from 岐阜 – 14 - 長良川母情 第14話 ~春の吉兆、薄紅色の桜もち~

(2009.08.26)

まるで文金高島田の優雅な日本髪か? 新緑に彩られた、こんもり小高い山々の姿は。関市の千疋大橋から長良川は西へと蛇行し、やがて武儀川と合流し南へ。一方、支流となった今川は津保川と結ばれ、上芥見へと下り再び長良川となる。この辺りの川堤から川下を眺めていると、真っ赤な欄干の藍川橋が、どうにもぼくには文金高島田のような小高い山に差した、簪(かんざし)に見えるから不思議だ。橋の中程に佇み川下を眺めると、正面に兎走山、右手に大蔵山、左手に清水山の三山が、大河の流れに立ちはだからんとばかりに鎮座している。その大自然の造形美たるや、長良川下りの絶景でも一二を争うに違いない。

「日本の春は?」の問いに、桜と答える人は多い。古くから桜は、日本人の心の琴線(きんせん)を揺らし続けて来た。その潔い散り際に儚い死生観を重ねたり、時には満開の桜に大願成就の夢を託す。子どもの頃のぼくは、和菓子屋の店先に春を感じたものだ。鴬餅に草餅、そして一番馨(かぐわ)しいのは何と言っても薄紅色の桜餅。塩漬けの葉が、えも言われぬ香気を放つ。だがどうにもその葉っぱが苦手だった。年に一度、口に入るかどうかの桜餅が、なぜかその日は水屋に3つ。父母とぼくの3人に各々(おのおの)ひとつの計算だ。あまりに「美味い」と繰り返し、葉っぱだけ外してペロリと平らげたからか、母が自分の分を差し出した。「そんなに美味いんやったら、これも食べ」「ええっ? 本当にええの?」「お母さん今食べとうないで。お前が残した葉っぱで十分やわ。塩味が効いてええ香りやし」。今思えば、母は何かに付けそうだった気がする。特に我が家にとっての贅沢品が、卓袱台に上った日は。鰻なら「端っこの方が美味い」と尻尾を、すき焼きなら「肉よりよっぽど糸コンの方が美味い」と嘯(うそぶ)いては、父とぼくの皿へ大きな身の鰻や肉を取り分けた。「あれっ、父ちゃん桜餅いらんの? さっきから葉っぱばっか食べとるけど?」。五つになったばかりの娘の声に、ぼくは現実に引き戻された。今から10年も前のことだ。どうにも血は争えないと言うことか。

「息子の修業が明け、師匠のお宅へお礼に伺った時、桜餅が出されたんやて。何とも言えん、ええ色で艶々しとってね」。岐阜市上芥見、菓匠『豊寿庵富田屋』2代目女将の後藤敏子さんは、店先で3代目の豊さんが拵(こしら)えた自慢の桜餅を指差した。敏子さんは2代目の民康さんの元へ、日本中が沸き返った東京五輪の開会式の日に嫁に入った。「主人の父は4歳の時に戦死し、祖父が父代わりで。『孫の嫁を一目見んと』って、病を押してまで楽しみにしとってくれたらしいわ」。二人は熱海へ新婚旅行に向かった。しかし翌日、祖父危篤の知らせが。「嫁入り3日にして、今度は祖父の葬儀やでね」。背中合わせの吉凶。だが、それでも人は生きてゆかねばならぬ。その後、一男二女が誕生。夫と共に家業を護り抜き、晴れて息子へと襷(たすき)を渡した。

桜の花びらは風に舞い散る。やがて芽吹く若葉に、自らの命を授けるように。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年4月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

「母がものすごく喜んでました」。敏子母さんの自慢の息子、豊さんの声も心なしか電話口で弾んでいた気がする。ぼくらにとっても、何よりの瞬間だ。敏子母さんは、取材時に少し腰を患っておられた。お体の具合を案ずると「元気にしてます!」と。暑い夏が終われば、すぐに秋のお彼岸に十五夜と、歳時記を彩る菓子作りに追われるはず。どうかいつまでもお元気で。

 

Googleマップ: 14 豊寿庵富田屋

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*地図のポイントは、岐阜市上芥見148で検索した場所です。