from パリ(たなか) – 16 - 東京の花火と、パリ駐在員事務所。

(2009.08.17)

7月半ばにパリから一時帰国した。梅雨末期の成田空港に降りたとたん、覚悟はしていたが強烈な蒸し暑さに襲われた。しかし久しぶりの日本の湿気が妙に懐かしく、母の胸に抱かれる子どものような安堵感を感じたのは我ながら意外だった。温帯モンスーン民族のDNAを再認識。長崎育ちの私は縄文の血が濃いのかも。パリに3カ月住んで乾燥した気候にも順応したつもりだったが、体の芯の部分は無意識に拒否していたのかも知れない。

日本へ帰ってあれが食べたいとか、これをしたいとかは、意外なほど何も無かった。ただ、パリを立った日が7月14日の革命記念日直前だったので、噂に聞くエッフェル塔の花火を見ないで帰ることに後ろ髪を引かれる思いはあった。そんな折、一時帰国した日本は花火シーズンが始まる季節、週末ごとの花火見物をどこにするか頭を悩ますのも日本ならではの楽しみ。パリでは夏至を過ぎた頃から街中がバカンス気分で浮き足立ち、私が住んでいるバニューでもなんと夜の11時頃(日没が遅いので、こんな時間でないと暗くならないのだ)打ち上げ花火が上がった。しかし日本の花火大会とは全く趣を異にし、感動には至らない。革命記念日の花火見物は、来年の楽しみに取っておこう。

ニッポンの尺玉はやっぱり最高だと思う。菊もいいし、牡丹も好きだ。八重芯はなおのこと、打ち上げ花火の王様だ。写真は調布の花火。私が一番好きな花火大会のひとつ。毎年、川崎側の稲田堤で首を痛くしながら楽しんでいる。去年は小雨の中でさんざんだったが、今年は煙も残らず、腹に響く尺玉の音を心行くまで堪能した。

ところで私は、新規事業の調査とパリ駐在事務所設立の準備が目的で今年の4月にパリへ遠征したのだが、今回はあくまでも観光ビザの旅行者であり、パリではまだ住所不定のはぐれ雲。そういう身分のままで部屋の賃貸契約を結んだり、家賃自動引き落としの為の銀行口座を開設するには、色々な証明書類が必要なことを、身を以て知ることとなった。東京の会社の総務に雇用証明を送ってもらったり、世田谷に住んでいる娘に戸籍抄本を頼んだりと、頻繁に日本と連絡を取りあった。

インターネットで検索した不動産物件の中から、条件に合う部屋をセレクトし、電話で連絡して見学のスケジュールを決める。私には出来ないので、イナバさんにお願いする。ネット上で部屋のデータや写真は見られるが、なぜか間取り図は掲載されてないことが多く、実際に行ってみないと全容がつかめない。パリのあちこちを8件ほど見学して不動産事情にも明るくなり、目標も高くしながら最後にいい部屋に巡り会うことが出来た。何事も運やタイミングが大切とは言え、イナバさんありがとう、おつかれさま。いっしょに不動産屋でも始めようか?

駐在事員務所はパリ6区、サン・タンドレ・デザール通り(Rue St-Andre des Arts)にある。ノートルダムやサン・ジェルマン・デ・プレが近いせいか観光客も多いが、パリ大学もすぐそばなので学生も多い。本屋や映画館、市場やエスニック料理屋などが充実していて、この界隈で生活するのが楽しみだ。

私ひとりだったら途方に暮れただけの、情けない旅行者のまま帰還したことだろう。何度も挫折感や無力感、時々小さな達成感も味わい、その一部始終をブログに書き留めようと思ったりもしたのだが、1週間もしないうちにイヤなことは忘れて、まァいいかと……。別の面白いことに興味も移ったりして、もしかしてラテン気質に感染しやすいタイプ? いや、単にアバウトなオジサンか?