from バスク – 10 - 思い出の漁村へ。

(2010.01.19)

長かった留学生活ももう終わろうとしている。そこで先日、ぜひ訪れてみたかった村へ行ってきた。行ってきたのは、ビスカヤ(Vizcaya)県のベルメオ(Bermeo)という漁村。ここは、大学2年のときに初めてスペインへ来た際に訪れた場所で、その手前にあるピカソが描いたことでも有名なゲルニカ(Guernica)へ電車で向かっていたけど、陽気な車掌さんに「ベルメオの方が綺麗だから、ぜひ行きなさい」とすすめられて足を運んだのだ。当時はスペイン語が全然できなかったけれど、スペイン語もそれなりに身につけて、その上バスク語も勉強している今ではどう見えるのかを感じてみたくて行ってみた。

バスク内を走っている私鉄エウスコ・トレン(Eusko Tren)がベルメオまでのびているので、サン・セバスティアンからそれに乗って行った。しかし、これが想像以上に長かった。11時前にサン・セバスティアンを出て、途中寝てしまってビルバオまで行ってしまったのは自分のミスだけれど、そこから少し引き返して乗り換えてベルメオに着いたのが15時。自動車なら1時間~1時間半で着くだろう。エウスコ・トレンは「安いけれどとにかく遅い」ということでよく知られていて、電車の利用者は日本みたいに多くはないし、良い評判をあまり聞かない。もしベルメオを訪れる人がいるとすれば、ビルバオから出ているバスを利用することを強くお勧めします。

これは、向かって右のごつごつしてたくましいのが漁師の父親で、子どもの手を引いて漁に出るところを描いている。父親と子どもの体型の対比が不思議だけれど、きっと漁師のたくましさを表現しているんだろう。
“Olatua(波)”という名前の作品で、これは40年前にこの村を襲った大波を描いたもの。「ベルメオ、私の敬愛する村、そしてお前は途方もない大波の驚愕の威力だ」という詩が添えられている。
「最後の波、最後の息吹」という名前で、これもその大波を描いたもの。海から帰ってくる村の漁船に向かって、後ろからやってきている大波を岸から叫んで知らせている様子。
旧市街はとにかく起伏が多く、白壁に赤や緑に塗られた雨戸の家並みの間に階段や坂がたくさんある。猫が横切ったり、ベランダから洗濯物の水をしぼっているおばちゃんがいたり、空を見上げるとカモメがたくさん飛んでいる。

3年前に訪れた時と同じように港へ行くと、長い堤防を地元の人が散歩している風景は当時と変わらなかった。記憶をたどりながら街を歩いていくと、見覚えのある景色や建物に出くわすことができた。以前来たときは港の周辺しか歩かなかったけれど、少し足をのばしてみた。小さな漁村だと思っていたけれど、旧市街を離れてみると、おそらくフランコ時代にまとめて建てられただろう統一された高いアパートがたくさん立ち並び、どこかビルバオを少し小さくしたようなそんな町並みだった。やっぱりいろいろ歩いてみないと、その町の様子は分からないものだ。

港や港が見える場所には、いくつかの彫刻があったが、名前のないものもあった。3年前の自分は勇気がなくて人にきくことが出来なかったけれど、今はスペイン語を身につけたので、散歩をしていた2人組のおばあちゃんに声をかけてみた。60歳、いや70歳くらいのおばあちゃんたちは、ものすごい声量でハキハキとこたえてくれた。「そっちのは~で。あっちのは~だよ」なんて親切にいろいろ教えてくれたけれど、2人同時進行でしゃべるもんだから少しこまった。いかにもスペイン人という元気あふれるおばあちゃんだった。

ムンダカの教会前の広場。サーファーが食い入るように波を見ていた。奥に見える島がイサロ島で、200年以上前にベルメオとムンダカでその所有権を争い、今はベルメオが治めている。以前は家があったが、現在は無人島で、夏にはお祭りがあるという。
ムンダカの村を歩くと、壁に描かれたグラフィティが多く目に付く。中でもやっぱりサーフィン関係のものが多い。またバスクを主張したものもあったり。小さな村なので、ぶらぶら歩いてそれらを見て周るのもいいかもしれない。
釣りをしていたおじさん。ここでは、モハーラやスズキがよく釣れるという。陽が暮れ始めてもう寒かったけれど、タバコをふかし、目の前の海にいるサーファーたちを眺めながら魚がかかるのを待っていた。

再び電車に乗り、終点ベルメオのひとつ手前のムンダカ(Mundaca)という村へ。ここは fromバスク-2-でも書いた、サーフィンで有名な村なのだ。駅員もおらず開きっぱなしの自動改札を抜けると、そこはすこし物寂しいアパートの建つ住宅地。ウェットスーツを干しているベランダも見受けられたのはやっぱりサーフィンスポットだからだろうか。住宅地を抜けるとすぐに教会が目に入り、もうその目の前は海だ。教会前の駐車場では、サーファー達がいそいそと着替えて準備をしていた。英語をしゃべっていたところからすると、サーフィンをしに外からわざわざ車でやってきたんだろう。着替えがすむと、教会横の崖にある階段を下りて海に入っていった。

沖に島が浮かんでいて、「何て名前だろう」と思い、ちょうど海を眺めていた乳母車をおした女性にきいてみたら、「あれはイサロ島っていってね、~」と島の歴史からお祭りまで話してくれた。ラッキー。その後も村の中を少し歩いていくと、釣りをしているおじさんを発見。先ほどの勢いにのって、「何を釣ったんですか」ときいてみたらモハーラという聞いたことのない魚の名前を教えてくれた。他にも餌の虫だったり、普段は何が釣れるとか親切に教えてくれた。また、工事現場の中を通らせてもらったとき、ちょうどぼくが一眼レフカメラを持っていたので「それはニコンか」とお兄さんが声をかけてきて、すこし会話をした。

やはり、こうして言葉が出来ると出来ないとでは全く違う。土地の人と触れ合えることは、その土地を知る上で何よりも大切だな、と強く感じた。また、自分のスペイン語が3年前から成長したことを感じることもできた。

本当はバスク語も試すべきだったんだろうけれど、まだぼくのバスク語は、質問はできてもその返答を理解できるほどの力がない。特にこの2つの村の方言は、バスク語の中でも最も訛りのきついものと言われているので、きっと全然分からなかっただろうな。それでもバスク語を話してみる価値はやっぱりあったんだろうか。んー、ちょっと勇気が足りなかったな。