北原徹のバカ買い! Smells Like Teen Spirit - 24 - 映画『ココ・アヴァン・シャネル』<コム デ ギャルソン・オム>のシャツ。日曜日は嫌い。

(2009.09.10)

ココ・シャネル。

どんな本だったのか、それともテレビの番組だったのか、はたまた知人から聞いたのかさえ覚えてない、霧の中を歩いているような記憶……。ぼくはココ・シャネルのように生きたい、と強く願った。

まるで人生がジェットコースターのようなココ・シャネル。机の引き出しに鍵をかけておいた、そんな記憶が蘇ったのは、映画『ココ・アヴァン・シャネル』を観たからだ。

ここには華やかなファッションシーンとしての<シャネル>はほぼ描かれていない。孤児院で育ち、ナイトクラブで男を物色し、お針子をする。そしてパリに行くことを切望する、現実的な女性がいた。

生活のために、 気にはなるが好きでもない男(金持ち)のところに転がり込む。

甘酸っぱい恋や好いたらしい愛なんて、生きるためには必要ないと思いながら、結局、“愛” で体の血中濃度を上げる。

映画『ココ・アヴァン・シャネル』より。9月18日(金)よりロードショー。

ココ・シャネル。

そして、誰よりも”美意識”を持った女。

派手であり、女のボディラインを魅せるためにコルセットでスモークハムのように縛り付けられた(それは精神的にも)ドレスを嫌い、シンプルかつ、カンファタブルに仕上げた服(お手製)や男の服を自分サイズにして作り変えた服を着た女。

わかっている女。

“黒”と“白”ほどおしゃれな色はない、といって、シックで清楚な服を作る。

わかっている女。

レボリューションというのは、何も攻撃的で派手なことや、シンボリックなことをすればよい、というのではないことを、ココは教えてくれる。

シンプルなチェックのワンピースに、メンズのピンタックの胸元を組み合わせ、そのカフスをつける。今では当たり前の服かもしれないが、社交的ドレス(どんな服かは映画を観てネ!)ばかりの世の中で、その “普通” がどれだけ “普通じゃなかったか……” は容易に想像がつくだろう。

この映画を見ながら、ぼくは1枚のシャツのことを思い出していた。

25年くらい前だったろうか。ぼくは青山の骨董通りにある、今では期間限定ショップとして、その形を変化させる<コム デ ギャルソン>のショップにいた。

大学生だったぼくは、脇の下に緊張という名の汗をかきながら、1枚のシャツに衝撃を覚えていた。

何の変哲もないシンプルな白いシャツ。だが、ただひとつ違っていたのは、シャツが洗いざらしだったのだ! 

今でこそ、そんなの当たり前かもしれないが、白いシャツはパリッと着るのが当たり前であり、基本はスーツの中に着てナンボだったのだから、まあ、レボリューションはTM以上に起こっていたと思う。(うっ、ネタがわかりにくいか!?)

そして、そのブランドは<コム デ ギャルソン・オム>だった。

実に何年ぶりだろうか、ぼくは<コム デ ギャルソン・オム>のシャツを買った。デザイナーが渡辺淳弥さんになっていた。シャツそのものの持つ大人っぽさに、やわらかな、そしてどこかファニーな別布を加えただけで少年を思わせる1枚になった。

レボリューションは、何も破壊あってこそだけではない。アヴァンギャルドは、崩壊あってこそではない。

普通のものが普通に存在し、その存在をちょっとだけズラしてみる。とても難しいことだ。基礎といえばいいのか、ちょっとわからないけれど、そこにあるべき“普通のもの”はとにかく伝統を重んじ、歴史を理解し……。そんな堅苦しいことではなく“ちゃんとした普通”でなければならない難しさを孕んでいる。

そして、見事なまでに違和感なく、普通をズラすことに成功した服だけが、レボリューションというエスプリを付加できるのだ。

<シャネル>と<コム デ ギャルソン>。

並べて語るのはよくないのかもしれない。だけれど、彼女たちが持つ強さは、普通のものを第六感だけで普通じゃなくさせる力なんではなかろうか?

 

 

本日は<Nハリウッド>のショートパンツスーツ姿です。これから<Nハリウッド>のショーに行きます。
足元は<ナンバーナイン>のレイヤードブーツ。原稿はクリックで拡大します。
そういえば昨日9月9日に入籍した人っておるのかしらん? というのも中国では、
「9」の音が「久」に通ずる、いく久しく末長くということですごい数の人々が入籍したそうです。
何のお祝いもありませんが、9月9日に入籍した方、ご連絡ください。ぜひ! その思いの丈、なぜその人がよいのか、も書いてね。
ついでに9月9日に離婚した人も。その思いをお聞かせくださいませね。それでは、また来週!