from 北海道(道央) – 51 - 北海道の地方都市の「和菓子」が、
世界で活躍する日本人のもとへ。

(2011.06.10)

「リラ冷え」も終わり、短い夏へと向かう北海道。

長く冷たく寒い冬も終わり、春も駆け足で去っていくと、ようやく北海道には「短い夏」がやってきます。その夏の訪れを告げる植物は、ライラック(フランス語で、lilas=リラ)。

ところが、ライラックが札幌近郊に咲き誇る頃、オホーツク海高気圧の影響を受けて、気温が一時的に低下しますが、その状況を北海道民は親しみを込めて「リラ冷え」と呼んでいます。ただ、安定しない気温によって、風邪をひく原因ともなっているのですが。

この「リラ冷え」という言葉を創ったとされるのは、俳人・榛谷美枝子(はんがい・みえこ)さんで、滝川市の江部乙出身。言葉を世に広めたとされる作家・渡辺淳一さんは、上砂川町の出身。お二人ともに、中空知(なかそらち)の出身というところに「縁」を感じますが、以前もご紹介した「すながわスイートロード」 で盛り上がる砂川市も、この中空知に位置します。

伝統的和菓子を世界へと。砂川の「吉川食品」さん。

1953(昭和28)年創業、約60年近く砂川で和菓子の製造を手がけている「吉川食品(株)」さん。

当初は家内工業で地元の皆さんに喜んでいただくための饅頭や大福餅を製造していましたが、1974(昭和49)年頃から北海道を中心とした量販店へ、さらにその5年後には北海道外の市場向けの商品販売を、また、海外市場へは1985(昭和60)年に輸出を開始するといった歴史を見れば、炭鉱の衰退による地元での需要から、「伝統的和菓子」としての世界単位での需要に目を向けた先見性を有する企業家精神に驚かされるとともに、学ぶべき点の多さを知ることとなります。

一方で、技術革新に力を注ぎ、おはぎについての「急速冷凍技術」を開発し、1999(平成11)年には製法特許を取得するに至り、さらにはHACCP(通称「ハサップ」。危害要因分析必須管理点。)やISOを逐次取得し、「食の安全・安心」には万全の体制を確立し、その結果として、国内のおはぎ市場の約10%のシェアを誇り、安定した輸出実績を誇るに至っているのだろうと理解できます。

 

世界が認めた国内シェア10%を誇る「おはぎ」。

吉川食品(株)の代表取締役社長である吉川幸宏(よしかわ・ゆきひろ)さんとの出会い。

2009(平成21)年とその翌年、2年連続で「世界食品コンクール モンドセレクション」にて銅賞を受賞し、特におはぎでの受賞は世界初の快挙だったのですが、2011(平成23)年2月には平成22年度貿易・投資貢献企業として「北海道経済産業局長表彰」を受賞されました。

吉川食品さんのことは「すながわスイートロード」の取材を通して承知しておりましたが、偶然打ち合わせに出かけていた北海道経済連合会で、「今晩、吉川食品さんの受賞をお祝いするささやかな会を開くので、渡辺さんも割り勘ですが、同席されませんか」とお誘いいただいたことが、吉川幸宏社長との偶然の出会いとなったのです。

「幸宏という漢字まで同じ方と出会ったのは、人生初めてですよ」という吉川社長さん。年齢が近いということもあり、意気投合し、「今度は小樽で、ホルモン焼き「やしま」さんに一緒に行きましょう!」と。

こういう時期だからこそ、異業種交流を大切に頑張りたい。

餡の材料となる小豆をはじめ、商品の素材は北海道産にこだわり、その素材のよさと顧客のニーズにきめ細かく対応した「味」の提供力が、アメリカ、カナダ、イギリス等の欧米諸国に加え、アジアの約10か国への年間約28万パックといった安定した輸出実績に現れているのでしょう。

「宗教上の素材への考慮も当然ですが、海外に駐在され奮闘される日本人の皆さんに、祖国・日本を懐かしんでいただける商品を提供したいのです」と語られる吉川社長の心は、実に前向き。

実は、今年の2月から、「自社商品でブランド力を高め、北海道に根付いた事業展開を図りたい」という思いから、約40年強のときを経て、こちらも北海道で注目を集めている砂川の生活雑貨・化粧品製造販売「ローレル」さんがパッケージデザインを担当し、札幌市内の百貨店で自社商品での販売を始めました。

世の中本当に狭いもので、「かわにしの丘 しずお農場」の今井社長と吉川社長が、数日前に偶然上海での北海道物産のPRイベントで一緒になったそうで、どのような話になったのか分かりませんが「共通の知人である渡辺さんの話題で盛り上がりました」と(苦笑)。

北海道内で頑張っている企業家同志がお互いの「よさ」を理解し、行政の手を借りることなく相乗効果を高めていこうとする姿勢には、本当に頭が下がります。国内・道内経済の冷え込みが厳しくなる中、努力している北海道の企業。海外を旅していて「和菓子」を見つけたら、是非そうした努力の一片でも思い出していただければ幸いです。