥー(インドの修行者)のような若者など、個性的なたたずまいの人たちが多い。また、ほどんとデッドパン(無表情)な人物、写真用スマイルとは180度ちがう媚びない表情の人物が多いことが印象的です。圧倒的なライブ感、存在感を感じさせます。  
 
モデル、つまり自分が撮影したい人物、は自分の鏡であって、私は自分の鏡を撮り続けているのだ、という意識は常にあります。アーティストやフォトジェニックな人を撮るのが好きです。  

『きずな』の最初の見開きタイトルバックにもなっている「真冬の富士山 | 091」、富士山で踊る「異界と霊界の境目がなくなる | 090」のモデルは親しい友人でダンサーです。「私の中の天使と悪魔  | 044 」「0からはじめる | 086」は5年の時を隔てていますが私自身がモデルです。「神様に愛されている者 | 088」の山伏は、私の精神修行の場である奈良県蛇之倉の山伏です。  

「私の中の天使と悪魔 | 044」の頃から、普通は目に見えないものが見えてくるようになりました。その人の現在より前の姿だったり、霊と呼ばれるものだったり。そういう世界と神さま、よきものの世界を統合するためというか、精神強化のために蛇之倉によく修行に行きます。修行の間は普段の生活をすることで、普段は忘れている何かを自然に気づかせてもらってます。そして祈り、内観します。そうすることによりだんだん自分が深くなって、氣を読めるようになってきます。
 
氣を読む、というのは常日頃から意識していることです。今、こうやって質問をしているこの人は、何のためにこんなことを聞いているのか、いったい何を考えているのか、どこに行きたがっているのか? なんでこの人の魂は「今」というこの時に、このような姿で統合されているんだろう? そういうことは常に考えています。だから私が写真を撮るその一瞬には、その人物の深いところだったり、逆に一番ヌケているところが出てくるのだと思います。   

 
 

「光の闇」から「闇の光」へ。そして「光と闇」。  

ー『きずな』は3章構成になっています。第1章の『光の闇』では「福岡 天神」「東京 中野」など場所の名称がタイトルになっている。第2章『闇の光』からは「物腰の柔らかい男の狂気」「実家の建設会社で働く事務員さんの息子(長男)の元元元彼女」など長く、詩的なタイトルになっています。第3章のタイトルは『光と闇』。トータルして見ると「光」「闇」という単語の言葉遊びのようにもなっています。  

第1章は、カラー作品で、モデルを撮影した場所をタイトルにしています。写真に集中できるような最小限の情報です。第2章はモノクロ作品です。第1章のように短く物理的な言葉だけだとちょっと痛々しい、見るのが辛くなってしまう写真が多いかもしれない。そこであえてモデルの別の情報を入れてみました。辛そうな人物の写真だけどやわらかい言葉をつけてみる。ちょっとコワイ写真だけど面白い響きの言葉のタイトルをつける。そうすることによって、ああ、そういうものごとの捉え方もあるんだ、と見る人の固定観念を壊すような言葉の使い方を選びました。写真に写っている人そのものを表すダイレクトな名詞でなく、その写真が訴えてくる真剣さや面白さを伝えることができる広がりのある言葉を、天から降ろしてくる感じでつけました。シャーマンみたいに。  

辛そうな表情の人の写真が多いのは、その人物が、その心の深さを私に見せてくれるから。その深さを大切にしたいし、あまり進んでは見たくないかもしれないけど、そういうこともあるよね、と人の裏側にあるものを、表にあらわにしていく感じです。  


最初はカワイイ女の子を見つけて撮影していて、その心の深いところに気づく。それが第1章『光の闇』です、’98~’04年までの作品。そのうち人間の、いやらしい部分やきれいでないところが見えてきて辛くなってしまい、写真をやめようと思ってしまった。それでもやっぱり写真が撮りたいと思って撮るのだけど、もう色彩鮮やかな世界は撮れなくなってモノクロ表現に。それが第2章の『闇の光』、’05~’06年の作品です。そんな色のない世界から美しいものを取り出そうと、もがいて、足掻いてやっと光と闇を統合できた時にカラー写真に戻る。それが第3章『光と闇』、08~’10年までの作品です。私自身と写真の成長の歴史でもあるのです。   

将来は、ジャンルを超えて『きずな』をつなげる。  

 

ー『きずな』は下薗さんの13年間の成長の記録であると同時に、モデルさんたちの人間としての成長の記録でもあるところに大きなドラマ性を感じます。写真の色調の鮮やかさや構図のインパクトも下薗さんの写真の魅力です。写真の上がりを想定して、モデルを選んだり、ロケーションを選んだりしているのでしょうか?

「こんなところでこういう風に撮りたい」と考えて状況を作り込んで撮影することはありません。カワイイと思う子に街で声をかけて、「じゃ、あっちの方、気持ちよさそうだから行ってみようか。」とか、「あ、ここ気持ちいいから、ちょっとブラジャーとってみようか。」といった感じで撮影します。どこに何があるかわからないし、氣持ちのよさそうなところを勘で選んでます。  

撮影には昔からMAMIYA6という中判カメラを使っています。ライティングは自然光、または撮影場所の電灯設備。基本的に三脚も使用せず、手持ちで撮影します。現像はフィルムに写っているものに忠実に焼き付けてしてもらうようにプロラボ『EASTWEST』にお願いしています。色の調整、トリミングはほとんどしません。思ったものが写ってない写真は、「ご縁がなかった」として切り捨てます。   

ー22日(金)から木村伊兵衛賞受賞展覧会が『コニカミノルタプラザ』でスタートします。ますます楽しみな今後の展開について教えてください。  

『きずな』をつなげる=氣と氣、人と人をつないて平和に近づいていく活動を、写真だけにこだわらず、ジャンルを超えてやっていきたいと考えています。言葉による表現など、いろんな分野の表現活動をして行きたいです、それこそオノヨーコさんのように。誰かに評価されるからやるのではなく、自分が純粋に満足できる作品、活動をしていくことが大切だと考えています。    

 

 
 

『第36会木村伊兵衛写真賞受賞作品展』
会期:2011年4月22日(金)~5月2日(月)
会場:コニカミノルタプラザ
東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
Tel.03-3225-5001
10:30~19:00(最終日は15:00まで)
無休(但し、特別休館日あり)
入場料無料
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2011april/gallery_c_110422.html