from 岐阜 – 15 - 長良川母情 第15話 ~風呂屋の脱衣場でカポーンカポーン~

(2009.09.01)

『カッポーン、カッポーン。筋肉質の男の裸体。風呂上り』。たったこれだけのヒントでピーンと来たならば、あなたは立派な昭和の生き証人である。

時は昭和39年。戦後の焼け野原からの見事な復興振りを、東京五輪が世界中に知らしめた。同年12月、プロレス界では大相撲出身の豊登(とよのぼり)が、宿敵ザ・デストロイヤーを破りWWA世界ヘビー級王座のベルトを奪い取った。戦後19年とはいえ、戦地を流転した父なんぞは、B-29を陸軍の三八式銃で撃ち落したほどの喜びようだった。

夕飯を終えた客でごった返す銭湯。脱衣場はまさに、国府宮の裸まつりさながら。番台の上の時計が8時に近付くと、男湯の脱衣場は静まり返り湯船はもぬけの殻。男たちは入り口脇に鎮座する、白黒テレビに熱い視線を送る。風呂屋のオヤジが厳かにテレビのスイッチを入れた。だが今とは異なり、直ぐに映像は映し出されない。真空管テレビの時代である。箱の奥の方から、ゆっくりと映像が浮かび出で、徐々に大きくなって画面一杯に収まる。

すると脱衣場では「待ってましたあ!」の掛け声や、ヤンヤの喝采。誰もが片寄せあい小さな画面に見入り、一喜一憂の雄たけびを上げる。こんな状態のまま番組終了を迎えるのだ。すると男たちは豊登気取りで、裸のまま両足を肩幅より大きく開き両手を広げる。そして弾みを付けながら真下へと振り下ろし、その勢いで弧を描くよう体の前で交差させ右の拳を左脇へ、左の拳で右脇を絞める。するとあちこちから、カッポーン、カッポーン。中には「カパッ」や「ペシャ」と、腑抜けた音がした。

「ちょっとう、あんたたち!いつんなったら帰るつもり! ええ加減湯冷めしてまうがね!  まあ置いてくでね!」。女湯の脱衣場から、怒りを露にする母の声が響いた。慌てて父と身支度を整え家路へ。さっきまで豊登になった気でいたのに、もうそれどころじゃない。家では世界チャンプ以上に恐ろしい母が、手ぐすね引いて待ち構えているはずだから。

「そうやて。あんなころはどこも一緒やわ。家のお客さんもみんなしてカッポーンやて」。長良橋を北へ渡った長良北町商店街。その一角にある『福寿湯』の女将林茂子さん(74)は、男湯と染め抜かれた暖簾を掛けながら笑った。茂子さんは昭和10年、旧三田洞村で5人兄姉の末子として誕生。二十歳の年に叔母の紹介で林家に嫁ぎ、一男一女を授かった。「本当なら端午の節句は、菖蒲湯せんとねぇ。でも10年ほど前に、やめてまったであかんわ。昔は手拭い縫って袋にして、菖蒲の葉を3cmほどに刻んで、蓬と一緒に入れて薬湯に浸け込んだもんやて」。茂子さんは懐かしげに脱衣場を眺めた。

邪気を祓う風呂屋の菖蒲湯。脱衣場に木霊したカッポーンの音(ね)。昭和の風情が、また一つ遠のいて往く。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年5月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

「わたしあんな風に喋ってまったんかねぇ。なんかまあちょっとましな、受け答えできんもんやったろうか。それにしても絵がよう似とるって、近所の人らに『奥さん、新聞に出とったねぇ』って言われたわ」と、茂子母さん。秋の虫の音に初秋の訪れを感じるこのごろ。茂子母さんの銭湯にのんびり浸かり、少しひんやりした秋風を身体で感じながら、中秋の名月でも仰ぎ見たいものだ。

 

Googleマップ: 15 岐阜駅・岐阜公園『福寿湯』

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*地図のポイントは、「岐阜市長良福光2666-3」で検索した場所です。