from ロンドン - 5 - 斎藤理子のロンドンオリンピック便り 近代オリンピックの原点は、
イギリスの小さな田舎町にあった。

(2012.05.24)

2012年7月27日から始まる、ロンドンオリンピック&パラリンピックに向け、着々と準備が進んでいるイギリス。1908年の第4回、1948年の第14回に続き3度目の開催となるロンドンですが、同じ都市での3回開催は世界初とあって、成功に向けての意気込みはかなりのもの。「持続可能性」をテーマに、様々なアプローチで後世に負担をかけないエコなオリンピックの実現に取り組んでいます。夏に向けて徐々に盛り上がりを見せるロンドンとイギリス各地の様子を、お伝えしていきます。

一度見たら忘れられない、
ロンドンオリンピックのマスコット。

オリンピックといえば、欠かせないのがマスコット。では、ロンドンオリンピック&パラリンピックのマスコットが何かご存知ですか?シルバーのボディにオレンジのラインが入った「ウェンロック」(写真)がオリンピックのマスコット、シルバーとブルーの「マンデビル」がパラリンピックのマスコットなんです。このふたり(?) が発表された時は、イギリス国内に結構な衝撃が走りました。というのも、このマスコットは写真の通り、宇宙人のような斬新で奇抜なデザイン。発表時には、「可愛くない」「恐い」「何だかよくわからない」など批判的な評価も多かったものです。

これまでのオリンピックのマスコットといえば、国を代表する動物やその国の誰もが知っている伝説の中の生き物などがモチーフになる事が多かったようですね。でも今回は、オリンピック・スタジアムを建設する時に使われた鉄骨の最後の雫から、建設作業員が孫のために作り出したというシュールな設定。ふたりが一つ目なのはそれがカメラのレンズだからで、額にはロンドン名物ブラックキャブをイメージしたライトがついているのだそうです。何とも大胆なデザインですが、インパクトの大きさは歴代随一かも。時に歴史に残る新しいものを生み出すイギリスらしいとも言えるかもしれません。一つ目に慣れるのにはちょっと時間がかかりそうですが。

なんとも奇抜なデザインの「ウェンロック」。
近代オリンピック発祥の地は
イギリスの田舎町だった。

オリンピックのマスコットであるウェンロックですが、この名前は、「マッチ・ウェンロック」という聞き慣れない街にちなんでいるそうです。この街は、近代オリンピックと深い縁があるというので、ロンドンから足を伸ばし訪ねてみました。

ロンドンのユーストン駅から特急で約2時間半(乗り換えあり)。日本から行くなら、『ブリットレイルパス』がお得で便利です。テルフォードかシュル-ズベリーで下車し、どちらの駅からもタクシーで20~30分。到着したマッチ・ウェンロックは、バーミンガム北西のシュロップシャー州にある典型的な英国のカントリータウン。一見イギリスの田舎ならどこにでもありそうな街ですが、その歴史は古く、7世紀に設立された聖ミルバーガー大修道院の壮大な廃墟や、中世の姿を残すギルドホールなど、見所が意外なほど多いところです。

時が止まったようなこの田舎町ですが、実は1896年の第1回近代オリンピックの40年以上も前に、“オリンピック”という名の競技大会が開催され、それがなんと今も続いているのだそうです。観光協会のティム・キングさんが解説してくれました。
 「この街の医師であり、予審判事でもあったウィリアム・ペニー・ブルックスという人が、当時不健康な生活をしていた労働者階級の人々の生活改善のために、スポーツ振興を考えたのです。古代オリンピックにヒントを得たブルックスは1850年にオリンピアン・クラス(現ウェンロック・オリンピック・ソサエティ)という団体を設立し、地域のスポーツ大会としてウェンロック・オリンピックを開催しました。ブルックスの熱心な活動は全国に広がり、1865年には全国オリンピック競技会の創始者にもなったんです。ロンドンのクリスタル・パレスで行われた第1回目の競技会は大成功で、これをきっかけに全国でさまざまな競技会が開かれるようになったんです。これは画期的な出来事で、近代国際オリンピックの青写真となりました」。
 
つまり、ブルックスこそが近代では最初にオリンピックという名前がついたスポーツ大会を開催した人だったんです。ブルックスは、学校教育に体育を取り入れるためにも尽力したそうです。当時はまだ体育の授業がなかったんですね。より国際的な舞台で自分の構想が実現する事を願っていた彼は、ギリシャ・オリンピックの復興と国際競技大会の開催も提唱。これが、後にクーベルタン男爵との出会いをもたらしました。

ティム・キングさんと、郷土史家のジェマ・ピアズさん。 オリンピアン・トレイル・マップの前で。


左・ブルックスの墓があるホーリー・トリニティ・チャーチ
右・7世紀に建てられた聖ミルバーガー大修道院の廃墟。


左・今も市場として使用されている、コーン・エクスチェンジの建物。
右・ウィリアム・ペニー・ブルックスの碑。

あのクーベルタン男爵に
多大な影響を与えたイギリス人医師。

「近代オリンピック開催の構想を練っていたクーベルタン男爵は、ブルックスの活動に非常に感銘を受けました。1890年にマッチ・ウェンロックを訪れた男爵は、ブルックスと意気投合。ブルックスの先駆的で明確なアイデアが、クーベルタン男爵に多大な影響を与えたのです」と、ティムさん。

街には、クーベルタン男爵のために晩餐会が開かれたレーベン・ホテルが今も当時の姿のまま残り、ホテルとしての営業を続けています。晩餐会会場と同じレストランで食事をすれば、国際オリンピック復興の夢に熱弁をふるうブルックスとそれに聞き入るクーベルタン男爵の姿が見えそうです。ブルックはアテネで第1回近代オリンピックが開催される4ヶ月前にこの世を去り、実際に見る事はかなわなかったものの、存命中に開催決定を知る事ができてさぞや嬉しかったことと思います。

“オリンピアン・トレイル”と名付けられた小道を歩けば、ウェンロック・オリンピックの歴史やブルックスの歩みをたどることもできます。ウェンロック・オリンピック・ソサエティは、ブルックの死後も遺志をしっかりと受け継ぎ、今も毎年7月に競技大会を行っています。その競技会のメイン会場リンデン・フィールドのはずれには、クーベルタン男爵が植樹した樫の木が枝を広げています。近代オリンピックの原点は、イギリスの小さな田舎町にあったんですね。

競技場のまわりには散策に最適な小道が。

左・オリンピアン・トレイルのサイン
右・オリンピアン・トレイルには、それを示すメタルが埋め込んである。
レーベン・ホテル

左・レーベン・ホテルのダイニング。ここで晩餐会が開かれた。
右・どの家もきれいな花で飾られている。
【関連リンク】

「ロンドンオリンピック&パラリンピック公式サイト」
英国政府観光庁 ブログ
Britrail Pass (ブリットレイル・パス)
Much Wenlock (マッチ・ウェンロック観光協会)
Much Wenlockについて(PDF)
Shropshire (シュロップシャー州観光協会)
The Raven Hotel (レーベン・ホテル)

【協力】

ヴァージン アトランティック航空
英国政府観光庁