from 山梨 – 23 - 4年ぶりに出現した神様の足跡
~諏訪湖の御神渡り。

(2012.02.13)

日本海側で記録的な大雪に見舞われた今年の冬。
山梨県の甲府でも午前中の気温がずっとマイナスなんて日もあって、盆地の冬の厳しい寒さを実感、というか痛感している今日この頃。

山梨県のお隣の長野県には、諏訪盆地という日本の盆地の中でも標高の高いところに位置する盆地があります。
甲府盆地の平均標高が300mで、それでも比較的高所であるのに対して、諏訪盆地の標高は750m~900m。
その諏訪盆地にある長野県内最大の湖が諏訪湖。
諏訪湖の周辺に4カ所の境内地を持つのが、信濃国一宮で、名神大社の諏訪大社です。
『諏訪さま』『諏訪大明神』とも呼ばれています。

諏訪湖周辺に4カ所の境内地、と書いたように、諏訪大社というのはお社(やしろ)がひとつある神社ではなく、4つのお社の総称。
諏訪湖南側の上社は本宮と前宮からなり、御祭神は『建御名方神(たけみなかたのかみ・大国主神の御子神・諏訪大明神とも)』。
そして、諏訪湖北側の下社は秋宮と春宮からなり、御祭神は『八坂刀売神(やさかとめのかみ・建御名方神の妃神)』。


諏訪大社の御朱印。4カ所目で御神供の落雁を頂きました。
諏訪大社の神様のこと

古事記の中で建御名方神は、天照大神の使者であった建御雷神に戦いを挑んで破れ、諏訪へと逃げてきた神様として書かれています。
ですが、建御名方神は全国の諏訪神社に祀られ、軍神、農耕神、狩猟神、風の神、水の神など、様々な土着信仰と結びついて多くの信仰を寄せられているので、古事記の編纂に政治的意図が働いたのでは、なんて説もあるようです。
甲斐の戦国武将、武田信玄も諏訪明神を軍神として尊崇していたひとりで、風林火山で知られる軍旗『孫子の旗』と共に、『南無諏方宮法性上下文明神』と記された『諏訪神号旗』を戦勝祈願の旗印としていました。
武田信玄がいくら信心深いといっても、力比べに破れて逃げてきた神様を軍神として崇拝するというのは少々疑問。
政治的意図説が気になるところです。

ところで、建御名方神の母親である沼河比売(ぬなかわひめ・奴奈川姫とも)は高志国(現在の福井県~新潟県)のお生まれ。
高志国は、『沼名河之 底奈流玉 求而 得之玉可毛 拾而 得之玉可毛 安多良思吉 君之 老落惜毛-沼名川(なぬがは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜(を)しも』と万葉集に歌われていることからもわかるように、古来より翡翠の産地でした。
そこで思い出したのが、諏訪大社上社本宮の布橋に施されている、龍の彫刻。
目に入っているのは翡翠です。
これまでは龍神信仰があるんだなあと思っていただけでしたが、龍の目に翡翠が使われているのは、ただ貴重な石だから、というだけではないのかもしれない。
そういえばここには『翡翠みくじ』という、翡翠を授かるおみくじがあって、それを見てもかつては「諏訪でなぜ翡翠?」と思っていただけだった……うーん、少し暖かくなったら諏訪大社を再訪して、神様のことを色々確かめてみたい。


上社布橋の龍の彫刻。目に大きな翡翠が入っています。
神様の足跡で占う、今年の世相

冬、諏訪湖が結氷すると、諏訪湖南側の上社にいらっしゃる建御名方神は氷の上を通り、諏訪湖北側の下社にいらっしゃる奥方、八坂刀売神のもとへお渡りになります。
結氷した諏訪湖の上に残されたその跡が、諏訪湖の『御神渡り(おみわたり)』。
2008年を最後に確認されていませんでしたが、今年4年ぶりに出現認定されました。
2月に入ってからの出現認定は、1982年以来30年ぶりだそうです。

御神渡りというのは、諏訪湖が全面結氷→さらに気温が下がることで氷が収縮して亀裂が入る→亀裂に入り込んだ水が凍る→その後気温が上がることで氷が膨張→その圧力によって亀裂の薄い氷が大きな音と共に割れてせりあがる→さらに気温が下がることで氷が収縮して亀裂が入る→亀裂に入り込んだ水が…という繰り返しによってできる自然の氷細工。
この亀裂やせりあがりを繰り返す過程で御神渡り“現象”が見られ、その後、氷の厚さや筋を見て御神渡り出現が認定されることになります。

御神渡りの出現を判定するのは、諏訪大社上社の摂社である、諏訪市の八剣(やつるぎ)神社。
御神渡りの記録は400年以上もの間『神渡帳(みわたりちょう)』に記録され続けていて、過去の記録をもとに、出現した筋でその年の作柄や世の中の吉凶、気候雨量等を占います。
今年の占いによれば、世相は「厳しい中だが明るい兆しが見えて来るだろう」、農作物の作柄は「中の上」だそうです。


理屈ではわかっていても、近くで見るとやはり不思議です。

良いことも悪いことも、神様の思し召し。
良いことがあれば神様のおかげと感謝して、思い通りにならないことや悪いことがあれば適当に神様のせいにして。
驕らず、悲観せず。
昔の人々は、神様との付き合い方が上手だったのですね。
 

諏訪大社
諏訪湖の御神渡り