from 北海道(道央) – 63 - 民間主導の開拓者として、
「チャレンジャー」たる十勝。

(2012.09.12)

目指せ「ソチオリンピック」での金メダル。

日本選手の活躍もあり、盛り上がった「ロンドンオリンピック」もつい先日終わった。多少気は早いが、今度は2年後、2014(平成26)年2月7日にロシアのソチで開幕する「第22回冬季オリンピック」での日本選手の活躍に期待が膨らむ。
 
冬季オリンピックと言えば、スキーとスケートが中心になるが、取り分け北海道の十勝地方では、帯広市出身の清水宏保、池田町出身の長島圭一郎といったスピードスケートの名選手を輩出してきた歴史がある。
 
選手個人の優れた資質に加えて、「勝つ選手」が育成されるためには、練習環境も極めて重要な要素であることは間違いない。

2009(平成21)年9月、日本国内では長野県の「エムウェーブ」に次ぐ本格的な屋内スピードスケートリンクとして、十勝・芽室(めむろ)町にある帯広の森運動公園内に「明治北海道十勝オーバル」が完成した。

先日機会があり、この施設を見学させていただいたが、本格的なスケートリンクに加えて、トラック外周のランニング走路、トラック内側にある多目的コート、各種練習機器の充実振りには圧倒された。
この屋内リンクで練習を重ね、スピードスケート王国「十勝」の名声が一層高まることを祈るばかり。

玄関に入ってすぐに、世界記録、国内記録、リンク記録が掲示板に表示されていて、選手としては、この数字を目標としようというインセンティブを受けることになるのだろう。
見事に製氷されたリンク。温度管理を含めて、維持管理にご苦労されていることが理解できる。
十勝には民間による開拓史が息づく。

ところで、その十勝地方の歴史を紐解くと、古くは江戸幕府による松前藩の設置、明治以降札幌に置かれた「開拓使」による官営開拓とは異なる歴史が存在する。
 
依田勉三(よだ・べんぞう。1853(嘉永6)年5月15日~1925(大正14)年12月12日)は、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広を開拓した。

伊豆国那賀郡大沢村(現在の静岡県松崎町)の豪農の出とされる勉三が北海道開拓への志を持ったのは1879(明治12)年のことと言われているので、ちょうど26歳のときであろうか。その後、自身による北海道の調査を行い、帯広の開拓を目的として「晩成社(ばんせいしゃ)」を設立し、実際に帯広に移り住んだのは1883(明治16)年のことである。
 
羊や豚の飼育からハムの製造、小豆・大豆の種苗、バター工場の創業など、現在の帯広を中心とする十勝地方の「農業や酪農を中心とした産業の礎」を築いた人物として、札幌の北海道神宮内に設けられる「開拓神社」の祭神の一人として、現在も北海道開拓に重大な功績を残した一人として敬われているのだ。偉大なる「チャレンジャー」とも言えよう。

とは言え、開拓初期の生活の苦しさを後世に伝える言葉として、「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」という言葉が残されている。来客が「豚の餌か」とさえ勘違いするほどの粗末な食事しか口にすることができなかったとの記録が、文献に散見されるなど、今日の「十勝の実り」は先人の偉業の下にあることを忘れてはならない。


左・依田勉三の碑。十勝に住む人のみならず、北海道の開拓、開発に携わった人間であれば、彼の功績を知らない人はいない。
右・「やっぱり十勝はフードバレー! とかち野」とエチケットに記載された池田ブドウ・ブドウ酒研究所のマグナムボトル・ワイン。

「帯廣神社」に、十勝野の繁栄を祈る。

この依田勉三の碑があることを知り、十勝総合振興局近くに足を踏み入れてみると、大きな鳥居があり、神社の敷地面積も広大な神社があることを発見することになる。
「帯廣神社」である。
 
この帯廣神社、「晩成社」が1860(明治23)年に「祠」を建てたことに由来するという説もあるが、1910(明治43)年の神社創立願の北海道庁への提出を持って建立されたとされる。
 
境内を歩いてみると、その右奥には「護国神社」が配置されている。旭川には「北海道護国神社」と呼ばれる大きな神社が独立して建立されているが、北海道内でも各地に殉職者を祀るための社が設けられていることを知るのである。
 
十勝地方は、十勝沖地震という規模の大きな地震に定期的に襲われることも分かっていることから、大地の平穏、そして、先人たちが築いてきた農業を中心とした「十勝野の反映」を、これからも享受することができるよう、地域の皆さまの心の拠り所にもなっているのだろう。

敷地面積が広大な「帯廣神社」。
帯廣神社の境内に建つ「帯広護国神社」。
キーワードは「チャレンジャーたれ」。

冬場の厳しい冷え込みなど、十勝特有の気候条件を克服し、現在では畑作や酪農の北海道での一大拠点となっている十勝。食材の質や量は言うに及ばず、帯広市内で美味しい食材を使った料理を提供したいと「北の屋台村」ができたのは2001(平成13)年7月のこと。開店した年に偶然足を運ぶ機会があったが、信じられないくらい美味しいトマトのサラダをいただき、トマトに対するモノの見方が変わった経験を筆者は持っている。この「北の屋台村」にて、経営に関するノウハウを伝授し、起業に向けたサポートを受けることができる「起業塾」を経て、その後「北の屋台村」を巣立って個人のお店を経営している方もいらっしゃる。いわば、「新たなチャレンジャー」の修行の場でもありつつ、長くここに店を構えていらっしゃる方もいたりして、帯広の新たな「食の顔」にもなっている。
 
季節はまさに「食欲の秋」。豚丼やジンギスカンも帯広の名物としては有名だが、美味しいイタリアンのお店も市内には数件ある。食材から飲食業に至るまで、十勝・帯広は北海道の「民間主導の開拓気風」が今も地域に根付いているものと確信させられる。この豊かな食を満喫しつつ、次回のオリンピックを目指す若者たちが、一層の実力を蓄え、大きな目標に向かって「チャレンジャー」として羽ばたくことを願うのであった。


左・ブラジル家庭料理の店「ランショネッチ オブリガーダ」は、十勝ワインアドバイザーでもある村上英子(むらかみ・えいこ)さんが営む。
右・「ランショネッチ オブリガーダ」は、「インかのめざめ」というじゃがいもを使ったサラダをお通しに出してくださった。ミニトマトやチーズも、近隣の農家から。

左・「エビとホタテを詰めたラビオリ フレッシュトマトとバターのソース」。今までに味わったことのない、とろけるような旨味。オステリア・アルペスカにて。
右・「牛ホホ肉の赤ワイン煮込み」。イタリアの重たい赤ワインと合わせて、満足の一皿。オステリア・アルペスカにて。