from 岐阜 – 19 - 長良川母情 第19話 ~墨俣一夜城下の百貨店~

(2009.09.29)


子どもの頃のぼくは、月末の日曜日が待遠しくてならなかった。朝からよそ行きの服を着せられ、この日ばかりは母も三面鏡の前に座り込み、念入りに紅を注す。そしてガタゴトとボンネットバスに揺られ、お目当ての駅前百貨店へと母に手を引かれ。開店間もない通路の両側には、店員が見事に整列し、恭(うやうや)しく傅(かしず)くように母とぼくを出迎える。何だか急に王子様にでもなったようで、妙に居心地が悪く、お尻の辺りがこそばゆくてしかたなかったものだ。それもそのはず。外見こそよそ行きのまともな服に見えるが、人目に付かぬ下着や靴下なんぞは、そこら中綻(ほころ)びだらけ。母の得意の裁縫で器用に繕われただけ。だから本当は見透かされているような気がしてならなかった。

だがそれにも増して、慇懃無礼(いんぎんぶれい)なほどの態度で出迎えられることに、ある種の快感めいたものを感じてもいた。もしかすると月に一度、母もその快感を得たいがためにぼくを引き連れ、給料日後の日曜日に出掛けたのだろうか?いや、間違いない。その証拠に、散々売り場を歩き回った末、母が買い求めたものと言えば、80円均一売り場のどこにでもあるような台所用品だったからだ。何も駅前までバスに乗って、買い求めるほどのものでもないであろうに。帰りのバスで母は決まってこうつぶやいた。「あ~あ、ええ目の保養させてまったわ」と。ぼくのお目当てと言えば、階上大食堂のお子様ランチ。母の目の保養とやらにさんざん付き合い、愚図らず何も欲しがらず、粛々とオリコウサンを演じ続ければ、帰り際に母がご褒美代わりに振舞ってくれた。ご飯に国旗はためく、馨(かぐわ)しのお子様ランチ。

長良川右岸を岐阜市から南へ。墨俣一夜城を右手に眺めながら、支流の犀川を越え右手の中山道の脇街道へと歩を進めれば、脇本陣跡の酒屋や昔の家並が忽然(こつぜん)と現れた。「家の店で全部揃えて嫁いでった人も、ようけおったんやに。その昔は」。岐島屋百貨店(ぎしまやひゃっかてん)と書かれた看板を見上げていると、3代目女将の大塚弥生さん(72)が店先で気さくに声を掛けて来た。「創業100年やで、昔は銀行の代わりみたいなこともしとったみたいやわ。養蚕が盛んで、農機具から下駄や寝具にちり紙まで、今と違って何でもあった。ああ、この上見てみい。何やと思う?」。帳場の上の天井部分が、六尺四方ほど切り取られている。「2階の倉庫から、ちり紙なんか直ぐに下ろせるよう細工したるんやわ」。

すると傍らから「この辺は水郷地帯やで、いつ水が来てもいいように2階を倉庫にしたるんやて」と、夫の光男さん(75)。弥生さんは昭和33年に羽島市から嫁ぎ、二女を授かった。「この家、奥行きが35間(約63m)もあるもんで、御仏飯持って奥行くのが慣れるまで怖かったもんや」。弥生さんは達筆な筆遣いで、熨斗や年賀ハガキの代筆も手掛ける。「熨斗書いとる間、店の中見て回って買ってもらえるやろ」。弥生さんは屈託なく笑った。

岐島屋は一夜城に非ず。百年の夜を経て今もなお商い続ける「百貨繚乱店(ひゃっかりょうらんてん)」。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年9月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

Googleマップ: 19 岐阜県大垣市 岐島屋百貨店


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