from 岐阜 – 7 - 長良川母情 第7話 ~大所帯の酒蔵を支えぬいたハイカラ女将。大和町の孝子さん~

(2009.07.07)

長良川鉄道の徳永駅からほど無い、郡上市大和町の釜淵橋。国道156号線沿いを南に向かうと、「母情」蔵元の看板を掲げる造り酒屋が目に入った。敷地の傍らには、「長刀(なぎなた)清水」の霊泉が引き込まれ、その由来と効能が墨書されている。ぼくの拙い書き物が「長良川母情」なら、この地に生まれた銘酒は「母情」。何やら因縁めいている。もはやこの蔵元に、長良の流れとともに生き抜いた母を訪ねずにはおられない。意を決し店の引き戸を開けその旨を告げた。「つい今しがた出掛けてしまったようですが、じきに戻ると思いますからお待ちいただけますか?」。売店のテーブル席に腰掛け、ぐるりを見渡す。様々な酒瓶が色とりどりに並んでいる。

あれは父の給料日だったかも知れない。母が天ぷらを山のように揚げていた。衣のカリッと感が失せた天ぷらを肴に、次々にビールをあおる。まだ二十歳そこそこのぼくは、酒量もわきまえず酔いつぶれながらも、まだ自室にビール瓶を持ち込みさらに飲み続けやがて倒れるように眠り込んでしまった。何処までが夢で、何処までが現実だったかも定かではない。突然夜中に猛烈な尿意が襲った。しかし足腰も立たぬ酩酊状態。トイレまでとてもたどり着けそうにない。何とかせねばと真っ暗闇をまさぐると一本の竹筒が。緊急事態ゆえ、天の助けとばかりに急ぎ用を足し、何とか事なきを得たはずだった。

しかし次の夜、バイトから戻ると母が一言。「部屋に飲み残してあったビール、もったいないで冷やしといたんだわ」。一瞬、昨夜の夢か現(うつつ)の竹筒が脳裏をかすめた。「そんでさっき一口飲んで見たんだけど、変な味がしてもの凄く臭いでかんがね。気が抜けてまったでかなぁ?」。アッチャー! ついに母がこの世を去るまで、ぼくは真相から目を反らし続けた。酒も適量なれば百薬の長。されど度を越せば気違い水。売店に並ぶ酒瓶を眺めていると、かつて封印したはずの記憶がよみがえり、ただただ心の中で母に侘びるしかなかった。 

「あなた? 私を待ってみえたのは?」。平野醸造の三代目女将、平野孝子さん(77)が向かいの席に腰を下ろした。この人こそが清酒母情の母か? 孝子さんは昭和6年に、名古屋で弁護士の長女として誕生。昭和32年に平野家へ嫁ぎ、4人の子を生した。「嫁に来た時は、義父母に夫と子供たち、それに夫の兄弟7人、そして番頭の分まで、食事拵えを全部私がしてたからね。おまけに義父は、振る舞い好きの人寄せ好きだったから、そりゃあもう毎日がテンヤワンヤ」。孝子さんは品良く笑った。「でもね、母情のモデルは私じゃないわよ。初代の妻、『じゆう』さんのこと。フリーダムの自由とは違うわよ。義理人情に厚く、博愛の精神に満ちたとても慈悲深い方だったの」。観音様のような母三代が護り抜いた清酒母情に酔いしれ、ぼくももう一度母に逢って侘びたい。出来ることなら。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年7月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

銘酒「母情」のハイカラな孝子母さんは、電話の向こうで少女のように笑いこけた。とりわけ何が可笑しいというわけでもないが。何やら電話の向こうに人の気配。恐らくお客様がいらっしゃるのだろう。そう言えば取材時も、テキパキと店の雑用をこなしながら、嫌な顔一つせずシャキシャキと質問に応えてくれたものだ。だからきっと今も電話の向こうで、馴染み客の相手でもしていたのだろう。

 

Googleマップ: 7 大和町 平野醸造

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