from 北海道(道央) – 65 - 「夢」のような、
「夢」のある話。

(2012.12.20)

北海道のパワースポットの一つ。

「パワースポット」が巷で流行っているようだが、北海道にもパワースポットと呼ばれるところが何か所か存在する。その一つが、以前ダカーポで紹介した、拙宅からほど近い「龍宮神社」である。

なぜパワースポットと呼ばれるようになったのかは、正直よく分からないが、巷でそう呼ばれている以上、この場に立つことによって何らかの御利益があることは間違いないようだ。

JR小樽駅を出て左側、そしてその山手に広がる土地は、榎本武揚によって開かれた。榎本武揚がこの土地に「龍宮神社」を建てたのは、この「稲穂(いなほ)」という土地の由来として、アイヌが祭具として用いる「イナウ」に因んだ名であり、この地を彼らが祭場としていた聖地であったと伝えられるのだが、そこに「北海鎮護」を託した神社を設けたというのだから、まさにパワースポットとしての素地は備わっているのだろう。

●「龍宮神社」の記事を読む

榎本武揚の像。
「古代文字」は、本当に存在するのか。

「漢字以前に、日本には文字がなかった」とする考え方に対しては、様々な反論が過去には展開されている。

北海道の郷土史研究家・朝枝文裕(あさえだ・ふみひろ)氏は、1944(昭和19)年に発刊したとされる『小樽古代文字』において、1909(明治42)年6月2日にこの稲穂の土地で出土された「3行に渡る黒色の12文字」を2000年以上前の文字であると主張し、これが「富岡古代文字」(=「北海道異体文字」)と言われ、漢字が入ってくる以前に日本人が文字を有していたとの主張の一説にもなっている。

実は、小樽界隈では、1866(慶応2)年に発見された小樽市・手宮洞窟の岩絵、1927(昭和2)年に余市町のフゴッペにおいて発見された岩面彫刻、さらに1950(昭和25)年に同洞窟で発見された岩絵なども、同様に「北海道異体文字」であるという主張もなされており、小樽近辺に確実に住んでいたと言われる「縄文人」たちが文字らしきものを使っていたのではないかという主張にもつながっているのである。

学者の中には、それらを原カナン文字の体系にある「突厥文字(とっけいもじ)」の一つではないかと主張する方もいて、考古学に対する浪漫や興味は尽きない。

小樽「中野植物園」にある手宮洞窟で発見された「北海道異体文字」のレプリカ。
「中野植物園」。全国的にも珍しいであろう私設植物園は、遊具を含めて楽しい空間。
DNA解析は、何を物語っているのか。

なぜ突然文字の話をと思われるかも知れないが、北海道・東北地方には縄文遺跡が数多く出土している。

その縄文人の末裔が「アイヌ民族」なのではないかという考えもあった中、最近発表された日本人のルーツを探るゲノム解析で、「日本人の伝統的な系統はアイヌと琉球が縄文人タイプ」との裏付けが「日本人類遺伝学会」での論文に掲載されたという記事が発表され、この記事に驚かれた方々も多いはずだ。

北海道に住むアイヌと沖縄の人たちとの近似性については、民俗学者である梅原猛先生が、1990年に出版された『アイヌ学の夜明け』(梅原猛・藤村久和編。小学館)において、「アイヌ文化こそ日本の基層文化である」という仮説を非常に示唆に富んだ理論を展開されているが、元々身体的特徴の共通性から明治44年にドイツ人医師のベルツによって、その仮説は提唱され、くしくも科学的な裏付けが今日において成されたことにもなる。

そう考えてみると、元々日本に住んでいた人々は、アイヌや沖縄の人々であり、「北海道異体文字」と呼ばれるような文字や文化を持って生活していたのだが、ある時期に、中国や朝鮮からやってきた弥生時代以降の人々によって「縄文から続いていた文化」の破壊や消去が行われたのではないかという仮設を立てることも可能なのではなかろうか。

希望を持てない時代だからこそ、「夢」を語る勇気を持ちたい。

一方で、伊勢神宮にある三種の神器の一つである「やたの鏡」の裏面に、ヘブル文字で「エヘイェ・アシュル・エヘイェ(=我は有りて在る者)」と書かれていたという噂など、古事記以前の記録が残されていない時期に、日本にはイスラエルの失われた部族の末裔がユーラシア大陸をわたり、日本へと渡ってきたのだというラビ・マーヴィン・トケイヤーの説(『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史』徳間出版)と重ね合わせれば、おぼろげながら我々日本人の失われた歴史が連続性を持って現れてくるようにも思えないだろうか。

「近いうち」という言葉の下行われた衆議院議員選挙結果が明らかとなったが、「希望」を持てる人もいれば、茫然自失の人もいるだろうし、何より投票率の低さは「政治に対する失望」への裏返しとも読み取れないこともなかろう。なかなか希望を持てない時代だからこそ、大胆な「夢」を語る勇気を持ちつつ、その「夢」を自ら、あるいは仲間と一緒に読み解き、確実性ある未来を築いていくという「現実の実行力」を持てるよう生きたいと、思うのであった。

今年一年、皆さまには『ダカーポ』を通じて大変お世話になり、ありがとうございました。また、2013(平成25)年も、引き続き、よろしくお願い申し上げます。新年が、皆さまとご家族にとりまして輝かしい年でありますよう祈念いたしまして、今年最後の筆を置かせていただきたいと思います。