from 北海道(道央) – 28 - 北海道の開発。それは、坂本龍馬の「夢」でもあったのだ。

(2010.03.19)
ワイン用葡萄の葉が紅葉する秋の「鶴沼ワイナリー」。

「北海道独立記念日」。

「あの頃、龍馬が「北海道は日本の宝だ!!」と叫んでいなければ、今、北海道国という「国家」は存在しなかっただろうな……」と、遠くピンネシリの山並みを眺めながら、冷静沈着に日本国・ロシア・中国、加えてアメリカ合衆国との狭間で見事な外交を展開する第12代北海道国大統領である渡辺悠太(わたなべ・ゆうた)は語った。
 
「万が一、1867(慶応3)年11月の暗殺未遂事件で龍馬さんが切られていたら、北海道の食料に支えられている日本国など、30年前にはもはや消滅していたでしょうね。龍馬さんの北海道開拓への情熱と、その後の食料生産、石狩川の治水対策、エネルギー生産に対する熱い思い。これこそが、北海道国にとっての「魂」そのものですよ」。北海道国では珍しくない、アメリカ人と日本人との間に生まれ、卓越した外交手腕を発揮する北海道国・外務大臣のジェームズ・山田(やまだ)は、大統領の渡辺悠太に対して熱く語る。
 
「それにしても、我が国と日本国との貿易自由化交渉。そろそろ日本国側に多少譲歩しなければ、日本国側の食料不足は逼迫度を増していると聞いていますし、ここしばらく続いていた「環太平洋の和平」に危機をもたらしかねませんよ」。北海道国では初の女性防衛大臣となったトシ・タカツは、アイヌ民族の出身であり、多国籍国家を形成している北海道国における多民族間の融和には人一倍心を砕いてきた人物だ。
 
生まれを異にする3人の北海道国の政治家たちは、豊かに色付いた東洋一のワイン用葡萄を産出する「鶴沼ワイナリー」にて、「坂本龍馬」が眠る墓地の方向を穏やかな表情で見つめている。テーブルには、北海道産のソーセージやチーズがふんだんに盛り付けられている。北海道国のエネルギーベースの食料自給率は、現在200%である。3人は、グラスに注がれた龍馬が熱心に栽培努力してきた「ドイツ原産のアムレンシス」ワインを、「北海道国の未来に幸あれ!」と高らかに乾杯し、一気に飲み干したのであった。

 

龍馬は、なぜ北海道(蝦夷地)に関心を?

たまには「フィクション」でもということで、龍馬が生きていたらどうなっていただろうと、ちょっと想像してみました。
 
坂本龍馬(さかもと・りょうま。1836-1867)の生い立ちと生涯については、皆さん既に知るところでしょう。その龍馬と北海道開拓との話が記録の上で、初めて登場したのはいつかを調べてみると、『海舟日誌』では1864(元治元)年6月頃「浪士による蝦夷地開発計画を幕府に提出」という文言が見つかります。

また、龍馬の妻であった「お龍」の「龍馬は蝦夷地を開拓に行くと始終云っていたので、自分も蝦夷地の言葉など覚えたりしていた」という趣旨の後日談を『千里駒後日譚』に読むことができ、龍馬が「北海道の開拓を真剣にライフワークにしよう」と考えていたことが伺いしれます。
 
なぜ龍馬は北海道へと駆り立てられたのか。その理由としては、「北前船」によって関西にもたらされる北海道の豊かな海産物、森林資源の魅力、一方で、幕末に多数存在した浪士たちを北海道へと送り込み、開拓に従事させつつ国防に当たらせるという、当時抱えていた現実の課題解決のための「マッチング」を追い求めた末での発想だったのではないでしょうか。自分はそう推測しています。
 

龍馬の跡目を継いだ坂本直の妻・留、子・直衛が眠る「坂本龍馬家の墓」。2メートルを超える雪で埋もれていて、撮影できず。(写真は浦臼町提供。)
龍馬直筆の手紙も残っているらしいが、保存に耐えないということもありレプリカ展示。筆まめな龍馬の一面を「通釈」からは読み取ることができます。

 

「鶴沼ワイナリー」の所在地、浦臼へと親族は移住。

龍馬の兄である「権平」(ごんぺい)。その息子である「直寛」(ちょっかん)。龍馬からは甥に当たります。その坂本直寛(1853-1911)一家が北海道(空知/そらち)・浦臼(うらうす)へと移住したのは1898(明治31)年。その年、子どもがいなかった龍馬の養子となっていた坂本直(さかもと・なお。1842-1898)は、高知で亡くなり、直の妻・留と息子の直衛は直寛らを追って、翌年、龍馬の遺品を携えて浦臼へと移り住んだのです。
 
今では「北海道ワイン(株)」の直営農場である「鶴沼ワイナリー」の存在でワイン愛好者の間ですっかり有名になった浦臼町は、びっくりするような坂本龍馬との縁でつながっていたのです。

不思議なもので、北海道に移住した坂本家の人々は敬虔なキリスト教徒であり、現在も浦臼にある「聖園教会(せいえんきょうかい)」の協会員だったそうで、ワイン文化史研究家の自分としては、鶴沼に東洋一の規模を誇るワイナリーが育ったことも「神の恵み」だったのかも知れないと、妙に納得してしまいました。

 

龍馬の生きた証が、肖像画として保存。

さて、現在改めて浦臼町が坂本龍馬との関係で脚光を浴びている理由は、一枚の肖像画にあります。北海道美術界の黎明期を代表する画家・林竹治郎(はやし・たけじろう。1871-1941)。彼が描いた「坂本龍馬の肖像画」が、俄かに脚光を浴びているのです。
 
この肖像画は、坂本家の人々同様キリスト教徒であった林が、今から75年以上前に坂本家からの依頼を受けて龍馬を油彩で描き、坂本家から浦臼小学校(当時の聖園小学校)に寄贈されたものなのだそうです。
 
時あたかもNHK大河ドラマで『龍馬伝』が放映されているタイミングでもあり、岸泰夫(きし・やすお)浦臼町長は「『なんでも鑑定団』で鑑定してもらわなければならないな~」と豪快に笑いつつ、浦臼町郷土資料館で今年の4月中旬から一般公開する予定とのことです。

GW以降、ワイナリー巡りの旅の途中にでも、幕末史と現代との接点について、皆さんなりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
 
浦臼町ホームページ

浦臼町郷土資料館。札幌から浦臼までは、JRで約2時間。高速道路を利用して、約1時間30分。(写真は浦臼町提供。)郷土資料館には、坂本龍馬関係の展示のほか、浦臼開拓当初からの歴史も学ぶことができます。
北海道を代表する画家・林竹治郎が描いた龍馬の「油彩」。
岸泰夫(きし・やすお)浦臼町長(写真右)と「浦臼龍馬会」会長に就任予定の折坂美鈴(おりさか・みすず)さん(写真左)。折坂さんは、浦臼町初の女性町議会議員。
「浦臼龍馬会」の会報・創刊号。『夢はてしなく』。
浦臼町役場には、龍馬像が置かれていました。
坂本家の家系図。(クリックで拡大します)
以前エリアナビで紹介した新十津川町の「金滴酒造」さんで作る日本酒。そして「北海道ワイン」さんが作るワイン。両者ともにオリジナルラベルで発売。
浦臼で大人気の食べ物は「道の駅 つるぬま」で売っているソフトクリーム。「北海道で一番美味しいソフトクリーム」という絶賛の声も聞こえてきます。ちなみに、こちらは龍馬に因んだ「北の龍馬羊羹」です。
龍馬の等身大パネルと身長比較する筆者。身長178cmの筆者と比べてみて、当時としては、龍馬、大柄だったのではと感じました。

 
ちなみに、今回調べてみると、自分と坂本家との関係やら「縁」が浮かび上がり、妙な謎解きをしている気分でした。坂本龍馬の存在を世に知らしめるきっかけともなった、『竜馬がゆく』を司馬遼太郎先生が執筆されはじめたのは自分の生まれた1962(昭和37)年。北海道開拓(開発)に「夢」を描いた龍馬の「志」に改めて共感。さらに、直寛の孫にあたる「直行」(なおゆき。1906-1982)は、自分の高校の先輩(北海道札幌西高等学校(当時、札幌二中))。そして何より、北海道のワインと言えば、やはり「鶴沼」を忘れては語れません。