新岡淳のトラディショナル・コスチューム Thank You.

(2010.02.25)

京都、八坂神社に会社の繁栄と社員の健康、そして私の小さな望み(内緒)をお願いしてきました。

人は努力の有る無しは別にして何かの区切りに神頼みをするものです。初詣、合格祈願、病気回復に果ては故人の冥福まで。
私も例に漏れず、今年こそ、今回だけは と何とぞ何とぞ。
しかし願いの回数ほど感謝をしているのでしょうか。
私の場合、この半生を振り返れば、もう絶対にひどいバランスを示しているようです。
もちろんお願いの回数の方が圧倒的に多い。

一生のお願いを何回したことか……。

20代の前半には流れ星ひとつ見る毎に、ちいかねおんな……(失礼!)と流れる瞬間に願い続けたりもしたものです、はい。

ところがきものに携わる仕事をするようになると不思議な事に、きもの姿で、神様や仏様に詣でる時は、多分、願い事と感謝とが絶妙なバランスが執れ始めたように感じます。
いや根拠のない思い込みの可能性が高い話ですが。
そう思う理由のひとつが、今回の八坂神社でもそうだっのですが、先ず始めに、こんな良いおべべでお参りできることを神様に感謝する事からスタートすることが素直に出来ているのでそう思うのかもしれません。

それは幼い頃からのウチの習慣だったように記憶しています。
坊っちゃん刈りに、揚げの施された紋付き袴で七五三詣りに行ったとき。
田舎の婆さん(母)が横で感謝を述べろと煩く囁いた時から、今もきもの姿になると続く習慣で、最高の礼服を着た時のみならず、普段のきもので出掛けたときにも先ず感謝から始まる が当たり前になっているのです。

皆さんも同じような経験をお持ちになっていませんか?

それは神前や仏前に限らず、きもの姿の自分が他人からちょっとした気遣いを受けた時にする感謝も、洋服姿の時と違った想いを抱かれるのではないか? と振り返って見てください。
少々の事は笑って許せる気分。
私はこんな心情の変化を「きものの魔術」と呼んでいます。きものを着たときの穏やかで優しい気持ちになる自分を感じるのではないでしょうか。

感じない?
それはきっと自分できものを着てないから。

他人に着せて貰ったのは、お仕着せといって、その言葉の裏にある、嫌々ながらとか、仕方ないからがでてしまうものだから じゃないでしょうか。
いや、私はこうやって皆さんに、きものを着たら優しくなる と洗脳している訳ではないのです。私の経験と、きもの着方スクールの生徒さんからお聞きする話を基に書いているだけですから。フフフ!

感謝することを前提に動いてみると周りも大きく変わります。皆さんもクレームばっかり、自己主張ばっかりの人より感謝を口に出来るひととの付き合いの方がずっと楽しいでしょう。

あなた自身がそう思われた方が楽しい筈。

きもの というオシャレなアイテムひとつで優しい自分になれるのであれば、人生観も少しだけ変えられますよ。

何しろ、きもの姿という存在感だけで一目も二目も置かれるのですから。
いつも周りにThank Youと思える自分を演出してみて。