from パリ(たなか) – 70 - フェット・ド・ガネーシュ(Fete de Ganesh)。

(2010.09.06)
象を見ると花祭りを連想してしまう仏教徒(というほど熱心ではないが)の私。金ぴかの装飾品を身にまとった黒い象も、なかなか素敵だ。

8月最後の日曜日に、パリ北駅の北側周辺でヒンドゥー教のお祭り「フェット・ド・ガネーシュ」があるよという情報を稲葉さんが教えてくれた。ヒンドゥー教がインド起源の多神教くらいは知っていたが、ガネーシュって何だ? グーグルで検索したら、破壊と創造の神シヴァの息子で、象の頭を持ち、小太りで太鼓腹、商売と学問の神様だということがわかった。ガネーシュの祭りでは、どうやらパレードがあるらしい。時間とコースをホームページで調べ、日曜日の昼前に地下鉄2号線のラ・シャペル駅まで行ってみた。このあたりは地下鉄とはいえ高架になっていて、電車の窓から下の通りが見える。すでに祭りは始まっている様子だ。
 

神々へのお供え

地下鉄の改札を出たら、そこはインドの街の雑踏だった。(インドへ旅行したことはないが)パリ中、いや近郊からもインド人が集まったのだろうか? 褐色の肌に大きな目と長い睫毛、彫りの深い顔立ちの女性が、原色のサリーをまとい音もなく歩いている。通りに並ぶインド人の商店は花で飾られ、店先にはバナナやココナツなどの供物が置いてある。線香のなつかしい匂いや、どこか甘酸っぱい南国の香りも漂って来るようだ。
 

これで準備万端怠り無しっ、と。おじいちゃん、私のおやつ忘れてない? ラ・シャペル駅付近で。
この商店の前は、とりわけ派手な飾り付けだ。地元TVの取材を受けている様子。ガネーシュを奉って商売繁盛、不景気風を吹き飛ばせ。
ココナツのピラミッド。黄色い粉はウコン(ターメリック)だろうか? ココナツを道路に投げつけて割るので、みこしの行列の後は破片が散らばっている。
ラ・シャペル駅のすぐ北側にあるガネーシュ寺。タジマハルとは言わないまでもインド風の寺院を期待しつつ、地図を見ながら行ったのだが、普通のマンションの一室だった。信者たちが裸足になって祈りを捧げる。この祭りの総本山?

 

踊りと音楽

サン・ドニ通り(10区)を北駅の方へ進むと、雑踏の中に小さな輪が出来ていた。鼓(つづみ)のような甲高い太鼓の音が早いリズムを刻み、トランペットの間の手が入る。狭い輪の中で両手を広げ、廻りながら踊る人がいる。祭りを見る群衆と、祭りの主人公たちがすごく近い距離で渾然一体となっている。この踊りの輪は行列の一部なんだろうか?様子がよく掴めないまま人波にさらにもまれて行くと、また別の音楽が聞こえてくる。バス・クラリネットのようなリード楽器を数人で自由に吹いている。なんだか解らないまま、エキゾチックな力強い旋律にくらくらしそうだ。民謡のようでもあり、ジャズっぽくもある。エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』というレコードを急に思い出した。

ターバンを巻いた男たちが、太鼓を叩き、ラッパを吹き、そして踊る。人混みの小さな輪の中で、祭りを見る人と祭りに出る人の境界が一瞬消滅する。
この木管の笛、バス・クラリネットのようなオーボエのような不思議な音色だ。リードが付いたチャルメラ系なので、なつかしく感じるんだろうか?
ピンクのシャツの大柄な女性は踊りっぱなしで、半ばトランス状態だった。かく言う私も、行列を追いかけて写真を撮り続けたのだが。

 

二つのみこし、というか山車。

民族音楽を聞いていると、みこしを引く行列が見えてきたので、我ら見物人は道を開ける。上半身裸の男たちが威勢良く綱を引き、目の前を通り過ぎる。みこしの後には、女性たちが連なる。しばらく間を置いて、別の形のみこしがやって来た。このみこしは何故だか女性たちが引いている。みこしの中には、人の良さそうな太鼓腹の男性が乗っていた。ガネーシュなのだろうか?よくわからない。みこしの後にはたくさんの男女が続き、ヒンディーらしき言葉で、なにやら歌うような、経を唱えるような、みんなで合唱している。ここはデリーかムンバイか?
 

褐色の肌の、裸の男たちがこれだけ揃うと勇壮だ。肉付きがいい小太りのおじさんが多いのは、なにか理由があるんだろうか?ガンジスで沐浴する痩せたインド人の写真はウソだったのか?
紅白の鏡餅みたいな屋根のみこしには何が祭られているんだろう?後には女性ばかりが続いていた。
2台目のみこしは、女性だけで綱を引いている。みこしには、最近見かけなくなった拡声器が付いている。一人が音頭をとるとそれに合わせて全員が唱和する。お経とも歌ともつかない、ヒンディーなのか意味もわからないが、一心に祈るような印象。
みこしに乗った太っ腹おじさん。毎年、祭りの日に、ガネーシュ役の男性が選ばれたりして。彼は太鼓腹でなくてはいけない、象の頭はちょっと無理だけど。

 

祭りの人々

祭りの行列でラッパを吹く人、踊る人、供え物をする人、線香を焚きながら付いて歩く人、見るだけの人、ひっくるめて全員が祭りに参加している曖昧な一体感が、なんだか心地よい。インドにおいては、ヒンドゥー教は仏教も含んでいるらしいので、なんでも有りか? 行列が通る時に、道路にココナツを投げ付けて割れる音が時おり響く。通りのあちこちで白いジャスミンの花だろうか、数珠のように糸に通して繋いだものを配っていたり、道行く人に缶ジュースを振る舞ったりしている。女性は頭に素焼きの鉢を乗せ、線香を焚いているのか、煙だけでなく時々赤い炎も上がっている。祭りに集まった少女たちの長い髪は、墨よりも黒い。裏通りでカレーライスを配っていたので、私も食べてみたかったが、カメラを持てなくなるので諦めた。スプーンなし、指で器用に食べなくてはいけないし。
 

行列の周りには、頭に素焼きの鉢を載せている女性をよく見かける。線香の煙や、炎が立ったりしている。両脇の草は何なのだろう。
ドキッとするような目鼻立ちの少女を見かける。みんな髪を腰まで延ばしている。
寺院の裏手で、カレーライスが振る舞われていた。私も食べたかった。手づかみで食事をした経験は、まだない。カメラが持てなくなるし、残念ながら諦めた。
ジャスミンの髪飾りと、白い刺繍が付いたサリーをまとった少女は、なかなかカメラを向いてくれない。それにしても、露出合わせが難しい。

 

孔雀の踊り

二つのみこしの行列はラ・シャペル駅のガードをくぐり、マルクス・ドルモワ通りを北へ進む。行列を追い越して先へ進むと、またも太鼓と笛の音が聞こえ、四つ角に人だかりがしている。人ごみの輪を中心へ向かうと、孔雀の羽根を背負子に付けた上半身裸の男たちが十数人、ばらばらに廻りながら踊っている。静かだが激しい。クラリネットのような笛が早い旋律を吹きまくる。ジャズも現代音楽も追いつけない。太鼓の甲高い乾いた音が静かな通りに響く。踊りの輪に近づきすぎたのか離れて見ることができず、目の前を孔雀の羽根がわさわさと動く。目の前の踊り手はよく見えるのだが、舞踏の全体が掴めない。時々、水しぶきも飛んでくるし、男の背中の汗の匂いもしそうだ。むかし、新宿花園神社のテント芝居でも見ているような熱気と、ある種の息苦しさ。きょうは、インドに肌で触れた、かもしれない。

腰布を纏っただけの裸の男たちは、各人ばらばらに、小さく輪を描くように廻って踊る。背負子の四隅には孔雀の羽根を束ね、造花で飾ってある。笛の音が、孔雀の鳴き声のようにけたたましくパリの街に鳴り響く。
私には、孔雀の踊りが祭りのクライマックスのように思えた。クラリネットのような笛のインプロヴィゼーションが今でも耳に残っている。
タブラと呼ぶのだろうか、日本のつづみに似た音色の太鼓は、石造りの建物が多いパリの通りにひときわ強く響き渡る。

 

象の行列

18区のマルクス・ドルモワ通りをさらに北へ行き、オルドゥネル通りを左へ折れたあたりで、ようやく行列の先頭(だと思われる)が見えた。私は、ずっと行列を逆行していたことになる。そこには、金の帽子、金の首輪、赤い鞍を掛けた立派な象がいた。もちろんハリボテだが。象の足元に飾ってあるのがガネーシュ神の像のようだ。鉾のようなものを持つ女性が象の後に続く。鉾には孔雀や象の刺繍が見える。そもそもは、しずかな時代行列のようなお祭りなんだ、おそらく。孔雀の背負子のダンサーや、紅白の花笠風の男たちもここでは静かに歩いている。しかし、お祭りはやっぱり、音入りの乱舞もないとね。

奈良の遷都クンでなくとも、シルクロードを感じてしまう行列だ。日本とインド、インドとヨーロッパは昔から絹の道で繋がっている。
孔雀の踊りをしたダンサーたちも、静かに行列する。
青い馬に乗った赤いターバンの男は、インド人にはきっと馴染みのキャラクターなんだろうな?

 

このガネーシュ祭りのことは、ネットで検索しても詳しい情報はなく、私が書いたこの記事には間違いや勘違いがたくさんあるかも知れない。しかし予備知識をほとんど持たずに祭りに飛び込んでみて、とても面白かったし、懐かしい思いや開かれた感じも受けた。この祭りを通して、パリの一番いいところ、世界中のいろんな人たちを等しく受け入れる文化を見る思いがした。なんだか、パリの太っ腹に触れたような。