北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 6 -   追悼 忌野清志郎そして、ヒッコリーのパンツ。

(2009.05.07)

ロックンロールがそこにあった。
ぼくにとっての大事なロックンロールが。
そしてとても悲しいことだけれども、ロックンロールは、もうゴキゲンなビートと、シャウトは、ぼくの耳に届くことはなくなってしまった。

ロックンロールは死んでしまった。
ロックンロールは死んでしまった。

 

中学2年生の時、ぼくは『popeye(ポパイ)』と、もうひとつ大きなカルチャーの洗礼を受けることになった。

KISS

だった。(この文字はワープロやら何やらではちょっと面倒なことかもしれないが、手書きなら3秒もあれば描けるのだ)
それまではビートルズを聴いていたのだけれども、このわかりやすいロックに、あの派手なメークと合わせて、まったくもってヤラれてしまった。ぼくが生まれて初めて行ったライブはKISSの武道館ライブで、一番安い席だったけれど、炎の熱を直に感じられて、級友の青柳君と感動して帰った記憶がある。お小遣いのほぼすべてをKISSのアルバムに……ではなくALIVEとALIVE Ⅱを買って、ライブバンドKISSのノリを日々学習したのだった。

ツェッペリンやディープ・パープル、ローリング・ストーンズやジェフ・ベックに行った友達もいたし、AC/DCやパンクを聴いていた友達もいた。女の子はベイシティローラーズとユーミンを同時に聴く子が多かったと思うが、ぼくの回りの女の子はQueen派が多かった気がする。ぼくも、KISSとビートルズ以外はQueenが好きだった。

とにかく、ぼくの耳にデトロイト・ロック・シティなロックルロールがやってきたのだ、やあやあやあ(笑)。

中学の時に”洋もの”のロックにやられたぼくだったけれども、高校に入るとメガトン級の和製ロックンロールがぼくの中で凌駕した。

RCサクセション。
級友の馬場君がぼくにひっそりと見せてくれたシングルが『STEP』だった。

それまで2人で話したのは、ニューミュージックであり、吉田拓郎と井上陽水、岡林信康、泉谷しげる(敬称略)をはじめとするフォークソングであり、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)であったのだが、 ーちなみに、2人でアルフィーのフォークグループ時代を聴きに行った気が……。— このロックはちょっと違っていた。

カッコよかったのだ。

ネットで調べると違うシングルジャケットが載っていたのだけれども、ぼくの記憶ではピンクのバックにピンクのスーツを着た忌野清志郎さんが、ツンツンのヘアで(赤かったかどうかは、わからない)ジャンプしていた。はっきり言って”ショック”だった。

これがウワサのステップ♪

と唄う、そのポップなメロディーと歌詞もさることながら、そこにあるスピリッツは、本物のロックンロールを感じさせてくれた。

生き方だと思った。

ぼくは、どうやら、この頃から、自由に憧れた気がする。自由とは、自分に自信を持ち、自分を信じ、自分をシンプルに出し、自分のカッコよさに向かってつき進む。そんな生き方をロックンロールだと思った。

煙草も、酒も、女も……(欲しかったけれど)どうでもよかった。
忌野清志郎という人物のロックした生き様がカッコよくて、カッコよくて仕方なかったのだ。
『雨あがりの夜空に』『スローバラード』『ボスしけてるぜ』『気持ちE』……

飛び切りイカしたロックをぼくらは与えてもらった。

12月24日。高2だったか、高3だったか……。
世間ではエッチなことをしに、シティホテルが満室になり始めたころだったが……、ぼくと馬場君の童貞こぢらせた系のコンビは、武道館にいた。
照明の近くに座ったぼくの前に、次々と歌詞と照明指示の紙が投げられ、その照明さんに伺って、その紙を持って帰った。もしかしたら、実家に残っているかもしれないけれど、とにかく、そんなものでも宝物になった。

だけれど、清志郎さんはもういなくなってしまった。
一度だけ『ポパイ』で取材させていただいた。ファンも度を越すと、仕事でお目にかかってはいけない、と我れながら恥ずかしいくらに緊張した。
とても丁寧で、優しく、そして何よりも潔いスピリットを持った清志郎さんが目の前にいたのだ。

”反骨心”と人は言うけれど、本当そうなのだろうか?
なぜ、人は自分に素直に生きていけなくなってしまったのか?
なぜ、人は自分が正しいと思うことを曲げてまで生きなければならなくなったのか?

なぜ、なぜ、なぜ???

差別用語が悪いのか、差別する心が悪いのか、時々わからなくなってしまうのは、文章を書くものの悩みであるが、清志郎さんも素直にそう思ったのではないだろうか?
日本の政治なんて、結局、カネのあるやつにカネが回るようにできているんじゃないか? と素直に思ったんじゃないか?
人は”反骨”というけれど、ぼくには反骨と感じられなかった。
”自分”というエネルギーをフルに放出し、人間という人間すべてを平等に見、憎むべき悪(あく)や悪いヤツらに容赦しない。ただ、それだけではなかったのか?

理想と現実というけれど、理想がなかったら現実などいつまでも変化しない。
清志郎さんは、いつも、いつでもぼくらにパワーをくれた。
子供っぽいなんて、本当はないんじゃないか、大人は頑張って大きな子どもになればよくて、器用な大人になんかならなくてもいいって、言っていたんじゃないかな?
突っ張るパワー。
本当に大変だ。折れそうになる心を、メゲそうになる精神を、清志郎さんのロックンロールスピリットが支えてくれたし、今も支えてくれる。

気持ちEくらしをするために、本当のパワーを自分の中に貯えて、ロックするんだ。
洋服だって、言動だって、なんだって人と同じである必要なんて、何ひとつないんだ。

生き方がロックしていれば”自分という生き方””自分という生き様”を見ることができるんだ。

涙など流している暇はない。
ロックンロールし続けるのだ。

 

「愛し合ってるかい」が谺(こだま)する。
「愛し合ってるかい」が谺(こだま)する。

 

清志郎さん、ありがとうございました。
ぼくにロックンロールを教えてくれて。
清志郎さん、ありがとうございました。
ぼくに、人を思い遣る”優しさ”を教えてくれて。
清志郎さん、ありがとうございました。
ぼくがぼくとして生きる”何か”を教えてくれて。

 

尽きないし、思っていてことも書けない。

 

 

 

 

ナンバーナインのヒッコリーのパンツを写真で出したのは、今日、ナンバーナインのTシャツに、ボルドーのカーディガン、ナンバーナインのコラボジャック・パーセルに、このヒッコリーのパンツを合わせて、この原稿を書いているからです。写真と文章に何の関係もないけれども、このヒッコリーのパンツは清志郎さんにも似合う気がしたからかもしれない。                     よくわからない。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

『POPEYE』北原副編集長の手描き原稿。
忌野清志郎さんの訃報に、ペンを持つ手は留まること知らず。
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