from 東北 – 1 - 秋、IMONI、芋煮、郷土を想う。

(2008.10.03)

仙台の秋といえば、味覚の秋。
味覚の秋といえば、やっぱり芋煮!
コレを食べずして、仙台は語れない。
勝手ながら、私はそう確信している。

芋煮の準備は場所取りからはじまる。
「広瀬川、流れるきしべ~」の歌で有名な
広瀬川周辺は「超」がつくほどの激戦区。
広瀬川沿いに陣をかまえるのが、いわば仙台人の芋煮のステータスだ。
それだけにこの場所争いが、その年の芋煮会の運命を決める。
ロケーションの味は絶好のスパイス。
キラキラと光る広瀬川を見ながら食べるのか
枯葉の混ざる雑木林を見ながら食べるのか。
そこまでならまだ良い。
さらに戦いに敗れた者は崖の下まで追い込まれる。
決して「崖の上のポニョ」のイメージはそこにはない。
まさに落ち武者さながらだ。
ちなみに場所取り班としての私の成績は約7割。
かなりの高アベレージだと自負している。
残りの3割は気にしないでほしい。
勝利した場所取り班はその日、一日ヒーローでいられるが
負け組みは一年間、何かにつけてののしられる。
とにかく過酷で、ハードな使命を任せられたポジションだ。
いかにしてチームを組むのか、スケジュールは、そしてサプライズは起こせるのか。
この計画が勝負を左右する。
気づいた方もいるかもしれないが、芋煮会は戦いなのだ。

秋の味、郷土の味。それが仙台芋煮。

ようやく自分らの縄張りを無事に確保できたら
宴の準備のはじまりだ。
いよいよ花形の食料班の出番である。
石を集めて囲いをつくり、大鍋の下に薪を用意。
水を張って、薪に火をつければセット完了。

ここから具材投入を開始。
サトイモ、豚肉、大根、にんじん、こんにゃく、ごぼう、きのこ、ねぎ、うどん。
気の向くまま、とにかく入れる。
会話もどんどんはずむ。
「この肉うまそ~。○○君、生で食べないでよ」
もちろん勝ち組グループの場合だ。
「○○君、それとって。皮むいて。これ洗ってきて」
一方、崖下組みの会話はめっきり味気ない。

ただ勝っても負けても、お決まりがある。
仕上げに使うのが、「仙台みそ」であるということ。
隣県「山形」では醤油をベースにするようだが
ここ仙台では味噌ベースが主流。
仙台みそ、実は知る人ぞ知る、隠れた銘品なのだ。
発案者はなんと、独眼竜でおなじみの伊達政宗公らしい。
文武両道といわれる大名様だが、食にもけっこううるさかったようだ。
仙台のおいしい食文化に貢献していることは間違いない。

みそで味を整えたら、仕込みは終了。
グツグツと煮だつのを待つこと、約30分。
食料班の味見が終わったら、「ハイ!できあがり!」

「それではいただきます!」───
「え?」と思う方もいるかもしれないが
あえて、この場では「味」がどうのこうのは書かない。
「うまい、まずい」は食べた方が決めること。

それよりも大切なことがあるように思う。
それは「味」よりも「場所取り」だということ。
芋煮会には多くのドラマがある。
エピローグがハッピーエンドになるのか
はたまたバッドエンドになるのか。
それはプロセスをどう楽しめるか、どこまで頑張れるかにかかっている。
「このくらいでイイや」の気持ちや考えは存在しない。
そして、それがエンディングにつながるように感じる。
結果よりも過程、それが一番大事なこと。
芋煮会にとっても、私自身にとっても。

今秋も仙台・広瀬川に私は立つ。
もちろん「場所取り班」として。
「いざ仙台!いざ広瀬川!」
仙台より遠く離れた、ここ東京にて
私の「秋の陣」の準備をすでにはじめている。