Par-delà le Pont – 8 - シャンジュ橋(Pont au Change)お金も、お金以外も色々な
交換を見届けてきたシャンジュ橋。

(2011.04.18)

こんにちは!

少しずつ空気が春らしくなってきましたね。
みなさまはお元気ですか?

関東以西では、そろそろ桜も散り始めている頃でしょうか。みなさまの地域の桜はいかかですか?そして東北では、そろそろ桜が花開き始めるみたいです。桜がいつもの年と同じように日本中を、明るい希望の光で暖かく照らしてくれますように。

さて、セーヌ川に架かる、パリ市内30本の橋を追っていく連載。「マレ/シテ島地区」シリーズ・第8回目の今回は、シャンジュ橋を渡ります。どうぞよろしく、お付き合いいただけたら嬉しいです。

活気に満ちた、商業の中心地「両替橋」。
前回ご一緒したノートルダム橋をシテ島側に渡って、セーヌ川沿いを西へと歩いてみます。数分すると左に見えてくる商事裁判所を通り過ぎたところで、右岸へと架かっているのがシャンジュ橋です。

「シャンジュ橋」は、日本では「両替橋」と呼ばれていますね。中世から18世紀にかけて、この橋の上にはたくさんの両替商があり、それが名前の由来になったそうです。両替商だけではなく橋にはお店が密集して建ち、商業の中心でした。今でもこの橋はシテ島と右岸を繋ぎながら、南でシテ島と左岸を繋ぐサン・ミッシェル橋とともに、パリ市内を南北に走る交通の軸となっています。

さて、この場所にガロ・ローマ人が最初の橋を架けたのはかなり古い話で、現存する中でもっとも古い橋であるポン・ヌフ橋が出来るよりもかなり前だったということです。やがて872年には、石造りだった橋が木製にかわり、「ロイ・メディエヴァル橋」と呼ばれます。そして1141年にはルイ7世の命でパリのすべての両替商がこの橋の上に集まることになり、現在のように「シャンジュ橋」として親しまれるようになりました。

6階建ての家が並ぶ橋から、「N」の橋へ。

その後、1280年からの350年あまりで、8回にわたって洪水やら火災やらで橋が壊れるという大変な目に遭います。単純に考えるとおよそ43年に1度は壊れるハイペースだった計算になりますが、14世紀から16世紀までは100年に1度しか壊れず、「これなら何とかやっていけるかな?」というところで、17世紀に入って立て続けに壊れるようになり、これはちょっと商売するにも落ち着かないと気づいた両替商たちが持ち出しで橋を再建する許可を国王からもらい、1647年に石造りのアーチ橋を完成させます。この橋の両側には6階建ての家が並び、経済の中心地らしく相当な賑わいだったとのことです。家の1階はたいてい宝石、香水、骨董品なんかを扱う店だったそうで、1階に高級店が入るのは当時も今も同じですね。ただ残念ながら、1788年に建物はすべて取り壊されることになってしまいました。

現在のシャンジュ橋が建ったのは、1860年。少し前に出来たサン・ミッシェル橋のデサインをモデルに同じ技術者が手掛け、3つのアーチを持った石造りの橋となりました。橋脚には、月桂樹の中に「N」の文字が入る意匠が入っています。これも、サン・ミッシェル橋と仲良くお揃いのようですね。ちなみに「N」は、皇帝ナポレオンの象徴だそうです。

中世の頃、この橋の上では野鳥の業者が商売をすることが認められていて、日曜日や祝日には、ノートルダム寺院へ礼拝に行くフランス王の通る道に、鳥を放したりしていました。何だか、のどかな感じですね。近世になってからも橋の上で、「鳥市」や「花市」なんかが開かれていました。その名残なのか今でもシテ島では「鳥市」や「動物市」や「花市」がかなりの規模で開かれ、「やっぱり動物や自然は心が和むなあ~」という顔をした皆さんがたくさん集まっています。筆者もかつては皆さんと同じ顔をして「動物市」の常連となっていたことがありまして、白いふわふわの毛をしたウサギを買ってしばらく一緒に暮らしていました。ウサギはまあ売っててもいいとしても、サルやペンギンやシマウマやクジャクまで普通にいたような記憶がありまして、動物園なの?と訊きたくなる感じでした。

両替橋で交換するのは、お金だけではない?

というわけで、ターミナル駅となっているシャトレ駅がある右岸のシャトレ広場から、のどかなで優しい雰囲気をしたシテ島に誘ってくれる気の利いたシャンジュ橋でした……といい感じで終わりたいところなのですが、実は右岸からシテ島に渡る時、すぐ右に見えるのはご存知、コンシェルジュリーなんです。コンシェルジュリーは14世紀後半から牢獄として使われていたんですが、フランス革命の時には3000人近い王侯貴族が収容され、そのほとんどがギロチンで処刑されました。マリー・アントワネットもその一人ですよね。そして、囚人がコンシェルジュリーを出入りする時に必ず通ったのが、シャンジュ橋なんだそうです。

マリー・アントワネットをはじめ王侯貴族だった彼らは、コンシェルジュリーに入る時に何を思ってシャンジュ橋を渡り、そして何を思ってコンシェルジュリーを出て処刑場のコンコルド広場に向かいながらシャンジュ橋を渡っていたのでしょうか。何も考えられず、ただ運命が容赦なく自分の持ち物を他の物と交換していくさまを眺めることしか出来なかったかもしれないですね。王侯貴族としての華やかな生活の代わりに暗い牢獄での生活を、あるいは生の代わりにギロチンによる死を。そして橋の名前である「シャンジュ」──「交換」という言葉に思いを馳せた皆さんもいたりしたんでしょうか。

シャンジュ橋はパリにしかないですが、我々の人生にも折に触れて色々な「橋」が現れますよね。そして思いきって橋を渡ってみるたびに、やっぱり「交換」をしているのかもしれません。お金と物の交換だけでなく、心や愛情、目に見えないもの同士の交換も。さらには、交換したことに気付かないようなものもあるかもしれないです。

出来れば律儀な両替商のように、せめて失ったものと同じ価値のものをちゃんと与えてくれる等価交換を、運命にお願いしたいですよね。さらには失ったもの以上のものをたくさんくれてしまう、おっちょこちょいな両替商みたいな運命と、たくさん取引していきたい感じですよね~。そういえば、私たちが何も特別なことをしなくても毎年きれいに咲いてくれる桜は、そんな両替商の取り計らいの一つなのかもしれません。

アルシュヴェシェ橋へ。

シテ島から右岸に架かるシャンジュ橋、いかがでしたでしょうか。今回まで3回にわたって、シテ島から北の右岸に架かる橋をご一緒してきました。これからの4回では、シテ島から南の左岸に架かる橋を見ていきたいです。次回は少し東に戻って、シテ島の東端と左岸を繋ぐ、アルシュヴェシェ橋を渡ります。

Pont au Change
シャンジュ橋

竣工:1860年
長さ:103m
幅:30m
建築家:ポール=マルタン・ガロシェ・ド・ラガリス
形式:アーチ橋
素材:石
最寄駅:Châtelet駅(メトロ1、4、7、11、14号線)
付近の観光スポット:コンシェルジュリー