from 岐阜 – 8 - 長良川母情 第8話 ~68歳の常夏娘! 大和町のフラガール、リッチャン~

(2009.07.14)

浜辺に打ち寄せる波。灼熱の太陽に背伸びでもするかのような椰子の木。ハイビスカスの咲き乱れる木陰では、茶褐色の肌をした娘たちがゆったりとフラを舞う。そう、ここは常夏の楽園「HAWAII」。って、「長良川母情」の取材先が「ワイキキビーチ」であろうはずはない。あまりの暑さで朦朧とし目も霞んだか? 両目を指先で押して見る。だがどこからどう見ても目の前に立ちはだかる光景は、日本各地の山間(やまあい)で見かける長閑(のどか)な農家だ。

「ああっ!」。「あれ全部私がコツコツと描いたの!」。納屋の真っ黒な壁面が、日本の原風景の中に突如として現れたワイキキビーチに占拠されている。「中の庭も南国ムードたっぷりよ」。ほんの2時間ばかり前に知り合ったばかりの律っちゃんは、そう言いながらぼくを中庭に招き入れた。なるほど庭の中心に横たわる池の周りで、南国ムード満点に色とりどりの小物たちが真夏の太陽を弾き返す。「ちょうどお昼やし、お弁当ついでに頼んどいたから一緒に食べよ!」。レディーのお誘いとあらば、断るのも無粋。早速ご相伴に与(あずか)る事に。

ぼくの一番新しいガールフレンド「律っちゃん」は、本名清水律子さん(68)。長良川鉄道の郡上大和駅を東へ向かった、156号線手前の喫茶店「横道」のママさんだ。律っちゃんは、昭和36年に製材業の二代目を継ぐ故真志(まさし)さんと結婚。一男一女に恵まれた。「青年団のフォークダンスで出逢って、私に一目惚れやて」。しかし家業の製材業は、輸入材の普及と共に衰退の憂き目に。「子どもが小学校へ上がったころ、いつか自分で店開こうと調理師免許取ってね。それで昭和46年に開店したんやて。でもそれが大変やったんやて。親戚中から『水商売はあかん』って、挙句に家族会議で大揉め」。律っちゃんは一人大笑い。

それから10年の歳月が流れたある日。「小さな竹の橋」というハワイアンの名曲に心奪われることに。「『ああ、私も踊ってみたい!』って、魂が掴み取られるような感じ。でもまだ子育てもあるし、その想いは心の奥にしまい込んだんやて」。目まぐるしい日常の中、すっかりフラへの想いも消え入りそうになった頃、夫が癌を発病。「治療が始まって、残りの人生二人で一杯思い出作ろうって、旅に出るようになったの」。そんな日々が3年も続き、癌の進行も止まったかに見えた。「主人もすっごい元気になって来て。『こん時やあ』って、フラの教室に通いたいって切り出したの」。しかし半年後に容態は急変。「結局156日間も病室に泊り込むことに。でも主人とよく笑ったわ。『三食据え膳で二人っきり。まるでリゾート気分やね』って」。今年七回忌が無事営まれた。「でもフラのお友達が一杯だから、寂しくなんてないし、お店は午前中だけ開けてお客さんに遊んでもらってるの。呆け防止にね」。フラガールの母、律っちゃんは真夏の太陽を恋しそうに見つめた。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年8月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

リッチャン母さんとはその後も縁あって、茶畑画伯ともども、数多のボーイフレンドの末席に仲間入りさせていただき、今も互いに行き来している。リッチャンのフラダンスの大会を観に行ったり、名古屋の居酒屋で忘年会をしたりと、未だ青春真っ盛りの常夏娘リッチャンは、人生を誰よりも楽しんでいる。

 

Googleマップ: 8 大和町 横道

より大きな地図で エリアナビ from岐阜 を表示