Par-delà le Pont – 12 - サン・ミシェル橋(Pont Saint-Michel)天使のエネルギーが注ぎこむ
今も昔も活気あふれる橋。

(2011.09.17)

九月も半ばを過ぎましたが、まだ暑さが続いていますね。
みなさまはお元気ですか?

前回パリの気候について、「かなりの冷夏でコートを売っているデパートもあります」と書きましたが、その後は一転して猛暑がやってきたようです!

7月では、中旬までのフランス全体の平均気温が16度だったそうなのですが、8月は33度。なんと1カ月で17度も上がって、パリのみなさんの身体もびっくりしたのではないでしょうか。

パリほどではないですが、日本の今年の夏もほとんどの地域で、気温の上下が激しかったですね。温度が激しく変わると、身体と心は思った以上に緊張してしまうもので、みなさまも健康にはお気を付けくださいませ。

優しい温度がふんわり続く、穏やかな秋がやって来るといいですね。

さて、セーヌ川に架かる、パリ市内30本の橋を追っていく連載。「マレ/シテ島地区」シリーズ・第12回目の今回は、サン・ミシェル橋を渡ります。どうぞよろしく、お付き合いいただけたら嬉しいです。

華やかな文化と、エネルギッシュな商人の同居。

前回ご一緒したプティ・ポンをシテ島に渡って、右にパリ警視庁を見ながらセーヌ川沿いを北西へ歩くと、数分で見えてくるのがサン・ミシェル橋です。シテ島と左岸をつなぐ橋は、今回のサン・ミシェル橋で4本目ですが、前回までにご紹介した3本よりも交通量が多く(バスは4路線が運航)、賑やかで活気に満ちた橋になっています。

最初にこの場所に橋が完成したのは、1387年。「Neuf Pont(新しい橋)」あるいは「Petit Pont Neuf(小さな新しい橋)」と呼ばれたこの橋の上には、洋服屋、本屋、床屋などたくさんの店と、多くの商人の住む家が立ち並び、あふれるようなエネルギーで橋を包んでいました。1345年にはシテ島にノートルダム寺院が完成したばかりで、時代も華やかな頃だったのでしょうね。ちなみに日本では、足利義満が金閣寺を改築した時期とほぼ同じになります。

その後、橋は落ちてしまったり取り壊されたりして何度か架け替えられ、1857年に6番目の橋として建てられたのが現在のサン・ミシェル橋です。ナポレオン3世の統治下で建てられたので、橋脚には月桂樹に囲まれたN(ナポレオンのN)の文字がデザインされていますが、この同じ意匠は、サン・ミシェル橋からシテ島を横切ったところにある、島と右岸を繋ぐシャンジュ橋にも施されています。


橋から左岸、サン・ミッシェル大通りに。

サン・ミッシェル橋をシテ島から南の左岸に渡れば、サン・ミッシェル大通りに続いていきます。人も車もいっぱいのこの通りを進んでいくと、左側にはローマ人の風呂の遺跡が見えてきます。そのあたりから上り坂になっていく中まだ進むと、やはり左側に1211年につくられたソルボンヌ大学(現在はパリ第4大学)があり、さらに進むと左の道の奥にはキュリー夫人やルソーなんかの偉人が埋葬されているパンテオンという大きなドームを持った建物があり、そしてそのさらに先の右側には、パリ市内で一番大きい公園であるリュクサンブール公園が広がっています。

大学の他にも学校が集まるこの界隈は若い学生が目立ちますが、一方で名所もあるので観光客も多く、また公園に向かう年配の方々もいてと、様々なジャンルの人たちが様々なところから集まって、多種多様な波動を持つ賑わいが重なり合っているように感じられます。

そんな空気が流れ込むサン・ミシェル橋もきっと、誰をも受け入れる懐の深い橋で、これからもさらに色々な人々を受け入れて、ますますその懐を深く広くしていくのでしょうね。

ところでサン・ミシェルとは、キリスト教では大天使とされる聖ミカエルのこと。勇敢で統率力のある天使だったそうです。橋とサン・ミッシェル大通りを結んでいるサン・ミシェル広場には、剣を持った聖ミカエルの天使像が今も高くそびえ、橋を渡ろうとする人々や渡って来た人々に、生命力やパワーを与え続けているようにも見えるのです。

ポンヌフへ。

シテ島から左岸に架かるサン・ミシェル橋、いかがでしたでしょうか。次回は、サン・ミシェル橋の西に架かる、ポンヌフを渡ります。

 

Pont Saint-Michel
サン・ミシェル橋

竣工:1857年
長さ:62m
幅:30m
建築家:ポール=マルタン・ガロシェ・ド・ラガリスリ
形式:アーチ橋
素材:石
最寄駅:St.Michel駅(メトロ4号線)、Saint-Michel – Notre-Dame駅(RER C線)
付近の観光スポット:コンシェルジュリー、パリ警視庁、ノートルダム寺院