from 岐阜 – 18 - 長良川母情 第18話 ~小紅(おべに)の渡し~

(2009.09.22)

鏡島大橋を少し下った先に、渡し舟がある。岐阜市一日(ひと)市場の右岸から、鏡島弘法の左岸へ向け、片道たった2分の舟旅。それが「小紅(おべに)の渡し」だ。舟から見る景色は、何とも浮世離れしている。都会の喧騒は川の水音に掻き消され、高層ビルも土手が遮り、川上の金華山と岐阜城だけが悠然とその存在感を示す。

小紅の由来には諸説ある。昔の女舟頭の名とか、紅花を栽培していたとか。だが一番趣が感じられるのは、やはり花嫁が舟の上から川面に顔を映し、紅を注し直したとする説だ。白無垢に角隠しの花嫁が、真っ白な小指の先で紅を注す。ついついそんな昔日(せきじつ)の風景と、ひょっこり出逢えそうな気がするから不思議だ。

そんな淡く切ない紅の思い出ならば良いのだが、ぼくの場合はいささか異なる。昭和半ばの幼いぼくは、空き地で棒切れを見つければ、すぐに隠密剣士や仮面の忍者赤影になりきって、友とチャンバラごっこに明け暮れた。中でもすっかり虜になったのは、昭和38年10月から始まったテレビ番組『三匹の侍』。それまでのチャンバラものとは異なり、殺陣(たて)に合わせ効果音が「チャリン」「バサッ」などと被さり、これまでに無い臨場感を醸し出していたからだ。そうなるともう、そこらの棒っ切れでは収まらない。母にせがんでやっとのこと、鉄板を二つ折りにして刃を潰した、チャンバラごっこ専用の模造刀を買い与えてもらった。だが母から、「危ないで外での使用は厳禁。万一、禁を犯せば刀召し上げ」と、時代がかった台詞で厳しいお達しが。ならば狭い我が家で遊ぶほかあるまい。

ある日のこと。友とチャンバラごっこを始めていると、母が買い物に出掛けた。最初は三匹の侍気取りで、長門勇の「おえりゃあせんのう」を真似ながら、槍の変わりに刀を振り回し、口々に「チャリン」「バサッ」の応酬。だがそれもしばらくすると飽きてしまう。そんな時、ぼくの頭の中で悪魔が囁いた。母の三面鏡の引き出しから、一本きりの大切な口紅を取り出し、それを刃先に塗ってやたらめったら斬りまくったのだ。友もぼくも、腕といいシャツといい、口紅の真っ赤な刀傷だらけ。ガラガラガラ。玄関から母の気配が。だが時既に遅し。後は推して知るべし。母の拳骨の嵐と罵声が飛び交った。

「この渡しに乗って嫁いでったお嫁さんは、まあ生きてござらんやろ」。鏡島弘法の参道で、昭和の始めから店を構える岐阜市古市場の甘酒屋、二代目女将の鷲崎(すさき)すみさん(78)は、長良の畔(ほとり)に目をやった。「戦前ここは、芸者さんを連れてお大尽遊びする人で、夜中までよう賑わったもんやよ」。すみさんは昭和24年、19歳で婿養子を迎え二男を授かった。「舟で一日市場へ渡って、川魚捕まえたり。子どもらは学校から戻ると、毎日カワブソ(カワウソ)しよったもんやって。顔なんて真っ黒で、どっちが表か裏かわかれへん」。すみさんが懐かしそうに目を細めた。
何故だか無性に、すみさんが麹から造るという甘酒を、冬になったら飲んでみたいと思った。甘くてせつない母の味がするようで。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年8月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

Googleマップ: 18 岐阜市鏡島 小紅(おべに)の渡し


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