from バスク – 9 - サン・セバスティアンのシンボル。

(2010.01.04)

この鉄の塊は、サン・セバスティアンではあまりにも有名。ペイネ・デル・ビエント(Peine del Viento)、直訳すると「風の櫛」という名前のこの作品は、エドゥアルド・チジーダ(Eduardo Chillida)というサン・セバスティアン出身の彫刻家の作品。写真には入りきらなかったが全部で3つの作品で1つになっていて、サン・セバスティアンの有名なコンチャ湾の一番西にある。土産物屋にはこの写真や絵の入った小物やTシャツがたくさんおいてある。サン・セバスティアンのシンボルである。

この作品が出来たのは1977年で、チジーダと、同じくサン・セバスティアン出身のスペインを代表する建築家のひとりルイス・ペニャ・ガンチェギ(Luis Peña Ganchegui)の合作。海や風の浸食や劣化に強い鋼を使いそれぞれ11tもするこの作品は、「櫛でとくように町を吹きぬける風」を表している。そして、チジーダが「海、風、鉄、岩が互いに語り合える場所」を求めた結果、いまの場所が選ばれ、設置するためにわざわざ海上にレールと足場を建設した大掛かりなものだった。チジーダは「ペイネ・デル・ビエントは、未来への問いかけ、そして風と多くの称えるべきものと私の町ドノスティア(サン・セバスティアンのバスク語名)への賞賛である」と言葉を寄せている。

彼の手がけた作品は街でたくさん目にすることができる。上の写真にあるように、バルの壁にかかった彼の画、ぼくの通うバスク大学のロゴ、サン・セバスティアンの銀行クッチャ(kutxa)のマークや、彼の画の入ったファイルをおく文房具店、彼のデザインしたアクセサリーをおく店などなど。彼の特徴的なデザインは、見ただけでそれが彼の手がけたものだとすぐに分かる。ペイネ・デル・ビエントだけがサン・セバスティアンのシンボルというよりも、町にあふれる彼の作品全てがサン・セバスティアンのシンボルと言っていいだろう。

1924年にサン・セバスティアンに生まれ、マドリーで建築学を学び始めるものの中退して、彫刻美術の学校へ入り、その頃から自然を扱った画を描き始める。この間、サン・セバスティアンのサッカークラブ、レアル・ソシエダの選手だったことも、地元の人の心を掴むのかもしれない。彼は独創的なものを描くために、あえて利き手ではない左手で描いていたというから、その独自性は画を描き始めた初期からしっかりと彼の中にあったことが分かる。

マドリーからパリへと勉強の場を移し、そこでたくさんの画家や作品などに感銘を受けた。またこの頃は主に石膏で作品を作っていた。そして、初めての展示会をパリで開く。その後、結婚をし、子どもが産まれ、サン・セバスティアンに戻るが、パリの作品を持ち帰った際にその多くが壊れてしまったことから、彼はこの手法で作品をつくりつづけることの限界を感じ、またこれは新しい道へのきっかけと捉えた。そこから彼の作風が変わり、彼の代表的な作品の大半のように鉄や酸化しにくい牛の角の粉を使った作品になっていった。

1956年に初めての賞となる、ベネチア国際彫刻大賞を受賞すると、フランス、スペイン、ドイツ、ロシア、ユーゴスラビア、アメリカなどたくさんの国で賞を受賞し、また数多くの国で個展を開いた。その中には、東京国際版画ビエンナーレでの外務大臣賞(1976年)や高松宮殿下記念世界文化賞(1991年)もある。彼はスペインよりも世界で評価された、と言われているが、彼は受賞賞金をバスク民族誌学団体に寄付したり、バスク語社会のためのポスター制作に関わったりと、常にバスクのことを意識していたことがうかがえる。

まるで巨大な人間かなにかがいたずらして曲げたかのようなこの形が彼の作品の特徴。ぐにゃっと曲がった鉄、すべすべの石、2つのようで1つの石、どれもこれも思わず「何これ」と作品に近づいてみたくなる。
作品をよく見回してみると、この印がある。これはどうやらチジーダのサイン。何とも簡単な。漢字にもみえなくないな。一緒に行った人と「どこにあるかな」なんて言いながら探すのも楽しい。
カセリオの2階にあるこの大きな作品がぼくは好きだ。時間が経っても色あせない、彼の作品が与える新鮮な印象は、きっとその独創性の賜物だろう。「新鮮」は「新しい」。いつまでも彼の作品は新しさを感じさせてくれる気がする。

そんな彼の作品が多く展示されているチジーダ・レク(Chillida-Leku)がサン・セバスティアンの隣にあるエルナニ(Hernani)村にある。ちなみに、lekuとはバスク語で「場所」を意味する。ここは12haの広い土地に巨大な作品から小さな作品まで40点ほどおいてあり、自由に芝を歩き回りながら見て周ることができる。鋼でつくられたものや花崗岩や大理石でつくられたものなどたくさんあるが、どれも不思議な独特な形をしている。しかし、ただ大きいだけじゃなく、みる角度によってその作品のみせる顔が違うのが、彼の作品をみる上で面白い点だろう。大きな鉄の塊にみえたけれど、反対側に周ると中が空洞だったり、石が石に刺さったようにみえるけれど、実はひとつの石だったり。大人も子どもも作品の周りをぐるぐるぐるぐる周りながらみてしまうこと間違いなし。彼の大きな作品がこうして屋外に置かれているのも、やはり彼が自然を常に意識して作品作りをしてきたからだろう。ペイネ・デル・ビエントをはじめ、多くの作品が自然の風景の中にある理由と、それがどうして評価されてきたのかは、ここの風景をみると分かるだろう。

広い芝の中に建つ家は、バスクの伝統的な農家カセリオ。16世紀後半に建てられたこのカセリオをチジーダが1983年に買取り、そこから修復を重ね、工場として利用し、また周辺の土地も買取って、2000年に美術館になった。この中には比較的小さな作品が多いが、初期の石膏の作品やデッサン、鉄で作った作品などが展示してあり、ぼくはこれらをみて彼の作品への印象が変わった。また、このカセリオも立派なもので、柱に入った亀裂や壁に触れたりするのも面白かった。

彼の作品がみられるのはチジーダ・レクやサン・セバスティアンに限らず、たくさんの町にある。バスクでいえば、ゲルニカの「我々の父の家に(Gure Aitaren Etxean)」やビトリアのフエロス広場などがある。他にもバルセロナの王の広場やコルドバやヒホンなどにもある。そして、欧米を中心に他の国々にもあるが、実は日本にもある。神奈川県松田町に「北斎への賛辞」(Homenaje a Hokusai)という作品がある。しかしこれは未完成のままらしい。この作品についてのビデオが美術館でも売っているので、その様子をみることが出来る。

彼のバイオグラフィーを全て読んでみたが、彼を支える人が必ずいつもそばにいた。それは妻のピラール(Pilar)だったり友人のホセ・クルス(Jose Cruz)だったり。他にも、彼が個展を開く時、賞に選ばれるとき、必ず誰か彼を評価してくれる人がその手伝いをしていたことが読み取れた。自然を敬い、バスクを想い、そして独創性を求めたチジーダの作品は、またこれからボクの目には違ったようにみえるかもしれない。また彼の作品を探しながらバスクの町を歩いてみたいと思う。