from パリ(石黒) – 13 - パリ、アート散歩。《8》モニュメンタ展2010

(2010.03.03)
巨大な衣服の山を目の前にして、人は何を考えるのでしょうか……。

1月13日から2月21日まで、グランパレで開催されていた展覧会モニュメンタ2010。今年は、フランスのコンテンポラリーアート界を代表するアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキー( Christian Boltanski )が担当でした。

2007年から始まった『モニュメンタ展』は、著名なアーティストに、グランパレの巨大な中央ホール空間を提供し、新しい作品を発表してもらうという趣旨。2007年はドイツ人画家アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)、2008年はアメリカ人彫刻家リチャード・セラ(Richard Serra)が担当。この後を引き継いだのは、フランス・コンテンポラリーアート界を代表するアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキー。2007年、2008年は夏前に行われていましたが、今年は1月開催となりました。

グランパレの中央ホールは、普段はサロンや展示会、ファッションショー、コンサートに使用され、ブースや階段が設置されたりと、何かしら仕切りが施されているため、その広さは、思いのほか実感できません。ちなみに、ファッションデザイナー、故イブ=サン・ローランのアートコレクションが、クリスティーズのハンマーのもと、オークションにかけられたのも、このグランパレ。2009年10月には、アメリカ、ポップミュージック界の大御所プリンスが、コンサートをしたことでも、話題になりました。

こうした間仕切り、スタンドをすべて取り除いた、空っぽの中央ホールがアーティストの自由裁量に。モニュメンタ(「記念碑」「大建造物」という単語monumentの語源)の言葉が示す通り「巨大」な作品が求められる一度限りの展覧会。アーティストにとっては、スペースとの「対決」です。

2011年の第54回ヴェネツィアビエンナーレで、フランス代表アーティストとして選ばれたクリスチャン・ボルタンスキーは、写真、映像、音、彫刻を中心に構成した巨大なインスタレーションで知られています。「記憶」が彼の作品の根底に流れる大きなテーマ。 集団の記憶、個人の記憶、その記憶の真偽はともかく、とにかく蓄積し、整理(あるいは不整理)してみせる。見る者に、強い戸惑いの感情を引き起こし、時間と存在について考えさせる作品です。妻であるアネット・メッサジェ(Annette Messager)は、同じく「蓄積/整理」の手法に、女性という軸を導入した作品を展開しています。

クリスティアン・ボルタンスキーのモニュメンタ2010のタイトル「personnes」は、「男女を問わず、個人としての人間たち」という意味。グランパレの正面入り口から入るやいなや、目の前には、大きな壁がそびえ、視界を遮ります。収集癖のアーティストらしく、錆びきった古い書類戸棚。引き出しには、バラバラな数字が施されています。そして、会場内で聞こえてくるのは、稼働中の炭鉱の中に入ったかのような、圧迫感のある低く、くぐもった音。それに加えて、なにやら機械が動いている音が重なります。この壁を回り込むと、目の前に広がるのは、まるでフリーマーケット会場。規則正しく区切られたブロックごとに、地べたに並べられたコート。そして会場奥に、積み上げられた衣服の山とクレーン車。
 

廃墟となった研究機関の書類保管室から持ってきたような、錆びた金属の引出し。振り当てられた番号は、てんでバラバラ。中に何が入っていたのか……想像が膨らみます。
壁を回り込み、グランパレの入り口あたりから見た風景。遠くからだと、衣服の山の巨大さは、それほど実感できません。

誰もいないこの「フリーマーケット風」な会場の小道を歩いていると、限りない孤独感が込み上げてきます。誰のコートなのか?どうして、ひたすら並べられているのか? とらえどころのない不気味な音と共に、まるで、強制収容所の区画内を歩いているかのような錯覚に。様々な疑問が頭の中をよぎります。

 
クレーン車の鉤爪は開いた状態で、衣服の山に向かって降りていきます。山の頂点で止まり、鉤爪が無造作に数枚の衣服をひっかけ、そのまま、クレーン車の竿の頂点へと昇り、「ウィーン、カシャン」という音と共に停止。数秒の静寂の後、鉤爪は開き、ひっかかっていた衣服が、はらはらと舞い散る。衣服が落下する際には、その衣ずれの音が。
 

グランパレの奥の大階段を上って、上から衣服の山を見下ろす様子。クレーン車の鈎爪は、すごい高さまで上がります。

 
ひっかかる衣服は、偶然の成り行き。落下する衣服を見ていると、虚無感が込み上げてきます。それは、誰かが着ていたであろうこれらの衣服を通して、誰かの人生が見え隠れするから。鉤爪は、逆らえない運命の象徴。

ひたすらこの動作の繰り返し。完全に不条理な状況だとわかっていながら、そして、同じ事の繰り返しだとわかっていながら、見続けてしまう。いつかこの動きが止まるんじゃないかとか、放たれた衣服が、真直ぐに落ちずに、別の場所へ飛んでいってしまうのではないかとか、何か「違う」出来事が起こるのではないかという不思議な期待感も持ち合わせつつ……。このインスタレーションは、その瞬間を見過ごしたくない、という人間のミーハーな部分をも突いてくる。鉤爪が竿の頂点で止まると、誰もが動きを止め、放たれる衣服へと注意を向ける。落下する衣服を見上げる時、グランパレのガラス屋根から空の様子が見えることで、あたかも、天から神々しいオブジェが舞い降りてくるかのような、奇妙な印象を覚えます。人々の姿は神の宣告を仰ぐようにも見え、この瞬間、グランパレ内は時間が止まったかのよう。この空間を分かち合う観客の存在、動きがあってこそ、この作品が成立するのだと気づかされます。

会場入り口でもらったパンフレットは読まずに、時間の許す限り、ひたすら歩き回り、疑問符のついた頭で辿り着いたのは、グランパレの大階段下に設置された「心臓の記録保管所」(Archives du cœur)。思わず見過ごしてしまいそうな小さな入り口。説明パネルを読むと、瀬戸内海に浮かぶ手島での福武アートプロジェクトのための「心拍音録音」と書いてあるので、中へ入り、通用口のような無機質な通路を矢印に従って進んでみると、数字が表示された小さな電光掲示板と、待合番号発券機、簡素な椅子と机が置かれた小さな部屋へ。病院の待合室の雰囲気です。グランパレ内に響いていたあのおどろおどろしい音は、ここまでは聞こえてきません。自分の番がくると、白衣を着たガイドに呼ばれ、個室へ入り、説明を受け、心拍音を録音。その音は5ユーロでCDとして持ち帰れると同時に、クリスチャン・ボルタンスキーに「寄付」されます。ここで収集された心拍音は、手島でのボルタンスキーのアートプロジェクトに利用されるという仕組みです。観客を、意識的にアートクリエーションへと立ち会わせるこの試み。ボルタンスキーの関心領域である「観客がもはや作品の前に位置するのではなく、作品の内部へ入り込む」というコンセプトは、「参加」という形にまで広がっています。

生と死がテーマなだけに、病院の待合室。コンセプトは、献血ならぬ、献拍とでも言いましょうか。二つの検査室が用意されていて、扉の上に小さく開いた窓から中を覗けます。 録音係は、全く医療関係のプロではないのですが、アルコール消毒液とか、病院にありそうなガラス扉の戸棚とか、一応、雰囲気作りは徹底しています。

ボルタンスキーの考えるアートとは「答えを持たずに、問題を提示し、感情を喚起すること」。私自身、アーティストの説明というのは、時として煩わしいと思うこともあり、コンテンポラリーアートに関しては特に「まず作品を体験する」ことから始めます。もちろん、作家や作品履歴に関してのある程度の事前情報は必要ですが、今回、作品を見る前にパンフレットを読まなかったのも、そのためでした。このボルタンスキーのインスタレーションは「作品をそのものとして、自分自身で体験できた作品」でした。

最後にもう一度、パンフレットを読みながら見直してみると、また違った視点が立ち上がってきます。コートが並べられた床の区切りは、69区画あり、それぞれの区画から、心拍音が放たれています。つまり、会場内で聞こえていた不気味な音は、69の心拍音が重なり合ったものでした。この意味深長な数字は、ボルタンスキーが提示しようとした「生、記憶、個々の存在の還元しえない特異性、死の気配、身体の非人間化、運命の偶然、こうしたものへの社会的、精神的、人類的考察」の一要素として、「人類の本能的な営み」を象徴しているんでしょうか。

このインスタレーションは、期間限定の作品。モニュメンタ会期後は、取り壊されますが、ボルタンスキーの願いによって、作品を構成するそれぞれの素材、機材がリサイクルされることになっています。

グランパレでの会期は2月21日までですが、このモニュメンタ展と連動して、パリ郊外のヴァル・ド・マルヌに位置するMAC/VAL美術館にて、「Christian Boltanski, Après」(クリスチャン・ボルタンスキー、その後)と題された展覧会が1月15日から3月28日まで開催されています。

そして2月13日から4月3日まで、アニエス b.のギャラリー Galerie du Jourでは、「bonjour monsieur boltanski…(point d’ironie)」(こんにちは、ボルタンスキーさん……)と題された展覧会も開催中。クリスチャン・ボルタンスキーに影響を受けた11人のアーティストによる、彼へのオマージュ展。

それぞれの様子もまた次回のアート散歩にてご紹介したいと思います。

ちなみ、グランパレは、私の好きな文化施設の一つ。1900年のパリ万国博覧会の会場として落成されて以来、サロン、イベント会場としては、パリでも随一の広さとプレスティージュを誇る場所に変わりはありません。2001年から2005年の修復工事を経て、美しいガラスドームの下で次々に開催される企画展の選択も、端整な面と革新的な面との織り交ぜ具合が、絶妙です。グランパレ館長ジャン=ポール・クルゼルにより、非常に革新的で意欲的なプログラム造りが「Mission Cluzel Grand Palais / RMN」(クルゼル案 グランパレ/国立美術館連合)と題され、1月半ばに発表されたばかり。前回の記事のヴェルサイユと同様に、比類ないその歴史の上にあぐらをかいているだけではなく、新しい文化プロジェクトを生み出していこうとする趨勢は、 フランス文化芸術政策のお家芸ですが、今後どのような方向へと向かうのか、楽しみなところです。

クリスチャン・ボルタンスキーについては、ポンピドーセンターのページにて、丁寧に解説されています(フランス語のみ)。