from 北海道(道央) – 59 - 小樽の隣町、
余市町の魅力を探る。

(2012.02.28)


 

「空飛ぶ人々」を輩出する余市町。

小樽市の西隣にある余市(よいち)町。バスや電車で、小樽からは約30分の距離に余市町の中心街が広がっている。現在でも、海産物に加えて、多様な果樹栽培が盛んであり、一年間を通して立ち寄りたい観光施設も豊富な、魅力に溢れた町なのだ。今年で19回目を迎える「ワインを楽しむ会」が余市町で開かれた日に、隣町日帰り観光がてら、ちょっとした資源探しの「旅」に出かけてみた。

高速バスを降り立ったJR余市駅の2階には、「スキー王国余市展示ホール」がある。1972(昭和47)年に開かれた札幌冬季オリンピックの70m級ジャンプ。当時幼かった自分にとっては、未だに深い印象を残している金銀銅独占の快挙を成し遂げた「日の丸飛行隊」。優勝した笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんをはじめとする多くのジャンプ選手を余市町が輩出していることを、この展示ホールで知ることができる。
 
加えて、スペースシャトルで宇宙へと飛び立った毛利衛(もうり・まもる)さんも余市の出身で、余市生まれの人たちには、なぜか「飛ぶ」という意識が植え付けられているかのような錯覚さえ感じてしまう。道の駅には「スペースアップルよいち」と名付けられ、こちらも毛利さんにまつわる品々が展示されている(冬季間は閉館)。

* JR余市駅。JR小樽駅から電車で約27分、高速バスを利用しても約29分と、概ね30分と比較的近い位置にある。

 

豊富な海産物は、縄文人も注目していた?

余市駅でスキー展示を見学した後、一歩外に踏み出してみると、とても親切な方から声をかけられた。「余市に来たのは初めてかい?」「どこに行くのか決まっているんだったら、案内するよ」と。実は、約6年近く小樽に住んでいながら、いつ通りかかっても長蛇の列となっている店がある。その名は「柿崎商店」。一階が市場になっていて、二階は「海鮮工房」として、とてもリーズナブルな料理を提供していることから、夏場のツーリングの季節に限らず、昼食時には入ることさえ一苦労という人気店なのだ。親切な方に、店の近くの交差点まで案内いただいたが、その後の旅の途中に入った喫茶店でも、たまたま切らしていたワインを酒屋に注文してくださったり、「余市の皆さんは、本当に親切な方が多い」と感じた旅でもあった。
 
最初に「海産物」と書いたが、北海道の日本海側の多くの町同様、余市町も「鰊漁」によって栄えたことから、「旧下ヨイチ運上屋」が河口漁港の背後地に残されている。また、縄文ブームの昨今、ここ余市でも「フゴッペ洞窟」が存在するなど、恐らくは北海道の中では、古来から住み易い土地の一つであったことは間違いないのだろう。

ニッカウヰスキー余市蒸留所。

秋になれば新鮮で多様な果物が収穫できる余市だが、1934(昭和9)年にニッカウヰスキーの創業者である広島出身の竹鶴政孝(たけつる・まさたか)によって蒸留所が建設された。ウイスキーづくりに必要な「冷涼で湿潤な気候、水に恵まれ、空気が澄んでいる」(ニッカウヰスキー余市蒸留所パンフレットから引用)この余市の土地で、本格的なウイスキー造りがスタートし、現在に至っている。その後、会社経営は紆余曲折を経ているが、一朝一夕にできるはずもない大規模な資金を投入した一大事業は、間もなく建設後100年を迎える頃に、「町の資源」として開花するべく「百年の計」を持った志の高い竹鶴氏によって成し遂げられたのである。
 
一方で、北海道産ワインの振興も北海道内各地で進んでいるが、ここ余市町で「余市ワイン」が誕生したのは1977(昭和52)年のこと。その後、1984(昭和59)年にサッポロワインがとある農家とワイン用葡萄の栽培契約を交わし、近年では新規就農者が現れるなど、ワイン用葡萄の栽培農家は35軒、栽培総面積も100haを超え、さらに昨年11月には「北のフルーツ王国よいちワイン特区」の認定を受け、「ワインの街 余市」としての地位を固めつつある。

ワインづくりも「百年の計」。

本稿の取材に訪れた2月25日の夜、「第19回ワインを楽しむ会」がワインを楽しむ会実行委員会の手により開催された。地元・余市町の栽培農家をはじめ多くの皆さんがワインを楽しみ、町外の方々との交流を深めたが、将来は東京から新幹線経由で余市に足を運ぶことも可能となることから、東京から山梨や長野へと向かう感覚で、本州方面から「ワインツーリズム」を楽しむ日が来ることも遠い先のことではないことを実感できたのであった。また、現在、小樽から余市へと高速道路の建設もスタートしており、十勝・富良野から空知を抜けて、余市、函館方面へと、「北海道ワイン街道」がつながる日もそう遠くはないのだろう。ニッカウヰスキー同様、ワイン造りも「百年の計」であることを心がけ、これから先、子孫に誇れる地域づくりを進めていかれることを、北海道民の一人として切に願わずにはいられない。