from 北海道(道央) – 29 - ワイン上級者必見。池田町「ワイン城」。

(2010.04.01)
夏のワイン用葡萄畑。主力品種は「清見」。(写真提供 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所)
ワイン畑の冬。苗木を守るために雪が降る前に土を被せ、春に土を取り除くという大変な作業が行われる。(写真提供 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所)

北海道のワイン。知名度向上は図られているのか。

昨年4月に「『北海道ワインツーリズム』推進協議会」が設立し、その最初のイベントとして、東京・大手町の『ビストロリヨン』さんにて「北海道産ワインを知る会 at Tokyo」が開催されてから、約1年が経過しようとしています。

私も北海道のPRを兼ねてお手伝いにお邪魔しました。その際の皆さんの反応は「北海道でワインなんて作れるの?」「そう言えば、かなり昔に十勝の何だか町の町民還元用ワイン、飲んだことあったな~」などといった声をお聞きしましたが、「北海道でワインが作られているという事実」が約2割程度の皆さんにしか知られていないという現実を直視することになりました。

何はともあれ、まずは、北海道はワイン用葡萄の生産量が「日本一」であるという事実を、広く全国の皆さまに知っていただくことから始めなければならないことを、痛感しました。この1年間で、どれだけ知名度が向上したのでしょうか??

 

雪国でのワイン用葡萄の生産。

実は北海道でのワイン用葡萄の栽培の歴史は古く、1865(慶応元)年頃から函館とその周辺で西洋式農業の導入が始まり、明治初期には栽培が試みられたという記録が残っています。現在の「はこだてわいん」さん(1973(昭和48)年設立)の原点であり、北海道でのワイン製造の礎がここにあるのです。

一方、十勝の池田町。産業が脆弱で1952(昭和27)年の十勝沖地震とその後2年連続の凶作が重なり町財政が破綻。当時の町長・丸谷金保(まるたに・かねやす。1919-)氏は、町内に自生している山ぶどうを用いて町営でワイン醸造に乗り出すことに目をつけて、1963(昭和38)年に果実酒類試験製造免許を取得し、国内では最初の自治体によるワイン醸造(試験醸造)を開始したのです。

「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。初代所長は、岩野貞雄(いわの・さだお。1932-1998)氏。「十勝ワイン」という銘柄での最初の商品化は、1966(昭和41)年のことでした。
 

通称「ワイン城」。池田町ブドウ・ブドウ酒研究所。(写真提供 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所)

(参考)「故・岩野貞雄氏と小樽との関係」(WEBダカーポ)

何せ、ワイン用葡萄は「暖かい気候」の土地に根付くもの。雪国でのワイン用葡萄の育成は、並大抵のものではありません。

例えば、北海道ワイン(株)鶴沼直営農場では、数年かかって葡萄の枝を斜めに土に植え込むことによって、雪の下でも折れずにしっかりと根を張る方法を編み出しました。雪の中に埋もれることによって、保温効果を保つという、「雪」の利点を上手に活用する方法です。

十勝地方は北海道の中でも降雪量が比較的少なく、厳しい寒さという劣悪な条件の中での葡萄栽培です。したがって、池田町では凍土で葡萄の根が死んでしまう前に、土を被せ、春暖かくなってから被せた土を取り除くという作業を行っているのです。そのような苦労をしてでも、「美味しいワインを造りたい」という夢が、北海道でワイン用葡萄栽培に携わる多くの皆さんを突き動かしているのです。

「錬金術」と「ワイン文化史研究」。

たまには真面目な話(脱線です)。「ワイン文化史研究家」にとって、錬金術を学ぶことは必須テーマなのです。なぜ人類は「ワイン」を飲むようになったのか。ワインとは、「不老不死の霊液」の一つであったのか。キリスト教が成立する以前から、ワインは人類に飲まれていたことは事実である。ワインを「蒸留」という方法で高次元の世界へと引き上げる技術。

こうした様々な「現象」の奥深くに存在する何かを探し求めようとすると、「ヘルメス・トリスメギストス」(Hermes Trismegistos)に辿り着きます。「3倍偉大なヘルメス」。

錬金術とは、ただ単に「卑金属」から「金」を生み出す技術ではなく、「物事の本質を問う」という作業であると自分は解釈しています。錬金術の発生とキリスト教の台頭によるイスラムへの学問の移転。そして、再びそれがヨーロッパへと戻っていく「ルネサンス」の過程。このダイナミックな「神秘科学」から「科学」への動き、その一方でスウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg,1688-1772)による揺り戻しなど、実は「ワイン文化史研究」は「錬金術」を通じた歴史史観を再構築する作業なのだと考えると、壮大で深遠な学問だということが理解できるはずです。人によっては(笑)。
 

「北海道のワインの原点」を学ぶ。

そうなのです。「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」では、ただ単にワインを造っているだけではないのです。ワインを蒸留して、「ブランデー」原酒も造っているのです。アルコール度数8度のワインを1回蒸留すれば27度に、さらにもう1回蒸留すれば70度にまで度数は上がるのです。まさに「3倍偉大なヘルメス」が如く、蒸留の過程をここでは学ぶことができるのです。

また、スパークリングワインと言えば、山形県の「タケダワイナリー」さんの「サン・スフル」が国産の元祖ではないのです。ここ「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」では、国内初の瓶内2次発酵を用いた本格シャンパン方式で造ったスパークリングワインも製造しているのです。しかも、ブランデー同様、すべての過程を見学することができるという、まさに「ワインツーリズム 上級者コース」を半日かけて、じっくりと堪能することができるのです。おまけに、製造過程を体験するツアーも準備されているとか。

「十勝地方にはワイナリーは一つしかありません。ですが、チーズを含めて様々な食材の宝庫である十勝。十勝川温泉での宿泊も含めて、地域内連携を模索しながら、さらには北海道全体のワイナリーとの連携によって、北海道を真の意味でのワイン王国にしたいですね。」

溢れる優しさの中に、熱い情熱を持って語られる池田町ブドウ・ブドウ酒研究所の中林司(なかばやし・つかさ)所長。

自分はこの「十勝」という土地に、「北海道のワインの原点」=「自分自身の原点」をも再発見することができました。それは、一つ一つの工程を分かりやすく丁寧に説明してくださる内藤彰彦(ないとう・あきひこ)製造課長さんのワイン造りに賭ける思いを感じることができたからこそ。是非皆さまも、日本国内では恐らくここ「池田町」でしか学ぶことができないワイン造りの歴史と過程を、楽しんでみてはいかがでしょう。

ちなみに、帯広空港からは車で約50分。札幌から高速道路利用で約3時間30分の距離にあります。羽田空港発、帯広空港着で、1~2泊で富良野や空知管内のワイナリーとを結ぶツアーが組めるとよいですね!!
 

1965(昭和40)年開設当時の建物入口。写真左は、中林司(なかばやし・つかさ)池田町ブドウ・ブドウ酒研究所所長。
開設当時の建物の地下は、適当な湿度に管理されていて、かなり古いヴィンテージワインが眠っている。通常の見学コースでは、残念ながら立ち入ることはできない。
樽熟成。フレンチオークを使用。奥は小樽(こだる)で228リットル。手前が大樽で518リットル。通常、小樽1年、大樽1年、さらに瓶内熟成に1~2年かけて出荷されることになる。
ブランデー蒸留器。2つの蒸留器がある。コニャックと同じ「単式蒸留器」を用いている
樽出しブランデー。アルコール度数は60度。香りが素晴らしいし、ウイスキーをストレートで飲みなれている人にとっては、嬉しいはず。
王冠は滓抜き(Degorgement/デゴルジュマン)されるまでの間に使用される。滓の状態を確認。
滓下げ台(Pupitre)に瓶口を下にして並べる(Mise sur pointe/ミズ・シュル・ポワント)。瓶底には上部を示す白ペンキが塗られている。写真は、内藤彰彦(ないとう・あきひこ)製造課長。
ドザージュ(Dosage)は、リキュール補填ではなく、滓抜き後のスパークリングワインを補填している(写真上部)。
シャンパン用コルク。日本で型抜きされ、あのスパークリング独特のキノコ型になるまで3か月はかかるそうです。
打栓(Bouchage/ブシャージュ)の工程まで見学できます。
グルジアで、ワインを発酵貯蔵するため土中に実際に埋められて使用されてきた粘土甕(クヴェヴリ/Clay Jar)。約350リットルのワインを入れることができる。こういう展示品は、「ワイン文化史研究家」の心をくすぐる。
清見種と山ブドウとの交配品種「山幸(ヤマサチ)」。酸味とコクが、十勝ワインらしさを表現しています。