福島原発 池田香代子ブログから “嘘と真のこのくにのメルヒェン”
チェルノブイリの日に考えたこと

(2011.05.28)

3年前、チェルノブイリの日のために書いたある映画エッセイ

このエッセイ、いったんは4月26日、チェルノブイリ事故25周年の日にブログにアップしようと決めたのですが、どうも気が重くてやめてしまったもので す。2008年のチェルノブイリ事故の日にあわせて、ドイツ映画「みえない雲」が「チェルノブイリ子ども基金」によって上映された際の、パンフレットのために書きました。これを書いた時、私たちがまさかこんなに早く放射能の風にさらされることになろうとは、夢にも思いませんでした。

グードゥルーン・パウゼヴァングの原作は、映画化に先立つこと20年も前に書かれました。このヤングアダルト向けの小説は、ドイツ国内だけで150万部のベストセラーになり、政治家や知識人をふくめた大人たちにも広く読まれ、国語の教材にしたところもありました。こうした物語を若者世代を初めとした市民層が共有したことは、その後、原子力発電所のリスクについて、社会的な議論がわきおこり、深まる上でおおきな役目を果たしました。なお、主役の女子高生を演じるパウラ・カレンベルクは、チェルノブイリ事故で胎内被曝したため、心臓に穴が空き、肺が片方しかないそうです。

文中に、50キロ圏ということばが出てきます。これを今見ると、20キロ圏が問題とされるこのくにはいったい何を考えているのだろうと、暗澹としてきます。また、高校のロビーのシーンで、一瞬ピカソの「ゲルニカ」のレプリカが映ります。これは、日本の高校がたとえば重慶空襲や南京虐殺の絵をかかげるようなもので、ドイツがあの戦争を次世代に伝える姿勢の一端を垣間見る思いです。さらに言えば「ゲルニカ」は、インターネットをなさる方がたにはいまやおなじみになった、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの狭い仕事場のデスクにも、乱雑な書類の隙間に飾られています。原発と「ゲルニカ」を結ぶ何か逸話のようなものがあるのでしょうか。

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原題はただの「雲」。しかし、ただの雲ではない。事故を起こした原発の方角からやってくる、放射性物質に汚染された雲だ。映像では、パニックに陥った人びと の頭上にいまにもおおいかぶさろうとする、黒ぐろとした雨雲として描かれる。それは、真の主役はこれだったのだと、タイトルを思い出して震撼させるにじゅうぶんな迫力をもって、美しい田園のかなたから迫ってくる。それが邦題になったとき、なぜ「みえない」がついたのだろう。
 
物語の舞台 は、ドイツの田舎町。高校の授業中、突如としてサイレンが鳴り響く。ABC兵器にかかわる緊急警報だ。ABC兵器とは、核兵器、生物兵器、化学兵器のことだ。ドイツはいったいどこからABC兵器で攻撃されると怯えているのだろう。その疑問は、原作が書かれた時期を知れば氷解する。それは1987年、いまだ冷戦体制にあって、旧西ドイツ全土にはアメリカ製のミサイルが、まるでハリネズミの針のようにおびただしく配備されていた。旧東ドイツしかり。米ソの核の応酬が始まれば、まず東西ドイツが、それぞれ相手からいっせいに発射される核ミサイルによって、両大国の身代わりとして差し違え、滅亡すると、広く信じられていた。
 
そしてまた1987年は、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウンしたのち爆発し、旧西ドイツにも達する広い範囲に放射性降下物がふりそそいだ1986年の翌年だ。旧西ドイツでは、若い人びとが子どもを産まないことにするなど、パニックは深甚だった。
 
物語では、警報は核戦争の勃発ではなく、原発事故を知らせるものだった。原発事故とABC兵器攻撃の警報が同じだったということは、当時、原発事故は核攻撃と同列にとらえられていたということだ。たしかに、いったん事故が起これば、原発は即座に自国の市民を無差別に攻撃する「敵」へと変身する。
 
原作発表から20年近くあと、東西冷戦による核戦争の恐怖が去って久しい2006年に、この物語は映画化された。核ミサイルがなくなっても、それと比すべき 「内なる敵」はまだ隠然と存在し続けていると警告したかったのだろうか。いったんは原発推進から撤退へと政策の舵を切ったドイツだが、昨今の温暖化ガス問題のあおりで、その姿勢は微妙にゆれている。そうした動きへの危機感も、いまこのとき、映画作家にこの素材をとりあげる気にさせたのかも知れない。
 
原作には「ヒバクシャ」ということばが出てくる。このことばを生んだこのくにでは、いま原発はどうなっているのだろう。このくにの国土はドイツと同じぐらい、人口はおよそ1倍半、そして発電用原子炉の基数はほぼ3倍だ。映画には、何度か50キロ圏ということばが出てくる。放射性物質による汚染が考えられ、全員避難と封鎖の措置がなされた範囲だ。それは当然、風向きや地形によって厳密な円は描かないだろうが、ひとつの目安として、あなたが住んでいる場所から50キロ以内に原発サイトはないか、確かめてみてほしい。
 
このくにの原発の現状を考えるとき、映画の邦題に「みえない」がついているのは、「いまのところまだみえない」という意味に思えてくる。それは「いずれみえる」ということだと、心の奥深くでささやく声がして、わたしは秘かにうちのめされる。
(2011 年5月26日00:00)
 

(写真は、突然、強制退避命令の出た町に取り残され、自転車で逃げる姉と弟。放たれた牛たちが街中をさまよう光景が遠からず私たちのもとで現実のものとなるとは、映画を見た時には、正直なところ、想像できませんでした)

 

池田香代子ブログ