from パリ(石黒) – 14 - パリ、アート散歩。《9》ボルタンスキー、その後。

(2010.03.26)

グランパレのモニュメンタと連動してボルタンスキー展が開催されているMAC/VAL。美術館前の円形交差点の中央部分に設置された、ドゥ・ビュッフェの彫刻が目印。

 

前回の記事でお伝えした、クリスチャン・ボルタンスキーによるモニュメンタ展。こちらは2月半ばで終了しましたが、このグランパレでの展覧会期間と重なるようにして企画されているのが、MAC/VAL http://www.macval.fr/ での『Après』展と、Galerie de Jourでの『bonjour monsieur boltanski…』展です。

MAC/VAL美術館は、パリの南、郊外のヴァル・ドゥ・マルヌにある現代美術館Musée d’art contemporain du Val-de-Marneを略した通称。郊外と言っても、地下鉄7番線、8番線のパリ南方の終着駅から、頻繁に運行されているバスに乗って、7、8分程度の距離。2005年に開館した、パリ郊外初の現代美術館として大いに注目を集め、以来、数多くの実験的な試みを行なっています。

 

定期的に入れ替わるMAC/VALの常設展示部分。1950年代から現代までの作品を所蔵。コンテンポラリーアートの、様々な素材、テクニックを豊富に見ることができます。

MAC/VALのボルタンスキー展は、グランパレのモニュメンタ展と直接に連動し、毎日曜日には、グランパレとMAC/VALの間に、無料バスが運行。グランパレでの展示が、日光の差し込む巨大な空間でのインスタレーションだったのと対照的に、MAC/VALでの「その後(Après)」と題されたインスタレーションは、真っ暗闇の中。

黒いシートが被さった背の高い壁で遮られた迷路の中をさまようと、ところどころで、風が吹き付けてきます。シートが風に揺れる音。扇風機の羽が回る音。機械音ではあるものの、グランパレの強烈な音量の心拍音に比べると、ここは静寂の世界です。そして、なぜか、微妙に熱い。

迷路の中をうろうろしながら角を曲がると、突如、蛍光灯の強烈な光が目に飛び込んできます。2本のハロゲンランプを腕に見立てて設置されたオーバーコート。暗闇の中、突然のこの強烈な光に、一瞬、視界を失います。コートの下からは、2枚の木板が、脚のように配置されていて、今にも歩きだしそうな雰囲気に、たじろぎます。コートの襟元からは、頭部らしきものは出ていないので、お化け屋敷で幽霊に出会っているような雰囲気。徐々に目が慣れてくるので、観察してみようと近づくと、「男性の声」が聞こえてきます。

この声は、短いフレーズで、観客に問いかけます。多くは不定代名詞を使った文章で、「あなたは、それを、した?」といったように、ここで使われる「それ」という言葉は、フレーズからだけでは断定不可能で、観客は「それ」を自分なり解釈するように仕向けられます。あたかも耳打ちされているかのような小さな声。この頭部のない蛍光灯マネキンは、迷路の中に数十体設置されていて、それぞれ違ったコートが着せられています。1体だけの場合もあり、2体一緒に置かれていたりもします。どこへ向かっているのかよくわからない迷路の中、実際に何を意味したいのかよく理解できないフレーズを次々話しかけられるこの状況に、どうしたらいいのかよくわからないまま、それでも不思議と「後を引く」感覚に陥ります。

会場入り口と反対側の壁へ辿り着くと、ピンクのネオンでAprèsと表示。そしてその横には、規則正しく並べられた写真の列が、壁を覆っています。ボルタンスキーによると、グランパレでのモニュメンタも、 MAC/VALの『Après』展も、どちらもダンテの『神曲』地獄篇にインスピレーションを受けた作品だと言います。グランパレでは、非常に悲劇的なやり方で「死」を取り上げており、その地獄の様相は、非常に居心地の悪さを観客に与えます。MAC/VALでは、観客は、グランパレでの地獄の後(Après)にいる想定なのだそうです。会場内が微妙に蒸し暑かったのは、「灼熱地獄」を味わうためだったのだそう。その中で、迷路をさまよい、自問自答をし、あるいは、ネオンのマネキンから質問を受けているこの状態は、成仏できていない魂の状態とでも言いましょうか。ここで感じたのは、成仏できないのは人間の魂だけではなく、芸術の魂も成仏できていない状態をボルタンスキーは提示したかったのではないかと思います。

またもや心理的に不安定な状態で展覧会会場を後にすると、グランパレと同様MAC/VALでも、心拍音寄付のブースが。ここでもやはり、ボルタンスキーは、観客に生を通して死、死を通して生を感じる手法を展開しています。
 

真っ暗な会場を後にすると、真っ白な壁の展示スペースに繋がっています。地獄の後の後は、静溢な空間。写真もボルタンスキーの作品。

 

もうひとつのボルタンスキー関連展は、デザイナーagnès b.のGalerie de Jour(ギャラリー・ドゥ・ジュール)にて。タイトルの「bonjour monsieur boltanski… ؟ 」(こんにちは、ボルタンスキーさん… ؟ )は、ギュスターブ・クールベの絵画「 Bonjour Monsieur Courbet !」(こんにちは、クールベさん!)を意識して付けられたもの。このクールベの絵画は、単に「Rencontre 」(出会い)とも呼ばれています。Galerie de Jour での展覧会は、11人のアーティストによる、ボルタンスキーへのオマージュ展。11人のアーティストの、ボルタンスキーとの「出会い」。それぞれの作品を、ボルタンスキーへ宛てられたポストカードに見立てています。例えば、自分のもう一人のエゴを人形に託したAlice Anderson(アリス・アンダーソン)のショートフィルム『The Doll’s day』(2008)。静溢な映像と恐怖が絶妙な配分で、私の好きな作品の一つです。

 

anigès b.のギャラリーは、ポンピドゥーセンターのすぐ裏通り、rue quincampoix通りにあり。通りに面した部分は、書店。この通りには、コンテンポラリーアートのギャラリーが多い。
書店部分を抜け、中庭へ出ると、もう一つ奥のスペースへの入り口が。こちらが展覧会会場。モザイクモンスターが迎えてくれます。

 

ところで、今回の展覧会のタイトルに使われている奇妙な記号「 ؟ 」、クエスチョンマークの誤表記なのではありません。「 ؟ 」は、ポワン・ディロニーと言い、19世紀にAlcanter de Brahm(アルカンテ・ドゥ・ブラム)、通称Marcel Bernhardt(マルセル・バーンアルト)によって、提唱された表記記号の一つ。エクスクラメーションマークや、クエスチョンマークのように使用して、読者に、作品や記事の皮肉な部分を知らせる記号です。「あの映画は、全然飽きなかった ؟ 」と書いてあれば、実際には「あの映画はつまらなかった」の意。「こんな記号知らなかった」でも、ご心配なく。日常で実際にこの記号が使われる事はなく、文芸・芸術批評の記事や、風刺や皮肉を得意とする出版物で特別に使用されるものです。この埋もれていた記号を復活させたのが、1997年、ボルタンスキー、agnès b.と、本展覧会のキュレーターであるハンス=ウールリッヒ・オブリストの3人の出会い。3人は、この奇妙な記号をタイトルにしたPoint d’ironie「 ؟ 」(ポワン・ディロニー) http://www.pointdironie.com/ という、複数のアーティスト、ミュージシャン、建築家、映画監督などが自由に表現できる場(雑誌)を作り出しました。年に6回、8ページの新聞のような体裁の紙媒体を、アーティストの自由裁量に委ねる企画。10万部から30万部が、全世界のagnès b.のブティックを始め、カフェ、美術館、学校等で、無料で配布されています。

؟ 」この記号が皮肉を表すのであれば、展覧会タイトルの「こんにちは、ボルタンスキーさん… ؟ 」というフレーズは、実はクールベの絵画のもじりなわけで、そこに、自虐的な意味を付け足したかったのでしょうか。単純なフレーズなだけに、この「 ؟ 」マークが付くと、色々な想像が膨らみます。

 

後ろの壁面に張られた写真作品が、ボルタンスキー。もともとの写真がブレています。手前がトビアス・ブシュ(Tobias Buche)の作品。パネルボードに写真が張られたもの。

この冬はボルタンスキーが、文字通りパリを席巻しました。「誰もが知っている要素で作られた作品は、各々がこれまでの人生で感じた感情を想起する」というのが、ボルタンスキーの芸術観。万人に受ける事を狙うのではなく、年齢、性別、信条、社会的身分などの分け隔てなしに、観客ひとりひとりに、何かを想起させる力を持つ作品を作り出す事。グランパレ、MAC/VAL、Galerie du Jourでの3つのボルタンスキー展を通して、「難しい事なしに、でもバカバカしくなく、本質にブレがない作品」を生み出す、フランスコンテンポラリーアート界の重鎮ボルタンスキーの力を改めて実感しました。

 

『Après』展
会場:MAC/VAL美術館  期間:2010年1月15日~3月28日

『bonjour monsieur boltanski… ؟ 』展 
場所:Galerie du Jour 期間:2010年2月13日~4月3日