from 山梨 - 26 - 海の青さが目にしみる その2
~佐渡の海で潜る。
(2012.09.24)
ダイビングはスポーツなのかの自問自答。
前回の記事では佐渡の海の中まで紹介できなかったので、写真を載せつつ海へのいざない記事的にもう1本書いてみようと思う。
そんなわけで丸3日間、佐渡の海に入り浸っていた結果として、日に焼けてしまった。すると「なにかスポーツをされているんですか?」と聞かれるようになる。つい2、3日前にも聞かれたところだ。
しかし、どうってことのない質問のようで、これがなかなか返事に困ってしまう質問なのである。というのも、ほとんどの場合、「なにかスポーツをされているんですか?」と聞かれて「海で潜ってきたところです」と答えると、「スキューバですか?」という返事が返ってくるから。
ここで「ええ、スキューバなんです」と答えれば「ああ、そうなんですか。どこで潜られたんですか?」などと話はスムーズにその先に進むのだけれど、「いえ、スキューバではなくてスキンダイビングを……」と答えると相手は大概「?」となってしまう。
そもそも一般的に、ダイビングにはスポーツというイメージがあるのだろうか。そういえば、「なにかスポーツをされているんですか?」と聞かれて、「山歩きを少々」と答えるぶんにはあまり抵抗感がない。自分の中で、海に潜るよりも山を歩くことの方が疲労度というか難易度が高いことから、そう思うのかもしれない。
とはいっても、山歩きもダイビングも、身体を動かすスポーツ(運動)であることには変わりないのだから、やはりダイビングはスポーツで良いのだろう。全てのスポーツが必ずしも競技ではないのだし。ああ、でもこれではスキンダイビングの説明にはなっていない。
ひとくちに「潜る」と言っても。
水着と浮き具で海に入る海水浴とは別に、海に入って海の中を見て楽しむのには大きく分けて以下の3つのスタイルがある。
『シュノーケリング』
……マスクとシュノーケルを身に付けて、ほぼ潜らずに水面を遊泳する。潜らないのでライフジャケットを着用することもできるし、基本的にシュノーケルで常に呼吸することができる。
『スキンダイビング』
……マスクとシュノーケルとフィン(足ひれ)を身に付けて、水深10m程度までを潜って遊泳する。耳抜きができないと潜ることはできない。潜っている時は呼吸を行わないので、1回の潜水時間は個人の息こらえの時間に依存する。素潜りとも言う。
『スキューバダイビング』
……スキンダイビングの装備に加え、圧縮した空気の入ったタンクや、圧縮されたタンクの空気を減圧して体内に取り込むための機材(レギュレータ)、浮力を調整するジャケット(BC)などいくつかの機材を身に付けて、水深30mくらいまでを潜って遊泳する。耳抜きができないと潜ることはできない。潜っている時も呼吸は続けるため、1回の潜水時間はタンクの空気に依存。ライセンスカードが必要。
簡単にまとめるとこのような感じである。
この他にも日焼けや怪我を防止するラッシュガードやフィン用のシューズを着用したり、体温を下げないようにするためにウエットスーツを着用したり、水中での浮力をするためのウェイトを装着したりと、時と場合、目的や能力に応じた色々なアイテムを利用することがあるし、そういうアイテムを選ぶのもまた楽しい。
ちなみに私は、マスク、シュノーケル、フィン、ブーツ、グローブ、ラッシュガードという装備で潜っている。マスク用の曇り止めも必需品である。海辺のダイビングショップを見るたびに、「たまにはタンクを背負って潜りたいなあ」と思ったりしながら、この頃はどこへ行ってもスキンダイビングばかりになってしまった。
スキンダイビングは限界に挑戦しない。
スキンダイビングと言うと、いくつかの映画のイメージや話題などから、フリーダイビング(アプネア)と混同されてしまうこともある。
映画『グラン・ブルー』で描かれているようなフリーダイビングは「いかに深く潜るか」を競う競技であって、スキンダイビングとは別のものである。
スキンダイビングでは潜ってもせいぜい水深10mくらいまで。それでも3階建ての建物の屋根から道路を見下ろしたくらいの深さがあるのだから、そう簡単に潜れるものではない。
深く潜るということは、それだけ呼吸を止める時間が長くなるということ。呼吸を止めた状態で、下へと潜りながら耳抜きを繰り返すため、ただ息を止めているのとは違う。スキンダイビングでも、前述のフリーダイビングでも、無理な息こらえを行うことは耳抜きの失敗による鼓膜損傷や、突然の意識喪失などの事故が起こる確率が高くなるということでもある。映画『グラン・ブルー』では、フリーダイビング中のそんな事故の様子が描かれている。
また、深くまで潜ればそれだけ水面に浮上するまでの時間がかかってしまうことにもなるし、浮上後にあわてて息を吸い込むことで海水を気道に入れてしまう危険もある。そもそも海の中を見て楽しむなら、太陽光がたくさん届く範囲で十分ではないか、と思う。深いところでは、差し込む太陽光の量が減って周囲の景色は青く染まって見えてしまうし、水温がぐっと下がるところもある。この記事の中で紹介した写真も、せいぜい水深5mくらいまでの場所で撮影したものである。
海に入る時に必要なのは、自信ではなく余裕なのだと思っている。呼吸や体力、泳力、気持ちなどに余裕があることが安心感を形成し、その安心感がもたらす心の平穏がさらなる余裕を生み、海の中を美しく楽しく、イキイキと見せてくれる。海というのは、人間の呼吸=命を預かって人間を受け入れている場所なのだなということを、海に入るたびに思う。