土屋孝元のお洒落奇譚。パリ ポンピドーセンターの横にひっそりと ブランクーシさんのアトリエ。

(2014.10.01)
コンスタンティン・ブランクーシ『接吻』より。この作品は他のものより小さいですね、石彫で無駄がないフィルムです。© Takayoshi Tsuchiya
コンスタンティン・ブランクーシ『接吻』より。この作品は他のものより小さいですね、石彫で無駄がないフィルムです。© Takayoshi Tsuchiya
ブランクーシ。
アメリゴ・モジリアーニ、イサム•ノグチの師匠。

パリのポンピドーセンターの隣にブランクーシさんのアトリエがあります。ここはブランクーシさん本人がアトリエをそのまま残すならかまわないと了解したところです。

唐突にブランクーシと言われても、それはどこの誰ですか? という人が多いことでしょうね。アメリゴ・モジリアーニ、イサム•ノグチの師匠でルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ、です。パリの美術学校を卒業後、卒業制作を見たあのロダンに誘われて助手となりますが、すぐに辞めて自分のアトリエを開き制作を始めます。正しくはモジリアーニはすぐにやめたらしいので 師匠と呼ぶにはどうでしょうか、モジリアーニの立体作品には彼の絵画におけるポートレイトの独特のフォルムやデフォルメの片鱗を感じますが、その立体作品にはブランクーシの影響とも思われる 当時パリで流行していたアフリカ文化の影響を個人的に感じます。

アトリエはパリ市内モンマルトルから移築され、道具や作りかけの作品の位置まで正確なようで これを作るには建築家のレンゾ・ピアノも悩んだようです。レンゾ・ピアノはポンピドーセンターの建築家で、関西空港の建築家でもあります。

アトリエ内の作品の位置、とは、ブランクーシさんは晩年新しい制作をあまりしないで、作品が売れてしまってなくなってもそこに石膏型で全く同じものを配置してバランスをとっていたらしいのです。アトリエ全体が作品なのかもしれませんね。

正面のポートレイト像はアフリカの影響でしょうか、台座とのバランスが面白いです。
正面のポートレイト像はアフリカの影響でしょうか、台座とのバランスが面白いです。
 

金属彫刻、石彫、
それぞれのアトリエ。

金属彫刻、石彫、それぞれ工房というかアトリエがあり、道具なども微妙に違います。個人的にもブランクーシさんの作品の台座に興味があり、どのように作っていたのだろうか、と観察しました。鏡面仕上げのミニマルな無駄のない表現の真鍮無垢の金属彫刻に、荒々しいノミ後の残る一木作りの台座を合わせる。素材とフォルムの組み合わせにブランクーシらしさを感じます。金属作品に木製の台座、あるいは大理石の台座とか、大理石の作品に木製+黒い石の台座、とか、まあなんともセンスが良いのです。今、見てもそう思うのですから 制作当時はどのように見られていたのでしょうか。

アトリエの中を注意深く見回すとゴルフのクラブセット、大型写真機、ギターなどがあり、どのように使っていたのだろうかと想像させます。この写真機は自分で作品を撮影するためのものだったようで 交友があったマ・レイから写真を教わってアトリエ内に暗室まで作り作品を撮影していたようです。

ブランクーシさんは、ポートレートを見ると仙人のような風貌で誰からも好かれただろうと想像できます。その交友はいろいろとあったようです、友人達を招いて料理を作るのもアトリエ内だったと記録にありました。たぶん、その時にでもアトリエにあったギターを弾いたのでしょうか。ゴルフも気の合う友人達と出かけたのでしょう。

いろいろ面白いものが沢山あります。ここで友人を招いて料理を振る舞ったとか。
いろいろ面白いものが沢山あります。ここで友人を招いて料理を振る舞ったとか。
 
芸術作品か工業製品か?
それが問題だ。

ブランクーシさんの作品が売れたのはやはりアメリカが中心でした、経済活動はヨーロッパからアメリカに移り、現代美術コレクターも多かったからでしょう。

税関でアメリカに入る時に、ブランクーシさんの作品は芸術作品か工業製品かと言う問題が起こります、長い裁判で後に解決するのですが、あまりにもミニマル過ぎる表現なのでそのような誤解を招いたのかもしれません。

そのフォルムは無駄をそぎ落とし極限まで省略化されていても 見るものに温かみや感動を与えます。石彫には石彫の良さが、金属には金属の良さがあります。

素材を上手く組み合わせるセンスが素晴らしく、また使いこなした作家で尊敬する一人です。

アトリエ・ブランクーシ(L’Atelier BRANCUSI)Atelier BRANCUSI Geroges Pompidou 75004