from 北海道(道北)鰊(にしん)を記す。
~商人の記録から鰊場の風を感じる~

(2013.01.31)

留萌管内は全てのマチが海に面し、その海の恵みを受けて栄えてきた。江戸末期から行われた鰊漁は、明治中期頃に千石場所と称されるほど沸き立ち、昭和30年頃の鰊漁の終焉までこの地域の産業の柱となっていた。

商人の記録から

留萌市本町の新美(にいみ)セトモノ店は、大正5年から陶磁器を取り扱う。本町地区は鰊漁が隆盛を極めていた頃から昭和後期まで、マチの中心として金融機関や商店が連なり賑わいを見せていたところだ。新美セトモノ店、初代店主・新美次郎平氏は、当時の一等地とも言える本町で出身地の愛知県から瀬戸物を仕入れ商いを始めた。

現在は三代目の店主、新美則夫さんが暖簾を守り、店先には鰊漁を記録した写真を飾ったり、店内の一角に鰊漁の道具や写真、漁夫の雇入れ証などを展示しており、さながら、私設博物館のようである。中には、窯元が製造をとりやめたため、最後の一枚になったという三平皿もある。松や梅の絵付けがされたその皿を眺めれば、漁の合間に三平汁(ニシンや野菜の塩味の汁物で、北海道の伝統的料理)を食べていたであろう漁夫らの姿が思い浮かぶ。

則夫さんが古い小さな手帳を見せてくれた。掌に納まりそうなほどの小さなその手帳は初代の日誌。一般の人々への小商いのほか、鰊漁で賑わいをみせていた漁場との商いが記され、その一文字一文字から当時の様子がいきいきと伝わってくる。

大正8年3月のとある日の記録には、『漁場ノ人多数買物ニ来ル』とある。

当時、中平(ちゅうひら)と呼ばれたごはん茶碗や、三平汁の器としても重宝された生盛(いけもり)などの番屋で使う食器類は、100枚単位で注文されていたという。別の日には、『四月十四日、鰊大々漁二万石ト註セラレ近代未聞ニシテ人気白熱点ニ達ス早旦濱見ニ行ク』との記録も残されている。

「この地で百年に亘り商売を続けてきた記録は自分にとっても、マチにとっても財産であると思います。鰊場の歴史と深く関係しています」と則夫さんは静かに語った。

大正時代に建造された店舗は今も現役。留萌の歴史は旧市街で守られ、ひっそりと語り継がれている。

タラやサケ、ニシンなどの魚と根菜などを塩味で煮た三平汁は、開拓期の明治時代に北海道全域に広まったとされる
鰊漁が賑わいをみせていた頃からの三平皿。店内に並べられた伝統的な絵柄は貴重な財産だ(新美セトモノ店 非売品)


今も大切に昔の資料などを保存する三代目店主、新美則夫さん
店内に飾られた貴重な資料、硝子の浮き玉などが海のマチ留萌を印象づける(新美セトモノ店)



新美セトモノ店
留萌市本町2丁目
Tel:0164−42−0910

旧留萌佐賀家魚場

留萌市内から隣マチの増毛町方面、南へおよそ5km、礼受(れうけ)漁港を過ぎたあたりに旧留萌佐賀家魚場がある。国指定史跡に指定された貴重な産業遺産であり、北海道内に現存する最古の番屋である。

佐賀家は青森県下北郡風間浦下風呂(しもふろ)に現在も続く名家で、江戸時代末期弘化元年(1844年)に佐賀平之丞が開いた漁場である。昭和32年までの113年間鰊漁を営んだ。番屋(親方と漁夫が寝食をともにする母屋)やトタ倉(ニシン製品の保管倉庫)、船倉などの倉庫群に加え、生のニシンを一時的に保管する廊下と呼ばれた倉庫、漁労具や加工用の道具などが当時のまま保存されている。また、裏山には漁業信仰の対象であった「稲荷社」も残っており、今も佐賀家の漁場を見守るように建っている。

「これほどまでの鰊場景観を残す場所はありません」と留萌市教育委員会学芸員、髙橋勝也さん。

佐賀家は経済的に安定した家柄で金銭面の不安がないため『筋の良い漁場』として知られていた。佐賀家では下北半島の農家を中心に集団で雇入れていた。労働者にとっては貴重な収入源、安心して働くことができる場所であったという。「流行歌やドラマなどの影響で、漁夫らは『やん衆』と呼ばれることがありますが、この言葉には威勢の良さが感じられるものの、揶揄する意味合いもあります。鰊場では、『雇い』や『若い衆』『若い者』などが通称でした」と髙橋さん。

昼間はニシンの加工や、群来(くき)と呼ばれるニシンの集団での産卵行動に備えて漁の準備をし、夜は沖合の船に泊まり込み、数十人もの漁夫らが協力して操業するため、滅多に大酒を飲む機会はなかった。鰊場での協同生活は慎ましく、宴といえるのは、漁期の初めに漁夫らが揃ったときの顔合わせの『網子合わせ(あごあわせ)』、漁期の節目での慰労会、漁期の締めくくりとしての『網子別れ』程度であったという。

東北の人々の実直で生真面目な仕事が、留萌の産業を支えてきた。漁夫らが流した汗は、まさに値千金である。

鰊漁に使われた船には彫刻と彩色が施されていた(旧留萌佐賀家魚場にて)
倉庫には多くの漁労具がそのまま残されている。その一つ一つに屋号が刻まれている。(旧留萌佐賀家魚場にて)


左:佐賀家魚場の鰊番屋母屋の前に設置された案内看板には貴重な鰊場景観の全容が紹介されている(旧留萌佐賀家魚場にて)
右:日本海沿岸の各地には現在、『にしん街道の標柱』を設置し、にしん文化を後世に引き継ごうとする新たな取り組みが行われている。(旧留萌佐賀家魚場にて)

左:前浜に今も残る、船着き場の跡。この浜から大漁の鰊が水揚げされた。(旧留萌佐賀家魚場にて)
右:旧留萌佐賀家魚場について語る留萌市教育委員会学芸員髙橋勝也さん

旧留萌佐賀家魚場 留萌市礼受町
平成7年 国指定重要民族有形文化財指定
平成9年 国指定史跡指定
平成13年 北海道遺産登録

お問い合わせ:留萌市教育委員会生涯学習課Tel.0164−42−0435