from 鳥取 – 60 - 大阪「淀屋橋」と鳥取「倉吉」の縁もゆかりもある関係。

(2010.09.16)

関西の大学に通っていた私は京阪電車をよく利用していたのですが、大阪方面の終着駅といえば「淀屋橋」。

そこから地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田やなんばに遊びに出ていましたが、その「淀屋橋」が自分の故郷・鳥取と深いかかわりがあるなんて、そのときはつゆも知らずのことでした。

「淀屋橋」は、大阪の中心部を通る御堂筋の土佐掘川にかかる橋で、江戸時代に豪商の「淀屋」が架橋したものです。

淀屋は日本で初めて米の先物取引の仕組みを作り上げ、大阪が「天下の台所」と呼ばれる商いの町へ発展するのに大きく関わったといわれています。

米市場以外でもさまざまな事業で才覚をあらわし、幕府への貢献なども認められ、名字帯刀をも許された淀屋でしたが、その莫大な利益はやがて幕府を脅かす存在となったのです。

そして淀屋はとうとう闕所(けっしょ/財産没収)となり、大阪を追いやられてしまいました。

しかし、淀屋の根は絶えていなかったのです。

闕所処分を予想していた淀屋4代目は、番頭を務めていた牧田仁右衛門に暖簾分けをしていました。

牧田は「淀屋」の屋号を受け継ぎ、故郷の伯耆国久米郡(現・鳥取県倉吉市)で商いを始め、代々淀屋清兵衛と名乗りました。

米作りに画期的な「稲扱き千刃」の開発・販売に携わり、やがて全国展開にも成功した淀屋清兵衛は、倉吉の地で着々と財力を蓄えていったのです。

そしてついに、再び大阪で淀屋復興を成し遂げました。

4代目が暖簾分けするとき、「必ず、また大阪で淀屋を復活させてほしい」などといった会話がなされたかどうかはわかりませんが、きっとそういった思いを引き継いで、淀屋清兵衛は再興のチャンスを狙っていたのでしょう。

何ともしたたかで、どん底から這い上がっていく商人魂を感じる淀屋の復活劇。その後、幕末になると淀屋は討幕運動に尽力し、新しい日本を作り上げるためにほとんどの財産を投じたといわれています。

といったような、大阪の淀屋橋と鳥取の倉吉には淀屋にまつわる波乱万丈な歴史があったのです。

倉吉市の大蓮寺には淀屋清兵衛の墓があり、旧・牧田家住宅など淀屋の足跡が残されています。

倉吉市の大蓮寺。
旧・牧田家住宅

このたび、その淀屋にちなんだキャンペーン「幕末財宝伝説in鳥取 謎解き宝探しゲーム」が実施されます。

淀屋にゆかりのある倉吉市をはじめ、鳥取県中部に隠された宝箱を見つけ出すと、ステキな賞品が当たるといった内容。参加無料で、地図に示された謎をクイズ感覚で解き明かしながら、気軽に楽しんでいただけます。

隠し財宝を探すといった、ワクワクドキドキのキャンペーンにぜひみなさんも参加してみてください。

幕末財宝伝説in鳥取 謎解き宝探しゲーム
期間:2010年10月1日(金)〜12月20日(月)
開催エリア:鳥取県中部(三朝・湯梨浜・倉吉・北栄・琴浦)
参加料:無料
お問い合わせ先:三朝温泉観光協会(観光商工センター) Tel.0858-43-0431、はわい温泉・東郷温泉観光案内所 Tel.0858-35-4052、倉吉観光案内所 Tel.0858-22-1200
HP:http://www.takarush.jp/promo/tottoriken/