from パリ(たなか) – 60 - 雨の日、リュクサンブール公園で。

(2010.06.28)
パリの公園でよく見かける鉄の椅子。主張し過ぎないアーミーカラーが、緑の公園によく馴染む。自分の好みの場所まで引きずって行ってテーブル代わりにランチしたり、3脚並べて昼寝したり、アレンジは自由自在。

一時帰国した6月初旬の東京はカラッとした晴天が続き、パリの天気と変らないなあなんて思っていたら、やはりここは温帯モンスーンの都市、中旬にはしっかり梅雨入りしました。世界的な異常気象の影響なのか、子どもの頃のようなキッパリした季節の変化が見られなくなったとはいえ、花咲く春が終わって若葉の頃になればちゃんと雨期が巡り、梅雨が明けると強烈な陽射しの夏が待ち構えているというような、日本的な自然の暦がなんだかいいなあと思えるようになったのは歳を取ったせいなのか、しばらく異国で生活したせいなのか、よくわかりません。アジアでは雨の日もまた楽し、と痩せ我慢しつつ、梅雨の季節をやり過ごすしかないか、やっぱり。

雨を受けますます重くなり、すっかり嫌になっちゃった芍薬の花。
薔薇は雨の日が嫌いです。

パリにはもちろん雨期はありませんが、一日のなかで晴れたり降ったりと天気が変わりやすい。夏至の頃から7月14日の革命記念日にかけてはスッキリと晴れた気持ちのいい日が続き(昨年度の場合)、昼間の気温は30度近くまで上がります。乾燥しているせいか、シャツが汗で濡れるような不快感はありません。とは言え、エアコンのない地下鉄やバスの中では最低最悪の地獄図絵が展開されます。パリの人がよく我慢強く乗っているのが不思議でなりません。この季節、晴れた日には夕立がよくあります。午後6時ぐらい、一天俄にかき曇り、雷とともに雹も混じった激しい雨。気温も一気に下がり、9時過ぎくらいまで降ったり止んだり。午後10時過ぎ、遅い夏の夜がやって来る頃にはきれいな夕焼けが見えたりします。

パリは通り雨が多いせいか、雨が降っていても傘をささないで歩く人をよく見かけます。どうしようもなく強い雨の時はカフェなどで雨宿りして凌ぐなどして、傘の利用率が日本に比べて異常に低いように思います。パリの人が夕立の予報にそなえて朝から傘を持ち歩くかどうか定かではありませんが、傘なんて持ってない、という人も相当いそうな感じです。しかし朝からどんよりと厚い雲がたれ込めて、一日中雨が降ったり止んだりという天気の日もたまにあります。さすがにこういう日は、傘の使用率はぐっと上がりますが、それでも濡れながら平気で歩いているパリジャンを結構見かけます。濡れることを気にしているそぶりは見せず、なんかカッコ良く見えたりもします。彼らは傘を持ち歩くのが嫌いなのか、濡れるのが気にならないのか、たぶんその両方なのかなあ。パリだから様になるのかもしれない。

晴れた日の午後は人でいっぱいのリュクサンブール公園も、雨の日は別の場所かと思えるほど閑散としたもの。濡れたベンチはぽつんと寂しげだし、ペタンクの広場にも球が当たって弾ける音は聞こえない。公園の樹々はたっぷり水を吸って生気を取り戻し、いつもは噴水の池で泳いでいる水鳥が園内に突然出現した水たまりまで遊びに来たりする。公園内にたくさんある彫刻も雨に濡れて、一息入れている感じ。雨の日の公園は、木も花もベンチも彫刻もみんなのんびり一休み。この写真は去年の6月頃のものです。たぶん今年も、この季節の雨の日のリュクサンブールはこんな感じだろうなあ。

背中合わせ両面掛けの長いベンチはパリ独特のもの。公園だけでなく、広場や歩道にもある。横になるには最適な長さだ。
雨の日は、ペタンクも休みです。プラタナスに、鳥のさえずりが賑やかだ。
彫刻家ザッキンの、“詩人、またはポール・エリュアールへの賛辞”も雨に濡れて歌ってるよう。公園の近くには木彫などを展示した静かなアトリエもある。
鴨の親子?が、水たまりで餌取りの特訓中?
木陰にひっそり見過ごしそうなショパンの像が、いちばん雨に似合うかも。今年は生誕200年、パリでもいろんなイベントが予定されている。