from パリ(たなか) – 45 - モノクローム写真の中のパリ。

(2010.03.15)
パリ市庁舎裏の行列。30メートルくらいのフェンスを折り返すくらい並んでいたので、まあ15分も待てば入れるだろう、と。

いま、パリ市庁舎内にあるギャラリーSalle St-Jeanで、『イジス・夢のパリIZIS PARIS DES REVES』という回顧展が開催されているので見に行った。市庁舎の裏でパリ名物の行列に並ぶこと1時間あまり、ようやく館内に入ることが出来た。高い天井、格子模様の大理石の床、美しい列柱など、写真作品を見る前に毎度のことながら素晴らしい建築に感心し、つい見入ってしまう。
 

考えが甘かった。列はなかなか進まない。小雨もぱらつく。左に見える三越のライオンみたいな像の間が会場入口。中の様子を見ながら、係りのオジサンの裁量で10人ずつくらいまとめて入れてくれるのだが……。小一時間待って、ようやく中に入ったら会場内はガラガラ(日本的尺度だが)。自分のペースでゆっくり見ることが出来て良かったが、日本の客だったら怒っちゃうな、気が短いから。入場無料だから文句言えません。5月29日までやっています。
パリ市庁舎(左)のリヴォリ通り側に並んだ展覧会のポスターは写真集の表紙と同じデザインだ。市庁舎では以前ロベール・ドアノーの写真展も開催されたらしい。通り右側は、パリの東急ハンズみたいな『B.H.V.(ベーアッシュヴェー)』。

シャガールがオペラ座の天井画を制作した時の記録写真は知っていたが、それを撮影したカメラマンがイジスだったということがこの展覧会を見て結び付いた。彼の写真の全貌を見るのはもちろん初めてだ。会場を入ってすぐ、中2階の回廊のような壁面に第二次大戦のレジスタンス戦士たちの肖像写真が並ぶ。カメラを見据える意志的な眼の力強さに圧倒される。カミュやアンドレ・ブルトンなど、文学者や芸術家達の見覚えのあるポートレートもある。有名、無名の人々の写真を見ながら廊下を進むと、突き当たりの踊り場壁面に大きく引き延ばされた白い木馬の写真があった。雪の日のチュイルリー公園の回転木馬らしい。モノクローム写真の中の木の馬たちは公園の遊具から解き放たれ、雪原を無限に走り続けるようでもあり、シャッターが下りた時間で永遠に止まったままのようでもある。子どもを乗せていない木馬の表情がなんとも美しい。写真の前でしばらく立ち尽くしてしまった。
 

踊り場の壁面にディスプレイしてある木馬の写真。窓の外に見えるのは、市庁舎の裏にあるサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。
展覧会場で買った写真集を開いて、その日の気分で何枚か見ると気持が安らぐ。雪の日の木馬の写真。

会場は迷路のように壁面で仕切られ、REVE(夢)という大きなテーマのもとに、自由、パリ、楽園、ロンドン、サーカスなどの写真が並んでいる。シャガールの写真だけは赤が印象的なカラープリントだ。どれも見ごたえあるが、私は第二次大戦後のパリの街を撮った写真が好きだ。豊かではないが、日々の生活を精一杯やりくりしながら生きていこうとする人々の、明日にかける静かな希望みたいな気分が画面から伝わって来る。セーヌ河岸で昼寝をする人、釣りをする人、雨の5月1日にスズランを売る親子、遊園地の恋人たち、ウサギを売る少年、普通の人たちのふだんの生活の何気ない一瞬が見事に切り取られ、見る人の心に優しく囁きかける。写真を見る人に、むかし見た風景や個人的な気分を思い起こさせ、懐かしい記憶の回路へ導くことが出来るなんてすごい。写真のマジックだ。

イジスはリトアニアからパリへ移民して来たそうなので、パリの街では異邦人だ。そのせいもあってか、パリの人たちを撮るときのレンズの向け方が控えめな感じがする。一歩引いて、後や横から気づかれないようにそっと撮った感じの作品が多い。彼と比べるのはおこがましいが、私もパリで街の人々の写真を撮る時になかなかじっくり構えられない。カメラマンの端くれとして、イジスの気持ちの一端が理解出来るような気がする。

パリは観光客が多いので、一眼レフを首からぶら下げて歩いている人を多く見かける。パリのフランス人が写真にどんな興味を持っているのか、まだよくわからないが、写真の美術館やギャラリーなどは東京より多いような気がする。日本では、カメラのメカニズムや撮影することに人気があるようだが、パリでは作品を鑑賞するほうに興味の重点があるような、日仏の写真の楽しみ方の違いがあるような印象を持ったが、まだ詳しくはわからない。どちらにせよ、素晴らしい写真展を見ると、印画紙にプリントされた画像の力を感じる。デジタル画像をモニター画面で見ることに慣れてしまった今日、写真はやっぱり紙に焼いて残さなくては、と妙に反省してしまった。

セーヌ河畔の写真が多い。ポンヌフで釣りをするムッシュ、刺繍をするマダム。こんな老後を送りたいものだ。
フランスでは5月1日はスズランの日。大切な人に贈ると幸せになれるらしい。
1948年の写真だが、この風景が今もそのまま普通にあるのがパリの醍醐味だ。