from パリ(たなか) – 55 - アアルトが設計したメゾン・ルイ・カレを見に行く。

(2010.05.24)
屋根の傾斜と丘の傾斜が自然に溶け込んでいる。

朝7時半、カーテンの隙間から射し込む朝日に目を覚ます。窓を開けると、ひんやり風が冷たい。セーヌ河岸の緑の芝生で、イナバさんが気持ち良さそうに太極拳をやっているのが見えたので、私も散歩に出てみよう。セーターだけでは寒そうだ。ホテルの中庭を出るとすぐセーヌ、芝生は朝露に濡れ、川霧も晴れて清々しい。野生の鴨とガチョウ(アヒル?)が餌でも貰う時間なのか、ホテルの前で人待ち顔に待っている姿がおかしい。きょうも快晴、セーヌは音もなく静かに流れている、のだろうか? 鏡のような水面からは、どちらが上流なのか、すぐに見分けがつかない。

ホテルのレストランで、ポットにたっぷりのコーヒーとクロワッサンの朝食を済ませ部屋に戻ろうとしたら、作業部屋でシーツにアイロン掛けしている女性を見かけた。昨晩、食事のサービスをしてくれた女性のようだった。このホテル、どうやら家族で経営しているのかな、フロントの女主人と、その息子といっても50前後だが、彼が調理人で、嫁がサービス担当かなあ。建物は相当古くなって、部屋の家具もガタがきてたりするが、清潔でサービスも行き届き、とても気持ちのいいホテルだ。なんといっても、料理が良いし、安いし。こういう小さなホテルは、代々続いて欲しいなと、旅行者として強く思います。
 

セーヌの岸辺で、ガチョウも真似する太極拳?
私たちが泊まったホテルのセーヌに面した中庭。バラのアーチに今頃は花がついてるかな。

さて、本日のドライブコースはセーヌを離れて南へ下り、モンフォール・ラムリ(Montfort-l’Amaury)という町で昼ご飯、そこにあるモーリス・ラヴェル博物館を見たあと、すぐ近くの村にあるアアルトが設計したルイ・カレ邸を見学して午後6時頃にオルリー空港へ戻る、という予定。昨日よりは左ハンドルの感覚が少し身に付いたかなあ、走行中に車線の右側に振れることも少なくなり(昨日は結構ぎりぎりを走ったようで、イナバさん怖かったでしょう、すみません)、ロータリーを反時計回りに通過することにも少しは慣れ、しかし左折して入った道路でつい左車線へ入りそうになるのは、なかなかすぐに直せません。

フランスの田舎道は、とにかく信号が殆どないのがうれしい。しかし交差点では行き先表示をしっかり見ないといけません。イナバナビに任せっきりで、いくつも村や町を通過したので、あとで地図を見ても何処をどう走ったのやら、皆目見当がつきません。欧文地名はすぐ忘れるし。だが、村を出る時には地名の表示板に赤い斜線を引く、という決まりは分かった。あと、ガードレールのないフランスの道路は、運転していて見晴らしがよい。路肩も未舗装のまま、私が子どもだった頃の道路みたいで、なんとも懐かしい。クルマが道路から飛び出した時は自己責任でということかな、でもこれでいいような気がするなあ。
 

どこの町だったか、休憩してコースの確認。カフェの値段は何とパリの半額。
モンフォール・ラムリは坂道ばかりの古い町。

ちょっと迷いつつも、予定通りモンフォール・ラムリに到着。教会を中心にした、石畳の坂のある小さな古い町だ。教会の前に駐車して、レストランを物色しつつ町を散歩する。一回りして、結局クルマを停めた前にある肉屋が経営しているレストランに決める。陽射しが強過ぎるので中に入ると、可愛い制服のアルバイトっぽい女の子が注文を聞きにくる。私はaller et retour(アレ・エ・ルトゥール/往復)とかいう名の、要するに表裏焼いたハンバーグステーキを注文。これが300グラム以上ありそうな分量で、表面を申し訳程度に焼いただけの、これじゃあイナバさんが注文したタルタルと大差ない代物でした。味は悪くない(フランスの牛肉は赤身がさっぱりしてるし)、しかしこの量はねえ、でも残すの嫌だし、食べましたが。

腹ごしらえも出来たし、教会の横にある修道院の中庭(古い墓がある)を散策し、町のインフォメーションへ行ってラヴェル博物館のことを聞いたら、電話予約が必要らしいのでイナバさんにお願いする。一方でアアルトの見学にも電話を入れる。田舎のマイナーな博物館は見学人数などの受け入れ態勢が限定されるので、事前のアポイントが必要なことが多く、要注意です。で、先方からの時間指定が、アアルトが午後3時、ラヴェルは2時半、現在2時20分。ラヴェル博物館までは歩いても行ける距離だが、ルイ・カレ邸の村まではクルマで15分はかかりそうだし、初めて行く山の中、迷うかもしれない。残念だが、ラヴェルはあきらめて、ルイ・カレ邸のあるバゾッシュ・シュル・グィヨン村へ向かうことに決定。

目標物のない田舎の道で、村の地名表示だけを頼りに山の中にあるらしいルイ・カレ邸へ辿り着くのは絶望的な気分ではあったが、目を皿のようにして標識を見続けたイナバナビの執念で、奇跡的(と私は思った)にMaison Louis Carreの標識を見つけ、迷わず目標の場所に時間前に到着することができた。GPSよりも高精度なイナバナビ、すごい。門の前にクルマを停め、樫の木だろうか、芽吹いたばかりの明るい林の緩やかな坂を上るとやがて視界が開け、広い草原の頂上あたりにルイ・カレ邸はあった。10名程の見学者は説明を聞きながら、食堂、台所、リビングルーム、図書室、寝室、浴室、と小一時間かけて室内を見て回る。ルイ・カレ氏は、パリの有名な画商だったようで、室内の壁には近代の絵画作品が飾ってあったらしい。外光を取り込む広い窓とは別に、各部屋の間接照明の工夫が興味深い。和風の格子戸や、寝室の引き戸など、フィンランドのデザインはどこか和に通じるなあと感心しながら、ちょっと広すぎるけど、こんな別荘に住んでみたいなあと思いました。自然の素材を細部まで上手く使って、普通に見えながら注意してみると贅沢な印象。02年にルイ・カレ夫人も亡くなった後、現在はフィンランドの文化財団が管理しているらしい。

門を入り、木立の中を緩やかにカーブしながらアプローチを抜けると、白い家が見えてきた。
玄関側から見ると、屋根の傾斜が美しい。左に食堂、さらに台所。メゾン・ルイ・カレは1959年に竣工。
玄関を入るとすぐギャラリー、緩やかな階段を6、7段降りてリビングルームの広い窓。傾斜のついた天井には曲面もあり、細い木で組まれている。
南側の広い草原に面した図書室(左角)とそれに続くリビング。黒いスレート屋根と、石灰岩と白い壁、木の配色バランスが新緑に映える。
玄関の反対側は丘の傾斜に合わせて、石板で段をつけてある。写真奥の斜面には、小さな円形劇場があった。プールもあったが、現在は水を抜いてある。建物の飛び出して見える部分が二つある浴室と、それらに仕切られた中庭。
食堂の玄関側壁面には天井からの自然光が入る。ペンダントにも間接照明の仕掛けが。往時は部屋の壁面にレジェなど近代の絵画作品も掛かっていたそうだ。
リビングルームの暖炉の前。椅子やテーブルなどもアアルトのデザイン。コードペンダントの位置と高さが絶妙だ。
寝室の窓辺。こんなところで、日がな読書できたら、いいなあ。
バスルーム。奥はサウナ。風呂は床面より低い設計。機能的で、使いやすそう。

無事、アアルトの建築見学も終わり、4時半頃一路パリへ。暑いほどの陽射しにエアコンを入れて高速道路を快適に走る。最後の難関、その1はガソリン満タン。スタンドを探さなくてはいけないが、どこにある? パリに入る少し手前の高速でなんとかTOTALの看板を見つけ、右車線からサービス・エリアへ入る。しかし、私は東京でセルフを使わないので給油機の使い方がよく分からない。イナバさんに、スタンドの店員に話してもらったら、居合わせた客のフランス人がやってくれると言う。メルシィ、なんて優しいおじさん。レギュラーはリッター1.35ユーロ(約160円)、日本より高い。難関その2、オルリーで高速を降りて、営業所にすんなり辿り着けるだろうか。案ずるより産むが易しってこういう場合に言うのかどうか、道路地図と景色を見ながら、なんとイッパツで営業所の駐車場へ戻れた。ほっ〜。イナバナビ、有終の美を飾ったのであります。

予定より早くパリへ戻ったので、アントニーのカフェで一休みし、モーリシャス料理のレストランでサメのマリネだったかな、それにタコと茄子のカレーとか南の島の料理を食べて、なんだか毎度、食べてばっかりの旅行も無事解散となったのでありますが、たぶん食べ過ぎがたたったのか、私は翌朝起きたら絶不調、珍しく高熱を出して、季節遅れのインフルエンザ? やばいなあと思いながら、濡れタオルで頭を冷やし、フランス語の試験を受ける悪い夢にうなされ、でも一晩寝たら快復。あの熱は、何だったんだろう。