from パリ(たなか) – 19 - パリ郊外、夏の夜の音楽の思い出。

(2009.09.07)

パリへ来て、東京にいた時よりも音楽をナマで聞く機会が増えたような気がする。日曜日の遅い朝、散歩の途中で立ち寄った教会のオルガンのミサ曲も、異教徒の私にはバロック音楽に聞こえるし、コンサートと言うほど大げさではないジャズのセッションにも何度か足を運んだ。古いレンガの壁の地下の倉庫みたいな部屋にゆるゆると聴衆が集まり、演奏者とワインを飲みながら雑談しているうちに演奏が始まってという、いかにもジャズっぽいルーズな雰囲気は、夏のパリの夜ならではの愉しみ。

3幕が終わってカーテンコール。二重唱、三重唱、そして四重唱がこれほどドラマチックで美しいとは、イタリア・オペラに目覚めた! 人の声は最高の楽器と言われるが、まったく異論なし。ここでの公演の後、リュクサンブール公園でも上演するそうだ。あそこにも立派な館があったし。

これとは対極にあるような、もっとハイソなクラシック音楽体験メニューもパリでは選ぶことが出来る。そう、歌劇の鑑賞だ。といってもオペラ座とかへ行くのではなく、季節柄、野外での公演だ。パリの南郊に位置するソー公園(Parc de Sceaux)で野外オペラがあると聞き、早速インターネットでチケットを予約して、イナバさんと一夜、歌劇の観劇と洒落込むことにした。

オペラを上演した反対側、つまり広い公園の方から古城を見るとこんな感じ。不思議の国のアリスになったような、遠近法の見本のような、大きさの感覚に目眩がするような風景が続く。造園はヴェルサイユと同じル・ノートルの設計。
子ども達がサッカーをして走り回る声が風に乗って聞こえる。噴水があるあたりを左へ下りると運河があり、ポプラ並木が続く。右へマロニエの森を抜けると八重桜の広場がある。正方形のスペースには規則正しく100本以上の桜がオセロの駒のように整列している(グーグルマップで確認できる)。向かい合うようにオオシマ桜の広場もある。フランス庭園はどこまでも幾何学的だが、その秘密は空から見ないと分からない。

ソー公園には八重桜の広場があって、春には花見を楽しんだところだ。全体が見渡せないほど広大な公園のいちばん高い場所に、ディズニーランドみたいな古い城館があるが、(もちろん、こちらが本家だが)その前に仮設舞台を作ってオペラを上演するらしい。夏のパリは、昼間晴れていても夕方6時頃に突然黒雲が湧いてきて雷雨になり、気温が急激に下がることが多い。アバウトな性格の割に心配性な私は、雨具も用意して午後9時30分の開演に間に合うよう会場へと向かう。

マロニエの二重並木が延々と続く閑静な住宅街を抜けると、野外オペラが公演されるソー公園の古城に通じる門が見えた。この公園に行くにはRER-B線のパルク・ド・ソーが最寄り駅だが、あまりにも敷地が広大なのであちこちに入り口がある。私たちは公園の隣り駅にあたるブーラ・レーヌから散歩がてら歩いて行った。
野外とはいえ歌劇場は社交の場、ここに集まる紳士淑女は礼儀正しくあらねばなりません。ジャズを聴きに来る人とはファッションが違いますね。(私は両刀使い?)オペラが始まるまで、冷たい白を一口(ジャズには赤が似合う?)、オペラファンは会場へ瓶を持ち込んだりしません。
この古城は、ルイ14世時代に財務大臣を務めたコルベールさんの館。ヴェルサイユ宮殿とともに、フランス華やかなりし時代の建造物だ。主なき今は博物館として余生を送っているそうだが、歌劇の借景として脚光を浴びるのもルイ王朝を偲ばせ味わい深い。舞台横の照明の鉄塔には電光掲示板が付いていて、イタリア語の歌詞をフランス語で表示する。
会場に着いたら、黒いスーツの案内嬢に仮設スタンドの席まで連れて行ってもらう。この時イナバさん、手際良くチップを渡した。たぶんそのせいで、本来の予約席より前の席に彼女の裁量で変更してくれた。カフェなどで小銭のチップを置く習慣にはだいぶ慣れたが、うーん、こういう効果的な使い方があるんだ、ナットク。

演目はヴェルディの「リゴレット」。“女心の歌”のカンツォーネで有名なイタリア・オペラだ。私はモーツアルトの「魔笛」をCDで聞く程度のオペラ初心者、リゴレットを全幕通しで、しかもオーケストラ付きで聞く(見る)なんて、人生初めての画期的な出来事なのだ。本来ならばタキシード着用のところ(ウソ)野外ということでポロシャツでもいいか。

開演時間の9時半、アリーナ席もほぼ埋まり薄暮状態、この分だと俄雨もなし。舞台には大道具も揃ったが、背景の立派な古城の前ではおもちゃみたいだ。舞台下の明かりが見えるオーケストラピットでは、楽団員が思い思いにメロディーを奏で、開演間近。舞台に立った指揮者は女性だった。
公演中の写真撮影はご遠慮ください、と何度も注意があったので、目立たないようこっそりと撮る。暗いし、手ぶれしてます。古城の壁は赤くライトアップされたり、波模様に揺れたり、豪華な背景として十二分の活躍ぶりだ。

劇中の有名な曲は、CDオペラ名曲集?で知ってはいたが、目の前でリゴレットが歌うアリアや、公爵と娘の二重唱を聞くと電気が通じたように感動する。イタリア語歌詞でフランス語字幕なのだが、舞台の上の悲しい恋の物語に引き込まれてしまうのですね。どこか近松の世話もの(「心中天の網島」みたいな)に通じる、運命の強い渦に呑み込まれる人の無力を感じてしまう。分かっていながら何度も騙される愉しみなのだ、この手の芝居は。それにしても公爵役(テノール)がもう少し背が高くてイケメンで、声にもうひと味重みがあれば、もっと感情移入できたのだが、少し残念。しかし初めてのイタリア・オペラを心ゆくまで満喫した、思い出の夏の夜なのであった。