from パリ(たなか) – 66 - 蚤の市というか、ガラクタ市というか。

(2010.08.09)
茸の標本をおみやげに渡して喜びそうな人は、やっぱり少数派かなあ。

パリの市場で忘れてならないのは、蚤の市だ。骨董というほどの芸術性(?)はなく、古道具と呼ぶほどに使い込まれた形跡や実用性はないし、ちょっと見にはゴミ捨て場から拾ってきたような薄汚れたガラクタが雑然と並んでいる市の様子は、やっぱり“蚤の市”という呼び方が一番ふさわしいように思う。

もうずいぶん昔のこと、東京の目黒不動や新井薬師の境内で毎月開かれる古道具市に通って小皿や箪笥などを探したことがあるが、そこに並んでいる殆どの道具や小物類はいちおう商品といえるような物ではあった。しかるに、パリの蚤の市に並んでいる代物は、廃品回収業者の収集物と見まがうような、古い空き缶や空き箱、使い古しの鞄、こわれたおもちゃ、使えなくなった家電製品など、えーっ、こんなものまで売るのか?と思うような物もよく見かける。うーむ、一体誰が買うのだろう、買ってどう使うのだろう、アンティークなオブジェとして楽しめないことはないが、ガラクタが増えるだけじゃないかなあ、でも好きな人がいるんだろうな、きっと。もちろん、しっかり商品と認定できるような物も当然あるのだが、へんてこな物のインパクトが強くて普通の道具類は霞んでしまう。無用の安物を探して見立て買いするのが、蚤の市の醍醐味かもしれないが、それにしても。

私はあまり詳しくはないが、京都の弘法市なんかにも使い道がよくわからないようなガラクタが出るらしい。京都の人とパリの人には、古い街に住んでいる独特の共通点があるのかも。普通の物にも長い時間を経ることで価値が出るのは、古道具の楽しみの原点ではあるが、こんなものをよく捨てないで取っておいたなあと感心しながら見るだけでも、パリの蚤の市めぐりは楽しい。 

3区の区役所やタンプル公園があるあたり、ブルターニュ通り(Rue de Bretagne)界隈の蚤の市。狭い通りではテントも張らず、俄雨が降ってきたらビニールシートをかけるだけ。
クリニャンクールの古道具屋は迷路のように広がっているので、地図を見ても目的の店を探し当てるのは難しい。

パリの北にあるクリニャンクール(Clignancourt)には、まる一日かけても半分くらいしか見て回れないほどの古道具屋が集合している。文字通りのガラクタ屋もあるが、家具調度品、古着、古い絵はがき、古書、電灯の笠や部品、絨毯、手芸用の布やボタンなど、何とはなしに専門店化しているので目的を持って探し物をするのには便利だ。

常設の古道具市場とは別に、年に1~2回、パリのあちこちの通りでは歩道にテントを張った青空蚤の市も開かれる。通りがかりにたまたま遭遇したりすると、根がガラクタ好きなものだからついつい見入ってしまい、あっという間に一時間ぐらい経ってしまう。5ユーロ均一の箱の前にしゃがみ込んで漁っていると手はホコリで汚れ、デッドストックのちょっと古いグラスがあると買おうかどうしようか真剣に悩む。やや稚拙だが雰囲気のある絵が付いた20センチほどの皿も、10ユーロだったら悪くないなあと思いながら、でも東京へ持ち帰る大変さを思うと結局は買うのを控える。こういう時に、一年近くパリに住んでいるとは言えやっぱり旅行者なのかなあと実感する。

理科の実験室を古道具屋にしたような……。
マネキンの手にも時代の流行がある?
瓶の乾燥機を美術館に置けばデュシャンの作品だが、道端では単なるガラクタ。
おもちゃ箱をひっくり返したような、という形容がぴったり。
2枚とも10ユーロ均一の棚にあったもの。値切れば安くなりそうだが、そこまでの語学力がないのが悔しい。タルトでも食べるのにぴったり。フランスの皿には詳しくないので、産地や製造時期などは不明です。
デジタル化の波に飲まれて使われなくなった活版印刷時代の活字も、捨ててしまうのはやっぱり惜しい。