from 東北 – 4 - 初詣、亀岡文殊堂、Step、登りきるということ。

(2009.01.30)

行ってきました、初詣。登ってきました、亀岡文殊堂。
御堂は「まほろばの里」で有名な山形県・高畠町にある。
亀岡文殊堂は学問の神様として知られ、京都・切戸、奈良・安倍と並ぶ三大文殊のひとつ。「え?今さら学問?」と思われるかもしれないが、「日々勉強」が座右の銘の私には、是非ともあやかりたいお寺である。
それでは初詣の舞台へ。

そこには昔話に出てきそうなやわらかな風景が広がる。どっしりと構える入口の仁王門からは木々の間を縫って、上へ上へと伸びる石畳の階段が見える。何段あるのか、果ては見えない。参道の両脇は雪で囲まれ、霊場のロケーションはさらに深まる。
「よし!行くぞ」意気揚々と参道へ向かう。
しかし、中ほどくらいまで来たところで背筋を緊張が走った。
もはや階段は階段の意味を持たず、参拝者によって踏みしめられた雪が氷のようになり、まるで氷山のようになっていたのだ。見事なまでの傾斜。ツルツルと安定しない足場。一歩足を踏み外せば、麓までシャーッと直下滑。最悪の事態が頭をよぎるが、あとには引き返せない。細路の階段は参拝者で埋め尽くされている。「行くしかない!」意を固め、前へ前へと進む。途中、何度か下の方で「うわぁ」「大丈夫かぁ」など、参拝には不似合いな声も聞こえてきた。「目標は高ければ高いほど、達成した時の喜びは大きいもの」と自らに言い聞かせ、恐怖を振り切る。
その時にふと思った。
階段を一段一段登るということは、ひとつひとつ欲望や煩悩とともに、恐怖も捨てていくことなのかもしれない。参道の階段は己の志を映した、鏡のようであると。

参道脇の十六羅漢像に見守られながら過酷な氷段を登りきると、朱色鮮やかな建物が姿をあらわした。厳しい試練だっただけに、何とも言えない気持ちで胸がいっぱいになる。賽銭箱へ握り締めていた5円を投下し、二礼二拍手一礼。
ここぞとばかりに盛りだくさんの願をかけさせていただいた。
「飲めば文殊の知恵を授かる」といわれている御堂裏の「利根水」も口にし、参拝最後の仕上げへ入る。

お参りの名脇役、おみくじである。
色々な想いを馳せながら、真っ白な紙包みをほどく。
「吉」───。
いつもであれば、何の変哲もない記しであったが、今回ばかりは違った。
「新しい才覚が手に入り、明るい道が開ける」の一文が目に入ったからである。
実は元旦より、いくつかの暦占いを確認したが同様のことが書かれていた。
これは偶然には思えない。新しい才覚とは、何なのか。
私には密かに意図している夢がある。実現するためには特殊な知識も必要とされる。
これらのお告げは志が結実することを教えてくれているのではと、勝手に解釈した私。
お告げの力なのか、思い込みが激しいだけなのか…。
兎にも角にも私は、思い描いている夢の前に立った。
それは険しい階段で何段続くのかも分からないが、意思を強く持ち登り切りたいと思う。

一年の計は元旦にあり。思い描いている理想図の半ば。まだまだ勉強途中の私である。

 

【亀岡文殊】

●山形県東置賜郡高畠町亀岡4028-1
Tel:0238-52-0444
料金:無料
営業:9:00~16:00 無休
交通/JR山形新幹線「米沢駅」から車で10分(山交バス赤湯行き33分、亀岡文殊前下車)