北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 18 - 自らの手を使えば、自ずと道は拓ける。吉田の<ポーター>のポーチを買って、ちゃんとしたもの作りを考えてみた。
(2009.07.30)こしらえる、という言葉が好きだ。
漢字で書くと“拵える”。
何てことのない言葉なのだけれども、特に漢字にした時がいい。
拵える。
全体のバランスが整ったイメージがするし、“手”偏であり、旁(つくり)が“存”であるのも、何かちゃんとしている気がしてならない。
もの作りというのは、やはり“手で作る”ことが大事だと、常々思っている、手書きにこだわりたい、と思うのも、そんな思いへの現われのひとつだろう。
生前、忌野清志郎さんは、
「薄っぺらい音楽ばかりになっちまったんで、ちゃんとした音楽を作ろうと思った」
という感じのことをおっしゃった(友だちから聞いたので、だいたいのニュアンスで、こんな感じの発言と思って読んで下さい)という。
日本全体が薄っぺらになっているのだろう。特に、さまざまな“もの作り”が薄っぺらになっている気がしてならない。
みんな、ちゃんと手を使って、ものを作っているのだろうか?
手相観の日笠雅水さん(アンアンの手相のページなどで有名)は
「手を使えば、使うほど手相はよくなる」
とおっしゃっていた。自分のやるべきことを、きちんと手を使って、遂げて行けば、誰だってその行為の対価のような形で手にも新しい“しわ”ができる。その“しわ”はもちろんいい手相になる、という訳だ。
ぼくは随分と日笠さんにはお世話になり、手相を観ることも少しだけできるようになった。日笠さんに「非公式の弟子」とまでおっしゃっていただいて、とても嬉しかった。
だから思うのだけれど、“手相は占いではない”と。
自分が歩んだ道が手に現われ、道は必ず“先”につながっているのだと。
当たり前のようだけれど「今の自分があってこその“未来”なのである。」
話は十分逸れていたが、逸れたついでにいうと「みなさん、手を大切に。そして、たくさん手を使って、いろんな“もの”を作りましょう!」
さて、話は薄っぺらくなったもの作りに戻ると。
手の織りなすものはすばらしいものが多いと思っている。
工場から生まれたものであっても、ちょっと手を加えるだけでよくなると思う。レトルト食品に手を加えるだけで“家庭の味”になったり、自転車に手を加えて、カスタマイズした自分だけの自転車になったり……。
枚挙に遑(いとま)がないほどだ。
ぼくの家にどれくらいの数の<吉田カバン>のバッグがあるのだろうか? 数えたことがないけれど<コム デ ギャルソン>のバッグ(吉田カバンのネームはなくても、ギャルソンのバッグは吉田であることが多いのです)を合わせると20個とか?
吉田カバンで語るというのもありなほど、ぼくは吉田のバッグが好きだ。
ひとつひとつの“もの作り“がちゃんとしていて、そう、それはつまり“手”がかけられているからだと思う。
実際に吉田カバンのバッグはすべて日本製だし、ちゃんと職人さんが丁寧に作っている。
オーソドックスで使いやすい形のバッグも多いので、結果、何年も使うことになる。吉田にとっては商売の回転率が悪くなるから、流行のモデルを使って、バンバン売って……というのもあるかもしれないが、そこは職人気質、こだわって“いい作り”にしてしまう。だから、長く使える“もの”を作る……というステキな循環が生まれるのだ。
“いいもの”を作れば、必ず売れる。
不況といわれるご時勢では、この神話のような言葉が意味を見失いそうになるけれども、信じていい言葉なんだ、と、吉田カバンのもの作りを眺めていると、そう思えてならない。
何だかんだ言っても、
ちゃんと拵えたものは必ず評価されるのである。
一番最近買ったのは、このウエストポーチ。長財布とブラックベリーだけ入れて、手ぶらで歩いたり、自転車に乗ったり。
両手が使えるところがありがたい。
追記
<ポーター>のデザイナー、長谷川くんと桑畑くんとは、いつも一緒に飲んだくれてますが、二人とも”男義”があり、心底信じられる友だと思っています。そして二人ともステキな大人の不良どもです。