福島・須賀川への旅1 芭蕉が長逗留した東北の宿場町で
B級グルメ「きゅうり麺」を堪能。

(2012.10.18)

松尾芭蕉が『おくのほそ道』で長逗留した東北屈指の宿場町。

夏の終わりと秋の初めが交差する頃、ご縁あって福島県の須賀川市に旅してきた。東京駅から東北新幹線やまびこ号で郡山駅まで1時間と少し。そこからさらに電車で10分。かつて、城下町、そして東北屈指の宿場町として栄えた場所だ。

私にとってのご縁とは、俳句である。松尾芭蕉が『おくのほそ道』で東北を巡ったとき、一週間の長逗留をした街がここ、須賀川なのだ。俳句を始めて今年で17年目。芭蕉の気に入った土地を見に行くのも悪くない。「来ませんか。」というお誘いにすぐに乗った。

新幹線から、2両しかないローカル列車を乗り継いで昼下がりに到着。秋口とはいえまだまだ暑い。駅で観光情報をもらい、ロッカーに荷物を預け、レンタサイクルを借りて(なんと、どちらも市のシステムなので無料!)、市内散策に出かけた。

東北新幹線には「がんばろう日本! がんばろう東北!」と書かれていた。
JR須賀川駅。のどかな風情ただよう、のんびりした場所だ。
「馬の背」と呼ばれる坂の多い土地に立ち並ぶ蔵。

須賀川は坂の多い土地として知られる。駅でもらったパンフレットにも「すかがわ坂物語」という、坂だけに特化したものがあるくらいだ。全部で24もの坂があり、そのため、地形を「馬の背」ともいうのだそうだ。坂にはそれぞれ、名前といわくがついている。自転車での移動はなかなか楽しくも、運動不足の脚にはちょっと厳しい。

人の往来の多い豊かな土地だったため、旧市街にはかつてのお屋敷や蔵が建ち並んでいたけれど、2011年3月11日の東日本大震災でかなりの部分が倒壊したのだそうだ。そのせいで、蔵に眠っていたお宝が昨年はかなり骨董品として売られたという。移動中にも、壁の剥がれ落ちた蔵をいくつも見かけた。屋敷や蔵を撤去したのであろう空き地も見かけた。

建物に貼られていた「応急危険度判定結果 調査済」の貼り紙。2011年3月20日の日付になっている。
酒とギャラリーの店・岡村。震災の前から、自宅の蔵に眠っていたお宝を中心に商っている。ここのご主人に須賀川の歴史と昨年の震災以降の話を詳しく教えていただいた。
俳聖・芭蕉がこの土地に長逗留した理由とは。

芭蕉がこの地に長逗留したのは、豊かな土地だったことに加えて、俳諧が盛んな土地だったからなのだそうだ。芭蕉を迎えた須賀川俳諧の宗匠・相楽等躬は当時、須賀川駅の駅長であり、奥州俳壇の重要人物。情報を持ち、門下たちからの信頼も厚かった。芭蕉の滞在中、多くの俳人たちが座を囲んだことが想像できる。ここで芭蕉は有名な発句「風流の初やおくの田植歌」を詠んでいる。

等躬の屋敷近くの大きな栗の木陰に可伸という世を厭う僧が住んでいたのだが、その人物に心惹かれて訪れた芭蕉は、「世の人の見つけぬ花や軒の栗」の句を残した。目立たぬ地味な花だけれど、その花のもとにひっそりと暮らしている人のいることよ、という意味である。俳句には“挨拶”の役割もあり、これは訪れた場所とそこに住む人に対しての最大級の礼儀であったことだろう。可伸庵は整備・保存されており、誰でも訪れることができる。


左・駅からしばらく行くと「奥の細道本町」の表示があった。
右・芭蕉と曽良の像。現NTT 須賀川付近が、彼らが逗留した俳人・等躬の屋敷跡。この像はその近くの「軒の栗庭園」にあり、さらに近くに可伸庵がある。

左・可伸庵に設けられた投句ポスト。須賀川にはこのポストがあちこちにあり、市民の俳句への関心の高さを伺わせる。
右・芭蕉記念館。1階には展示と茶室、2階には市民の文芸活動に使われる和室が。
未だに残る東日本大震災の爪痕。

芭蕉の足跡を訪ねてもう少し行ってみることにした。大通りから坂を緩やかに下ったところにある十念寺は、「風流の初やおくの田植歌」の句碑が建っている場所。この地ゆかりの女流俳人・市原多代女の辞世の句の句碑も建っている。

この十念寺を訪れて、胸が痛んだ。ほとんどの石灯籠、そして寺の裏のお墓が未だ倒壊したままになっている。このあたりは震度6だったという。かなりの揺れだったのだろう。ほかにもいくつかの神社や寺を巡ったが、どこも石碑などは倒れたままになっていた。とある神社で掃き掃除をしていたご婦人に「石灯籠がみな倒れていますが、昨年の地震で倒れたのですか?」と話しかけてみたけれど、返事をしてくださらなかったのはちょっと残念であった。

十念寺に立つ芭蕉の句碑。「風流の初やおくの田植歌」の句が見える。
多代女の句碑の前の石灯籠は倒れたままになっている。
須賀川名物B級グルメ・かっぱ麺に遭遇!

市内巡りも一段落したので、小腹を満たそうとキョロキョロしていたら「須賀川かっぱ麺」ののぼりを見かけた。迷わず入ってみることにした。聞くと、須賀川はきゅうりの生産量が日本一。それを活かしたご当地名物が作れないかと、きゅうりのしぼり汁を練り込んだ麺を開発し、市内の蕎麦店やうどん展などで提供しているのだとか。今では立派なご当地B級グルメである。

毎年7月14日には「きうり天王祭」というお祭りも行われる。市内にきゅうりを備える「お仮屋」が作られ、きゅうりを2本備えると別のきゅうりが1本もらえる。それを食べると1年間の無病息災が得られるのだそう。当日はとても賑わうのだという。


伺ったのは「つれづれ麺」。製麺所にそば屋が併設されている。かっぱ麺はショウガ入りのそば湯つきで730円。きゅうり麺はほのかにきゅうりの香りがして、ツルッとした喉越し。美容にもよさそう!

駆け足でめぐった須賀川の町。今回は『おくのほそ道』の芭蕉の逗留地として訪れたのだが、ウルトラマンの生みの親である円谷英二監督の出身地であり、東京マラソンで銅メダルを取り、のちに自殺した円谷幸吉の出身地でもある。彼らの足跡をたどるのも興味深い。

また、7月のきうり天王祭のほか、4月下旬から5月下旬にかけては須賀川牡丹園で牡丹が咲き誇り、8月のお盆明け最初の土曜日には1万発の花火が打ち上げられる「須賀川市釈迦堂川全国花火大会」、そして11月第2土曜日には日本三大火祭りのひとつである「松明あかし」が行われる。また違う季節に出かけてみたい。