from パリ(石黒) - 25 - パリ・アート散歩(15)パリから東京へ、希望をつなぐ光
HIKARI TOKYO REVES展

(2013.10.18)

賑やかな光の洪水は、資生堂フランス協賛のエレーヌ・ロノワの展覧会作品。

資生堂-企業文化遺産マネジメントのパイオニア

アールヌーボーの熱烈な愛好者であった福原有信が1872年に創業した資生堂は、常に「アート」を業務の中核に据えてきました。資生堂は、現存する日本で最古の画廊である資生堂ギャラリーを1919年に開設。当時のアーティスト達に無料で展示場所を提供するメセナ活動を行っていました。有信の事業の後継者となった福原信三は、1908年にアメリカ留学、その後、渡欧。1913年のパリ滞在中、現地で若手日本人画家たちと交流をもち、自らも写真家としての活動を始めました。この出会いが後に、資生堂におけるすべてのデザインを担う「意匠部」の開設へと繋がるのでした。1916年のことでした。1世紀を越えて資生堂が、美術とフランスへ寄せてきた愛は、創業者福原有信が既にイメージしていた通り、今日、他に類を見ないブランドとしての地位を築きあげるのに、大いに貢献してきました。

そんな資生堂がフランスにShiseido Franceを構えたのが、1980年。セルジュ・ルタンスをイメージクリエーターに起用し、Shiseidoはフランスはもとよりヨーロッパにおいて、日本のプレスティージュコスメの代名詞としての地位を揺ぎ無いものにしていきました。1986年には、「資生堂の美と広告1872~1986」展をパリ広告美術館にて開催。1992年にはパレ・ロワイヤルの回廊に、香水専門店「レ・サロン・デュ・パレ・ロワイヤル・シセイドー」をオープン。

Shiseido France開設30周年にあたる2010年。アートを推奨し、アートを分かち合う事を、事業内容の中核に据えてきた資生堂にとって、30年のフランスでの軌跡を辿り、過去・現在・未来の資生堂を、多くの人たちと分かち合えるような、アーティスティックな方法で祝うのは、自然な発想だったようです。

そこで選ばれた方法が、ウィンドウアート。資生堂といえば、真っ先に思い浮かぶのが、銀座のウィンドウディスプレイ。この伝統は1914年に遡るといいます。単なるディスプレイを超えた「ウィンドウアート」。美をテーマとした夢幻的なディスプレイを提案。この「夢のウィンドウ」は1世紀以上に渡り、銀座の街を華やかに彩るランドマークとなっています。この伝統が、Urban Art Box「アーバン・アート・ボックス」展のインスピレーションの元に。

夢を分かち合う

6名のパリ在住若手アーティストたちを公募し、6つの化粧品のカテゴリーからそれぞれのテーマを選んで「未来の資生堂」を連想させるウィンドウディスプレイをサンジェルマン・デ・プレ広場に屋外展示。一般の観客の投票によって最優秀アーティストが選ばれ、そのアーティストが、2011年春に東京銀座の資生堂本社の「ウィンドウアート」をデザイン、展示することに。資生堂本社のウィンドウといえば、まさに日本のディスプレイアートの中でも、トップクラスのプレスティージュを誇ります。このコンテストにあわせて、サンジェルマン・デ・プレのHôtel de l’Industrie(産業館)内で、歴代の資生堂のウィンドウディスプレイの中から厳選した思い出深い30作品がフォトパネルにて展示。

ちなみに、この「6人のクリエーター」という発想は、1977年にジャン=シャルル・ド・カステルバジャックやティエリー・ミュグレー、クロード・モンタナなど6名のフレンチ・デザイナーを、資生堂が日本へ招待し、東京、大阪など6都市で開いた「6人のパリ」というファッションショーに由来しているのだそう。このショーの大成功を機に、1982年以来、資生堂はパリコレクションへのメーキャップ技術協力を開始。現在もパリコレやオートクチュールコレクションでのヘア・メーキャップのスポンサーシップを続けています。

コスメティックブランドとして、美しいものを発信するだけでなく、常に「分かち合う」事を率先してきた資生堂は、日本において20年以上に渡り、「調和に満ちたエイジング」を推進するグローバルプログラムに参加しています。Shiseido Franceも、パリ市立病院・フランス病院財団が主導するプログラム「+ de Vie」(もっと生き生きと!)をサポート。このプログラムは、シニアケアの入院患者や看護老人ホーム居住者達のQOL(生活の質)改善を目指すプロジェクトを、経済的に支援するというもの。Shiseido Franceは、化粧品の支給、ケア看護士との協力、トレーニングなどを通して、パリの二つの病院にあるシニアのための美容サロンの活動を応援。ここフランスでの「+ de Vie」プログラムとの協力は、シニアのより良い生活を常に気をかけてきた資生堂にとって、自然な取り組みなのです。

サンジェルマンデプレ広場でのUrban Art Boxコンクール。エレーヌの作品と教会。Photo © Yves Géant
サンジェルマンデプレ広場でのUrban Art Boxコンクール。エレーヌの作品と教会。Photo © Yves Géant
エレーヌのパリと東京

Urban Art Box。都会に突如現れた6つの小世界は、パリという都市に漂う詩的な瞬間を切り取ったかのよう。このコンクールで選ばれたのが、エレーヌ・ロノワの「ナルシスの頭の中で」(Dans le cerveau du Narcisse)という作品。広場を行き交う人々を、優しく見守る星のように、ほっとするような光で導く。エレーヌは、銀座本社のウィンドウディスプレイを飾る作品の注文を受けます。Paris-Tokyo、二つの世界の出会いを語る光の作品が、銀座本社のウィンドウを2011年の春に飾る予定でしたが、3月11日に起きた東日本大地震で、プロジェクトは延期に。残念ながら、エレーヌ自身も夢の日本を訪れることができなくなりました。

それから約2年の歳月を経て、銀座本社のウィンドウではなく、2013年4月24日から5月11日まで、パリ左岸のギャラリー、フレデリック・モワザンにて、Shiseido Franceの協賛で、エレーヌの作品展が開催されることに。

どことなくノスタルジックな、かつ近未来的でもある、エレーヌの光の世界。

神社のお祭りで見かける屋台の色と光の洪水。渋谷・新宿・六本木…の眠らない街のネオンと喧騒。夜間の道路工事の警告灯。夜明けの白ずく空…。

パリジャン達の尽きないおしゃべりを照らすカフェ。移動遊園地でお馴染みのメリーゴーランドの色と光。向かいのアパルトマンのサロンからもれる光…。

エレーヌの作品に音はないのに、光の線、動きを見ていると、まるで雑踏と静寂とが、そこにあるかのよう。断続的な光に彩られた羽、ビーズ、レース、ワイヤー、浮標、電球、金属、ガラス、ナイロン…などは、互いに脈絡なく繋がれていて、それぞれの空白から、東京とパリの光の景色が浮かび上がってくるようです。エレーヌは日本を訪れる機会がないままに、彼女の「日本への夢」に託して、これらの作品を作り上げたというから、驚きです。単色、あるいは多色の、極彩色の残像が網膜に刻まれるものの、それも心地よく、次の作品を見るのに邪魔になりません。

Paris-Tokyoと名づけられた作品。それぞれの都市のモチーフが散りばめられています。
Paris-Tokyoと名づけられた作品。それぞれの都市のモチーフが散りばめられています。
昔、理科の授業で習ったなぁと遠い記憶の中の電子回路…。しっかり作品の一部
昔、理科の授業で習ったなぁと遠い記憶の中の電子回路…。しっかり作品の一部
夢と現実の間で-希望という仕掛け

展覧会タイトルHIKARI TOKYO REVES(光、東京、夢)は、エレーヌとShiseido Franceのスタッフが協同で選んだ3つの語が重ねられています。日本語の「Hikari」から始まって、都市名「Tokyo」、最後にフランス語「Rêves(夢)」。Hikariはフランス語ではないし、Rêvesは日本語ではありません。Tokyoを境に、それぞれ翻訳が必要な語を前後に配置することで、Tokyoは日本語でありながら、日本語の枠を飛び越え、日本語とフランス語の間で宙に浮いたような、不思議な存在感を帯びてきます。ボーダーラインがあるような、ないような、なんともあやうい読解が生み出されます。先にも述べたように、彼女の作品では、空白から景色が浮かび上がってきたり、空白が色づいてきたりと、「物と物との間」が、繰り返し重要視されていますが、この展覧会のタイトルにも、私達の言語認識を無意識にずらす仕掛けがなされているように思われます。

美術批評家Joce Favard氏が言うように、電源がオフになっても、また光が灯る機会を予感させるエレーヌの作品。光がもたらす安心感と儚さが、夢と現実との間で競い合う。光が灯っている作品を見ている間、消灯された作品をイメージすることは、ある種の先見の記しですが、残酷さも伴っています。光を失った作品は、そこに箱型オブジェとして存在し続け、常に光が戻ってくるのを期待する。またもや、合間での仕掛け。とはいえ、時として残酷でもある夢と現実は、エレーヌの作品では希望という仕掛けで、ポジティブに転換されているように思います。

資生堂の社名は、中国の古典『易経』の一説「至哉坤元、万物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。全てのものはここから生まれる)に由来。東洋の叡智と西洋科学を融合、先取りしようという「和魂洋才」の理念の表れなのだとか。創業当初から既に「様々な物事の調和」を見据えていた資生堂は、今や日本から世界へ発信し、日々様々な「融合」のビジネスを展開し続けています。同じキャンバスではないけれど、エレーヌの作品と資生堂の企業理念のどちらにも通じるのは、様々な要素の出会いの中に「希望という仕掛け」が感じられること。こじんまりとした展覧会でしたが、非常に心地よいHIKARI TOKYO REVES展でした。

向こう側が透けて見える光の壁は、作品としても、インテリアとしても良さそう。
向こう側が透けて見える光の壁は、作品としても、インテリアとしても良さそう。
鰻の寝床のような縦長の画廊。光のボックスに奥へ奥へと吸い寄せられていきます。
鰻の寝床のような縦長の画廊。光のボックスに奥へ奥へと吸い寄せられていきます。

資生堂HP
Hélène Launois(エレーヌ・ロノワ)のHP