from パリ(田中) – 26 - ピカシエットの家、もう一つのシャルトル。
(2009.10.26)![]() |
日時計ができそうなくらい、針のように尖った木と、その影。 |
ランチもすんで、いざ出発。レストランがあるシャルトルの古い街並を抜けて、国道沿いに15分ほど、途中で迷いながらも道行く人に尋ねたりして、なんとかシャルトルの墓地に着いた。緩やかな斜面の下に墓地の入り口があって、ここから墓の中の道を突っ切って行くと、ピカシエットの家に最短距離で行くことが出来るはず。それにしても広大な墓地だ。四角錐にカットされた並木が公園のようだ。上まで登って出口がなかったら、塀を乗り越えるしかないか?とちょっと心配になりながらも、古い墓石を鑑賞しつつ坂道を上る。
小春日和と言うには夏のような強烈な陽射しに、歩いているだけで少し汗ばむ。振り返ると向かいの丘の上にシャルトルが見える。海のように波打つ麦畑の中に聳えるシャルトル(写真でしか見たことないが)も美しいが、墓地に囲まれたシャルトルもなかなかのものだ。これから行くピカシエットの家は、この墓地で墓守をしていたレイモン・イシドールさんの自宅なのだ。それも30年近く作り続け、未だに完成してない手作りの家。
丘の上の方には真新しい墓があり、横には分譲墓地の区画も整地されていた。その奥に裏門があり(ホッとした)、出たらすぐにピカシエットの家の案内表示板を見つけた。バラとジャスミンの垣根をくぐり、受付で5ユーロの入館料を払う。間口は狭いが、奥行きのある敷地に平屋建てがピカピカ輝いている。ピカピカするからピカシエット? 一見した印象は、アントニオ・ガウディのモザイク、そして山下清の貼り絵。ナイーブな感じは山下清に近いかも。
ここで購入したカタログによると、イシドールさんは1900年生まれ、30歳になって家のモザイク装飾を始め、ここで墓守をしながら64歳で死ぬまで創作を続けたそうだ。ガラスのかけらや割れた皿の断片など、キラキラきれいなものが好きで、それらを集めるうちに家中に散りばめようという気持ちが起きたらしい。家の壁や塀などエクステリアだけでなく、室内の床や椅子、かまど、テーブル、家具などのインテリアにいたるまで、目に入る空間すべてがモザイクで埋め尽くされている。創作意欲は留まることなく、奥の隣家も買い取って創造の場を拡張していったそうだ。細長い敷地には中庭と3棟ほどの平屋(長屋?)が続き、奥の庭にはエッフェル塔などのオブジェも飾ってあって微笑ましい。
シャルトルブルーと呼ばれる青いステンドグラスは有名だが、ここピカシェットの家も青が基調となっている。モザイクの絵柄は教会やマリヤなど、宗教的なものが多いが、草花や鳥、星などをモチーフにした模様が素朴で愛らしく、すごくいい。これだけモザイクだらけだと目がチカチカ、頭がくらくらしそうだけど、配色の妙と優しいパターンのせいか、楽しい空間になっている。でも、室内までもモザイクというのは、ちょっとどうかな?
私が見た風景を写真で見せたい気持ちでいっぱいなのだが、残念なことに敷地内は撮影禁止となっていた。いくら言葉を尽くして説明しても、百聞は一見に如かず、と言うし、2回連続ブログで期待を持たせながら肝心の画像がないままでは羊頭狗肉の誹りを免れない。せめて、現地で購入したカタログを見せることでイメージを膨らませていただきたい。まあ、写真もレンズが見たバーチャルな現実の一つだし、自分の目で見るのが一番なわけだが、こんなこと言うと身も蓋もないか。
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入り口を入ってすぐのところ、最初に手がけた家。右奥の方に中庭が続き、平屋の家がさらに2棟ほどある。 |
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ピカシエットのブルー。 |
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カタログの表紙は、墓地から見えるシャルトル。今も変わらない。 |
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草花や昆虫や鳥などの模様を探して歩くだけでも、楽しい。 |
ところでピカシエットの名の由来だが、ピカソと、アシエット、フランス語で皿の意味)を合成したという説があるそうだ。フランスにはアンリ・ルソーのような、素朴派(ナイーブ)と呼ばれるアマチュアアーチストの流れがあるが、イシドールもそのグループだろう。純粋に楽しみながら作られたものは、見る人を優しい気持ちで包んでくれる。ピカシェットの家を充分に楽しんだあと、イナバさんの記憶を頼りにイシドールの墓を探したが、残念ながら見つけることは出来なかった。
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イナバさんの記憶でたぶんこの辺りという場所に、ピカシエットの家で買ったカタログを置いてみると、表紙の絵(モザイク)と風景がぴったり一致した。 |
来た道をシャルトル大聖堂まで戻る。折角だからステンドグラスを見て行こう。西の薔薇窓は夕陽を正面に受けて眩いばかり。北窓、南窓と一回りして中央の床にある巨大な蚊取り線香みたいな迷宮へ向かったら、迷宮の渦は並んだ椅子の下に隠れていた。遊んでいた地元の子らしい少年が、私たちにガイドをしてくれた。ピカシエットの家も、彼が一生かけて作り続けた迷宮、だったのかな。