from パリ(田中) – 32 - セーヌ河岸とフランス映画の想い出。

(2009.12.07)
左岸 後の橋はポン・デザール。右岸はルーヴル美術館。

パリはセーヌ川で二つに分断されている。下流に向かって右岸をRive Droitリヴ・ドロワ、左岸がRive Gaucheリヴ・ゴーシュと呼ばれる。セーヌ川がほぼ南東から南西に蛇行して流れているので、パリの北側が右岸、南が左岸ということになる。この右岸と左岸では文化気質や街の雰囲気が違うと言われるが、半年ほど住んでみて、なるほどと思い当たることが時々ある。東京で例えれば下町的なディープな右岸と、山の手風の洗練された左岸とでも言おうか。私が住んでいる6区は、サン・ジェルマンやカルチェラタン文化圏の左岸にあたるが、つい橋を渡らずに左岸の河岸を徘徊することの方が多い。そのパリ文化のフォッサマグナ、セーヌ川には古くから遊歩道が整備されていたようで、散歩好きにはもってこいだ。上の道路を走るクルマの喧噪もここまでは届かず、川面に近いせいか思いのほか静かだ。渓流釣りが趣味の私には、流れる川を見ているだけで気持ちが安らぐ、いや、逆に竿を持ちたくなるのがちょっと困るが。
 

左岸 後に見えるロワイヤル橋の手前で階段を登り上の道路へ。大きな柳が終点の印。
左岸 サン・ルイ島に架かるシュリー橋あたりで、女性の騎馬警官にすれ違った。遊歩道にあった、馬らしき大きな落とし物は、コイツらだったのか。

大学生の頃、ヌーベルバーグと呼ばれた映画を良く見た。フランス映画が全盛の時代で、『勝手にしやがれ』とか『大人は判ってくれない』、『死刑台のエレベーター』などパリが舞台となった映画がたくさんあった。トリュフォー監督の『突然炎のごとくJules et Jim』でもパリの鉄道跨線橋みたいなところを主人公たちが走ったり、劇場へ入ったり、当時のパリの映像がふんだんに出て来た。主演のジャンヌ・モローが突然セーヌ川に飛び込むシーンを覚えているが、あれはいったいどのあたりだったのだろう。映画をもう一度見たら判るだろうか? パリは街の景色が100年くらいは平気で変ってないようだから、橋の形とか見ればわかるかもしれない。ポン・ヌフなんて、1607年に完成したらしいし。
 

左岸 ポン・ヌフの橋脚。1747は改修の年と思われるが、20は水位?
シテ島は右岸?左岸? 観光船も夏の賑わいは何処へやら。『ポン・ヌフの恋人』を私は見ていない。

私がよく散歩するシテ島近辺の河岸には背の高いポプラ並木が多く、上の道路のプラタナスと上下2段の並木が連なり、上でも下でも、とても気持ちのいい風景だ。サン・ルイ島のあたりには、オリーブの古木が巨大なテラコッタの鉢に植えてあったりして、晴れてさえいれば南欧のテラスの雰囲気。白樺や桜の並木なんかもあった。昔から都市の水辺の自然を生活の中で楽しんだことがうかがえる。パリではお約束の恋人たちは寒い季節になってもおかまい無しだが、バトー・ムーシュとよばれる観光船は夏に比べるとずいぶん減った印象だ。そのかわり砂利などの土木建築資材を積んだ運搬船が行き来しているのが、かえって目立つようになった。
 

右岸から ドーム屋根は学士院、その右の方はボザール(美術学校)あたり。
左岸 シテ島のノートルダムは、斜め後のアルシュヴェシェ橋あたりから見るのがいちばん美しいとされる。オリーブの古木にも風格があるなあ。
左岸から 向こうはシテ島。夏の間は見えなかった建物の窓が美しい。
右岸 ルーヴルの前。河岸の遊歩道へは階段で下りることが多いが、クルマが下りられる道路が付いている場所もある。下から延びて来たポプラは黄葉真っ盛り、上の道路のプラタナスは枯れ葉のまま。

長い運搬船を見ながら、もう一つフランス映画を思い出した。『かくも長き不在』というアンリ・コルピ監督、アリダ・ヴァリ(古い女優だなあ)主演の、静かな反ナチズム映画だ。戦後間もない感じのセーヌ河岸の掘建て小屋が重要な舞台だった。パリからは少し離れている印象だったが、小屋の近くにはアリダ・ヴァリ演じるカフェの女主人が住んでいた。私には全くどの辺りか想像つかないが、セーヌ上流の最近どんどん再開発されているイヴリィ地域みたいな所だったのだろうか? パリに比べると、東京の都市の風景はあまりにもめまぐるしく変化し続けた感がある。単純にどちらがいいとは言い切れないが、根こそぎ作り替えて来た東京のスタイルが、時代に合わなくなってきたことは事実だと思う。

ポン・デザールからセーヌ下流カルーゼル橋方面。エッフェル塔のサーチライトが夜空を照らす。
右岸 ノートルダム橋からシャンジュ橋とシテ島(コンシェルジュリー)方面。このあたりの河岸は自動車専用道路となっている。