遠藤伸雄のAgenda Musicale 「四季」はやっぱり名曲だった!

(2008.07.29)
私の知り合いの知り合いが「アルカイダ」じゃなくて、「チャーミングなヴァイオリニスト」で、その知り合いに誘われて、横浜でのコンサートを聴く。
「ヴェネツィア室内合奏団&磯絵里子演奏会」7月3日@横浜みなとみらいホール。

演目は、前半が、ジェミニアーニの「ラ・フォリア」、ヴィヴァルディのコンチェルト二曲、そしてロッシーニの弦楽ソナタハ長調。
後半は、お馴染みの定番、ヴィヴァルディの「四季」とオールイタリアン・プロ。

一曲目の「ラ・フォリア」は有名なコレッリのソナタの合奏協奏曲ヴァージョンで、入りはちょっと硬い感じ。弦があまり響かずに、2000人以上収容のホールでは、ちょっと可哀そうかな、と思ったが変奏が進むうちに段々乗って来たのに、最高潮に達する前に曲が終わったのは残念でした。
因みに、今回来日の合奏団 Interpreti Veneziani の編成は、ヴァイオリン 1st, 2nd 各2、ヴィオラ 1、チェロ 1、コントラバス 1、チェンバロ 1計8名の極めて小じんまりとしたもので、いわゆるピリオド楽器使用の古楽アンサンブル(ヴェネツィアといえば、クラウディオ・シモーネ率いるI Solisti Veneti(「ヴェネトVeneto (ベニスがある州の名前)のソリスト達」の意。邦名「ヴェネツィア合奏団」)が有名ですが、こちらは、現代(モダーン)楽器の合奏団です)。

ヴィヴァルディの協奏曲二曲は、メンバー中の紅一点ヴィオラの Sonia Amadioとチェロ Davide Amadioによる二重協奏曲と後者ソロによるチェロ協奏曲(このお二人は、兄妹(or 姉弟)かそれとも夫婦かも?息がぴったりでした)。
チェロのダビデ兄さんは、表情豊かな顔と身体を駆使したとても楽しい演奏。
イタリアン・バロック三曲の後は、ロッシーニ若書きの名曲弦楽ソナタ集の中の一曲。
何と作曲者12歳の時の作品だが、各楽章とも、後のオペラの序曲やアリアの予兆を感じさせる佳曲です。
このソナタ集は、モーツアルトのディヴェルティメントのように、演奏会でもっと演られてもいいですね。

休憩後は、いよいよ磯絵里子さんをソリストに迎えての「四季」。磯さんのヴァイオリンは、昨秋上野で、イザイ、ヴュータンやルクーといったベルギーの作曲家の作品だけを集めたとても意欲的なリサイタルで、極めて集中力ある演奏を聴いていましたが、今回の古楽アンサンブルとの競演は、果たしてどうなるか、と興味津々。
絵里子さんは、合奏団メンバーの中央に登場。ということは、チェンバロも含め、メンバー全員に背を向けることになります。
筆者は「四季」を生演奏で聴くことは、あまりなかったので、Interpreti のように指揮者のいないアンサンブルでのソリストの立ち位置が通常どのようなものか不詳なのですが、アインザッツなどの点で不都合がないのかちょっと不安。
案の定、春の第二楽章でソロと伴奏の間で少々テンポのズレがあったけれど、その後は、大過なく進行。
絵里子さんのヴァイオリンは、爽やか、かつ艶のある音色で、大いに楽しめました。
ただ、このバロックの名曲、随所に即興的な解釈を許容しているコンチェルトで、メンバー間での丁々発止のやりとり(ちょうどジャズのジャムセッションのような)も楽しみたいところで、Interpreti のメンバーもしきりにアドリブ的なアプローチを試みていた(特にダビデが、チェロをちょうどジャズギターのようなアルペッジョ奏法などでソリストに挑む)のですが、絵里子嬢はあまりその挑発には乗らず、「私は寄り道せずに、真直ぐ突き進みますわ」といった風情で、もう少し遊んでもいいのに……とちょっと残念に思いました(これも舞台上でのソリストと伴奏メンバーの立ち位置のせいかも?)。
因みにダビデ・チェロは、なんと終始暗譜で演奏!。視覚面でも音楽面でもソリストに負けず劣らずの熱演で、まるで、「ヴァイオリンとチェロのためのドッピオ(ダブル)コンチェルト」のようでした。
絵里子・ヴァイオリンの楽器及び奏法は多少ヴィブラートは押さえ気味なものの、基本的にはモダーンなものであったけれども、ヴェネチアの人達の古楽奏法とは全体的に違和感はなかったのは、やはり「四季」という曲がもつ、色々なアプローチが可能な奥行きの深さ、でしょう。

それにしても、ヴィヴァルディの「四季」をじっくり聴くなんて(それもコンサートで)何年ぶりのことだったでしょう?
中学生の頃、やれ「第九」だ、「悲愴」だ、といわゆるクラッシックの名曲群を聴き漁っていた頃、音楽好きの友人の一人に変わった(ませた)奴(中学生のくせに、デル・モナコやテバルディに嵌まってもいた)がいて、「ベートーヴェンやチャイコフスキーもいいけど、今このレコードが評判だよ!」と言って聞かせてくれたのが、LPのジャケットも印象的なイ・ムジチの「四季」でした!
日本ではまだヴィヴァルディの名前どころか、バロック音楽自体があまり知られていなかった頃で、それこそ悲愴感溢れるドイツ・オーストリア系の音楽ばかりを聴いていた耳に、「イタリアの春(第一楽章)」がなんと爽やかに聞こえてきたことか!
それ以来(I Musici 初録音は1959年)、日本にも一大バロックブームが到来し、常にそのブームの中心というか、象徴であったのが、「ヴィヴァルディ」であり、「四季」であり、「イ・ムジチ」であったのは、皆様よくご承知のところ。
イ・ムジチのお蔭で「四季」は、四季の変化が顕著な我国で、幸か不幸か圧倒的なポピュラリティを獲得し、ここ半世紀、BGMとして常にカフェやレストラン、はたまたスーパーやTVCMでも(タレ)流され続けていて、(特に「春」の第一楽章、真夏でも真冬でも、いつどこにいても聞かされる)現在に至っています。

そういう訳で、「四季」は筆者にとっては少々食傷気味で、長らく家のステレオ(この言葉、今や死語?)や演奏会で聴くことから遠ざかっていました。
そうは言っても、イ・ムジチ以来、その時代時代で話題の新録音が出るたびに、いちおうチェックをしてはいましたが……。
例えば、「マリナー/ アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(録音1969年)」の当時としては衝撃の写実的演奏、古楽録音の嚆矢で、表現主義をトコトン突きつめた「アルノンクール/コンツェントゥス・ムジクス(同1977年)」、イタリア古楽も負けじ、と超刺激的アプローチで挑んだ「ヴィオンディ/エウローパ・ガランテ(同1991年)」、チョン・キョン=ファの鮮やかなソロが素晴らしい「セント・ルークス室内合奏団(同2000年)」などなど。

今回、久しぶりに(というか、多分ライヴでは初めて)「四季」をジックリと(BGMではなく)聴いたことになりますが、親しみやすい旋律とそれを支える心地よいハーモニー、鮮やかな技巧と個性が楽しめるソロ・ヴァイオリン、小川のせせらぎや夏の嵐(まさにベートーヴェンの「田園」シンフォニーを先取りしている)、犬の遠吠えや酔っ払いの
千鳥足、吹雪の中、寒さでガタガタ震える歯などを擬音化した愉快な伴奏音型など、まさに副題の「和声と創意への試み」を駆使したこの「ヴェネツィアの赤毛の司祭」の手になる協奏曲集は、バロックを代表する名曲だと改めて感じいった次第です。 

尚、今回初めて生で聴いた「ヴェネツィア室内合奏団 Interpreti Veneziani (「ヴェネツィアの案内人」とでも訳すのでしょうか?)」はCDがイタリアのマイナーレーベルからしか出ていないせいか、なかなか手に入り難いので、日本ではあまり知られていないようですが、もっと評価されても良いアンサンブルだと思います。
それでも、今回の演奏会のロビーで偶然出会った昔の合唱団の仲間の一人(そういえば、彼等と Vivaldi の Gloria を演ったこともありました)のように、はるばるヴェネツィアの教会まで聴きに行くという熱心なサポーターもついています。

ヴェネツィア室内合奏団。

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ソリスト磯絵里子さん。

イ・ムジチ合奏団の『四季&ヴァイオリン協奏曲 恋人』(録音1959年)。

マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの『四季』(録音1969年)。

ヴィオンディ/エウローパ・ガランテ『四季』(録音1991年)。

チョン・キョン=ファのソロが素晴らしい「セント・ルークス室内合奏団(録音2000年)の『四季』。