from 岐阜 – 11 - 長良川母情 第11話 ~35年前の父の帽子と涎掛けで、愛娘の宮参り~

(2009.08.04)

鬱蒼(うっそう)とした檜の老木が、社(やしろ)の来歴を物語る。楼門(ろうもん)へと続く苔生(こけむ)した石組みの太鼓橋。禊(みそぎ)落しのように、古人(いにしえびと)たちはこの橋を渡り神々を詣でたであろうか。境内から玉砂利を踏む音と拍手(かしわで)を打つ音だけが、静まり返った杜(もり)に響く。家内安全、身体健康、商売繁盛。晴れ着をまとい願いを込め打ち出す拍手(かしわで)の数だけ、新年への庶民の祈りがあった。

美濃市洲原神社。美並から南へと下った長良川が大きく東へと蛇行し再び南下する。気も遠のく太古に、ここに洲が広がったのだろう。大自然の壮大な物語に感じ入っていると、社務所へ向かう三世代の家族連れが。本殿を目指す年始の参拝客とは、向かう先も異なる。どうにも気になって近付いてみれば、やっぱり。お婆ちゃんと呼ぶには忍びないほど若い祖母が、純白の産着をまとわせた赤子を大切そうに抱いたまま社務所の中へ。初孫か、祖父母の顔には、晴れやかさと心持ち緊張した面持ちが同居している。

かつて母の遺品を整理していた時のこと。小学校の修学旅行土産に買った、京都八橋の缶箱が現れた。既に数十年の歳月で錆付いている。母はこんなものまで仕舞い込んでいたのだ。蓋を開けると、古惚けた母子手帳が。ぼくは一人っ子だから、母にすれば最初で最後の我が子の記録だったわけだ。黄ばんで敗れたビニールカバー。手帳全体に浮き出た幾筋もの染みは、ぼくが生きた半世紀近くの年輪のようだ。ページをめくると、母の声がした。「あんたは逆子で難産だった。産まれた時は窒息寸前、全身紫色だわ。取り上げてくれた産婆さんが『こりゃあいかん』って、小さな足首掴んで頭の上でグルグル振り回して。それでやっと産声上げたんだわ」。ぼくの生死の境が記録された手帳。しかし二歳を目前に伊勢湾台風が直撃。当時のわが家は、名古屋市南区のアパートの一階だった。台風と満潮が重なり、水位がもの凄い勢いで上昇。父母はぼくを抱え、命からがら二階へ非難。わが家は完全に水没し、家財道具も何もかも失った。しかし母は瓦礫の中からこの母子手帳を必死に探し出したのだ。変色した一冊の母子手帳。だがそれは、母との思い出の彼方へと旅立つ、この世にたった一つだけのパスポートだった。

お宮参りを終え晴れ晴れとした表情で、三世代家族が境内へと戻って来た。「これは息子が35年前に、お宮参りで使った帽子と涎掛(よどか)けなんやわ」。祖母の藤井玉枝さん(60)は、初孫を抱いたまま息子を見つめた。「まだそんなんが取ってあるって言うもんで。でも意外と綺麗で」と、父孝仁さん(35)が笑う。「せっかくだから娘の美緒の、お宮参りにも着けさせようって」。母真由美さん(34)は、愛娘の真っ赤な頬を指先で突いて見せた。「30年前に岐阜市内から関市へと引っ越して来て、今はこの神社がわが家の守り神様なんです」。祖父美彦さん(61)も笑顔満面でカメラを構え、記念写真のシャッターを押し続ける。幸せなこのひと時の一瞬が色褪せないように。幸あれ!藤井家、親子三代に。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年1月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

「親戚中から『新聞で見たよ。初孫のええ記念やなあ』って、そりゃあもう喜んでもらえました」と、祖父の美彦さん。日に日に愛らしさを増す初孫に、ますます首っ丈のご様子だ。

 

Googleマップ: 11 エリアナビ:11 洲原駅

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*地図のポイントは、岐阜県美濃市洲原で検索した場所です。