田中晃二の道草湘南《犬の鼻、猫の舌》 フランス伝来の教会建築とそうめん。

(2011.11.22)


白い壁の出津(しつ)教会は地中海風。

長崎ちゃんぽん

10月に長崎まで旅行した。というか、高校卒業までを過ごした町なので、帰った、というほうがいいか。物心ついてから長崎にいた時間は、振り返ってみると今や4分の一くらいでしかないのだが、少年期を過ごした故郷というものは何ものにも代え難い。人生の中でも特別に密度の濃い時間を過ごした、ということなのだろう。ホテルに到着してすぐ、歩いて思案橋まで(勝手知ったる町だし)皿うどんを食べに行った。高校時代に入ったことのあるちゃんぽん屋は今でも裏通りに健在だった。昔を思い出しながら、皿うどんを一口食べて、驚いた。甘い。パリパリのチャーメンにかかった餡が、甘すぎる。これじゃ、デザートじゃないか。こんなに甘口だっかな、むかし食べた味の記憶は曖昧だが、東京で食べる皿うどんの方が、客観的に、美味しいかも、現在の私の口には。


皿うどんは元祖B級グルメだ。長崎ではソースをガバガバ掛けて食べる。
コッコデショ

そう、長崎の料理は甘口なのだ。味噌も甘いし、どんな料理にも砂糖を奮発するし、街中に饅頭屋がいっぱいあったし。私が甘党なのは長崎で育ったせいだ、たぶん。それはともかく、今回の長崎行きの目的は皿うどんではなく、くんち見物。毎年10月はじめの3日間、長崎で一番のお祭りがある。旧市街の50町あまりが7年おきに当番となり(踊町・おどりちょう、と呼ぶ)諏訪神社に町ごとの出し物を奉納する。今年は私の東古川町も当番で、樺島町の『コッコデショ』という人気の出し物もあるし、久しぶりにお祭り気分にどっぷり浸りたいと思って旅行を決めたのでありました。私が小学生だった頃は、祭りの3日間は大半の子どもが祭りに出演するので、学校は休みになったような記憶があるが今はどうなんだろう。昔より見物(観光)客が多くなった印象を受けた。祭りは見物するのもいいが、出るのはもっと楽しい。練習とか大変だけど。しかし一度でも祭りに出ると、故郷と強い絆で結ばれる。私は長崎のくんちの祭り囃子(しゃぎり)を聞いただけで、もう平常心ではいられなくなる。小学生の頃、町の中を練り歩く出し物を追いかけてあちこち走り回ったものだ。今回、出島の近くで出会った『コッコデショ』を追っかけながら、気分はいつの間にか小学生になっていた。


今年の長崎くんち一番人気は、樺島町の『コッコデショ』だ。神輿に乗った采を振る少年のイナバウアーが美しい。

本古川町の出し物『御座船』。長崎では、祭りの時の単位でもある江戸時代からの旧町名が復活した。

出島町は『阿蘭陀船』 諏訪神社の石段をゴットンゴットンと引いて下りる。

我が東古川町の『川船』 町内の子どもは鐘と太鼓の囃子を、大人は船を曳く。
教会の窓から見える海

長崎から北へクルマで30分ほど行ったところに外海(そとめ)という集落がある。くんちが終わった休日、長崎に住んでいる弟に案内してもらい、明治はじめに建てられたという教会を見学に行った。左に東シナ海を見ながら、段々畑や照葉樹の森をいくつも過ぎると、小さな入江の丘に突然教会が見えた。赤いレンガ作りの黒崎教会だ。青く塗られた鎧戸の窓が美しい。すぐ近くにある白い壁の出津(しつ)教会の庭を散歩していると、塔の佇まいや海の風景がギリシャあたりにでも来たような(行ったことないけど、イメージ)気分になってしまう。この村には遠藤周作文学館もあって、ここは東シナ海に沈む夕焼けのポイントにもなっているのだが、幕末から明治にかけて『沈黙』の舞台となった隠れ切支丹の里だったのです。


黒崎教会の和洋混沌とした建築デザインは見飽きない。

ステンドグラスの窓は、明るい海の色。

坂道を登って、ちょっと一息つきたいところに、大野教会はある。

平たい石を漆喰モルタルで固めた壁を、ド・ロ壁と呼んだそうだ。
近代建築のような大野教会

海岸沿いの道路から少し登った段々畑の中に、石を積んだ壁に瓦葺きの、ちょっと洋風な平屋の建物があった。案内板を見て、明治26年に建てられた教会堂であることがわかる。建設にはノルマンディー出身のド・ロ神父が関わったらしい。フランスから布教に来た神父は、宗教だけでなく石組みや土木建築の技術も日本に伝え、和洋折衷の教会が出来上がったそうだ。そればかりか、貧しかったこの村に小麦を挽いてそうめんを作る技術(産業)も導入して村人から慕われたらしい。出津の名物、ド・ロさまそうめんは、太めでこしがあって、おいしい。そうめんというより、細うどん?あるいはパスタ?長崎の麺文化の歴史は古いのだ。話を戻して、神父が設計した大野教会は、ここに住んでみたくなるような家だった。アーチの窓と、引き戸の組み合わせが微笑ましくも国際的で、当時の大工さんも建築するのが楽しかっただろうな、きっと。この庭から少しだけ見える海(東シナ海)は、空との境も定かでなく、この日は穏やかに凪いでいた。いま私が住んでいる逗子の海(太平洋)に比べると、どこか母性的な包容力に満ちているように思われた。


海を背に微笑みかけるマリヤ像


遠藤周作文学館の庭から眺める東シナ海は、巨大な湖のようだ。