from 岐阜 – 10 - 長良川母情 第10話 ~顔の皺は、夫婦が共に生きた半世紀の勲章~

(2009.07.28)

そう言えば母のバッグは、まるでドラエモンのポケットのようだった。

思春期を向かえ母と共に出掛ける機会もめっきり減り、そんなことすらすっかり忘れ果てていた。その事を再び思い出したのは、26歳の時だ。親子3人のぼくの家は、お世辞にも豊かとは言えなかったが、それなりに倹しくも笑いの絶えぬ平和な毎日を送っていた。しかしそんな我が家に突如として大事件が勃発。一家の大黒柱の父が、前頭葉の動脈瘤破裂に倒れ緊急入院となったのだ。手術中の赤いランプを眺めながら、母とふたりでこの世も果てと言わんばかりに大きな溜め息を落としてばかり。だがそんな切羽詰った状況下にあっても、健康体のぼくの内臓はめげることなく活発に機能し、時折りグッグーッと静まり返った廊下で悲鳴を上げた。

「何い、もうこんな時に!」。思いつめた母の顔にわずかな笑みが戻った。まるで憑物が一瞬のうちに落ちたように。すると徐にバッグを覗き込み、「こんな時にもう。これでも食べときなさい」と。喫茶店でコーヒーのお供に出される小袋入りのピーナツを差し出した。封を切り一口で食べ終えると、母はバッグをまさぐり無言でもう一袋を取り出す。母は恐らくどこぞの喫茶店で供されたものを食べず、こんなこともあろうかと持ち帰っていたのだろう。ピーナツから一口サイズのカステラ、そして果ては紙ナプキンに包まれたゆで卵まで。手術が無事終わることだけを祈り、不安に苛まれながらもただ待ち続けるしかなかった母とぼくは、ドラエモンのポケットのような母のバッグに救われた。おまけに父も命拾いしたのだから、それはそれはたいしたものだ。

「この落花生を塩茹でしてお米と一緒に炊くと、これがまた美味いんやて。美並の郷土料理やわ」。その名も「落花生ごはん」とか、実にストレートで分かりやすい料理名だ。長良川の川岸の畑に屈み込み、茎を土中から抜き取り、土塗れの落花生を収穫しながら郡上市美並町大原の末松房子さん(73)は顔を上げニッコリ。長良川鉄道のみなみ子宝温泉駅を100mほど南へ下った畑である。その先には真っ赤な勝原橋と鉄橋が架りなんとも風情がある。「ここで日がな一日のんびり畑耕して、疲れたら駅の温泉に浸かって極楽気分やて」。夫の栄さん(82)が、鍬を片手に笑った。「まあ家風呂みたいなもんやて」。夫婦は今年で結婚50年。男子二人を授かり、今は長男夫婦と孫の三世代同居。「他のことやれんで、家族で食べる分の野菜をふたりで呆け防止に作っとるんやて」。ふたりの小さな畑には、1年を通じ野菜の花が咲き乱れやがて実を結ぶ。「連れ添って50年やで、そりゃあ喧嘩なんて数え切れんって」。ふたりで顔を見合わせ笑った。

顔に刻まれた幾筋もの皺。それは半世紀を喜怒哀楽と共に歩んだ者だけが、やっと手にすることの出来る夫婦の勲章なのだ。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年12月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

「恥ずかしかったわ。あんたが新聞に載せてくれたもんで、近所の人らに『新聞見たよ』って道ですれ違うと言われるもんやで。そんでも今思うと、ええ記念やわ」と、房子母さん。今も秋の収穫に向け、夫と畑仕事に精を出しているそうだ。

 

Googleマップ: 10 みなみ子宝温泉駅南の畑

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