from 岐阜 – 3 - 長良川母情 第3話 〜 激動の昭和、気高く生き抜いた小さな母。高鷲町のひささん 〜

(2009.06.09)

しわがれた母の涙は、岩清水よりも清らかに澄みきっていた。
不意に目の前で中島ひささん(92)は涙ぐんだ。語り終えた遠い日の不幸な出来事から、干支も早や一巡りもしたというのに。老婆は今でも、あの日のままの母であり続ける。

長良川分水嶺から国道156号線に沿って南へ、六洞橋から脇道へと反れ、湯の平温泉を抜ける。まだ川幅も狭い長良川に、ひっそりと寄り添うような中洞地区の小さな集落が現れた。鷲見城跡からほどない『宮ケ瀬橋』。橋の中ほどに立ち長良の流れを見つめていると、上流で行き会った宿屋の主人の言葉がよみがった。「戦後の開拓団が入った時代、この辺りは『三白(さんぱく)』産業だけやったんやて。一つは牛乳の白、二つ目は鷲見大根の白、三つ目が雪の白。それで何とか食うてくしか他に何にも無かったんやで」。長良の流れは両岸に生きる人々の、嘆きや溜め息を呑み込み、片時も休むことなく今なお流れ続ける。

ひささんは大正5年に西洞で生まれ、入り婿を得て男子2人を生した。だが日華事変に突入した昭和12年。「幼児(おさなご)を残したまんま、主人に死なれてもうたんやわ。それからと言うもの、どんどん戦時色が深まって。何とかほそぼそと百姓して、再婚せんで子どもら育て上げようと必死やった」。しかし戦局は日増しに悪化。「あと三ヶ月で米が穫れるのに、それまでが待てんで稗(ひえ)なり買って子どもらに食べさせて。やっと戦争が終わったと思ったら、今度は大飢饉やわ」。そこへ再婚話が持ち上がった。「『あの人と一緒になったら、米をたぁんと持ってござるぞ』って、周りのもんらに勧められて。米欲しさで、相手の顔を見ることもなく一緒になったんやて」。終戦直後の混乱期、ひささんは命を紡ぐ『米』と引き換えに、再婚へと踏み切った。

当座の餓えへの心配は無くなったものの、高度経済成長に沸く都市部とは異なり、山間(やまあい)の村の暮らしはけっして楽なものではなかった。そんな中、先夫との間の男子2人が中学を出て社会へ。間も無く後夫との間に男子二人と一女が誕生した。倹しい暮らしと引き換えに得た、家族水入らずの平安なひと時。ひささんはこの掛替えの無い時間が、いつまでも続くことを心の底から願った。

戦後の復興振りを世界中に知らしめ、昭和39年に東京五輪は閉幕した。その年、中学3年生の長男が難病を発症。すると間も無く中学2年生の次男が、川遊びで頭部を強打する事故に。「夫と2人して稼いで、やっとの思いで大学病院で手術受けさせたんやて」。次男は2ヶ月後に退院。しかしそれも束の間、今度は長男と同じ難病に取り憑かれる破目に。ひささんは土木作業に従事しながら、各地の名医を訪ね歩いた。

「何度この子ら連れて死のうかと思ったことか。不憫でならんかってね。でも末の娘も気掛かりやし、とうとう死に切れんだ。だからそれからは『笑える日がいつかきっと来る』って、何度も呪文のように繰り返して、心の中に棲む悪魔の声を振り払ったもんやって」。ひささんの声が詰まった。深く刻み込まれた顔の皺を、澄んだ涙が横へと伝う。翌年ひささんは、2人の息子を相次いで亡くした。「どうせ治らん病気なら、好きな物を好きなだけ食べさせてやりたかった」。あれから43年の歳月が過ぎたと言うに、未だ母は母。どんなに齢を重ねても、心はあの日で止まったままだ。

「主人を亡くした20年ほど前から、近所で詩吟を始めたんやて。おかげで友達も出来たし。なんやら難しい漢詩を意味もわからんと、腹にたばって(しまって)ある声張り上げて吟ずるんやわ」。まるで2人の息子の菩提を弔うかのように、ひささんは小さな身体で一節を吟じた。「身体は生きとる子どもらに。心は死んだ2人の息子のもの」。
激動の昭和という時代に翻弄されながらも、気高く生き抜いた小さな母。高鷲の町を白く覆った雪も、やがて雪解け水となり長良を下って行くことだろう。なんびとにも桜咲く春は、違えることなく必ず平等に訪れる。春よ来い。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年3月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

「あんたらが取材に見えた時、初対面やのにえらい家の込み入った昔話をしたもんやわ。あの後、いらんことまで言ってしまったかとしばらく気に病んどった。でも新聞が出てからそこらを歩いとると、周りの者(もん)らが『中島のお婆ちゃん、苦労されたんやねぇ。でも漫画(イラスト)はよう似とったよ』って言われてのう。本当にありがとう」。ひさ母さんは、そう何度も電話口で独り繰り返した。
「今度は、どこの橋やの?」。以来、ひさ母さんは我が事のように、ぼくらの「長良川母情」を愛読下さっているとか。ありがたや、ありがたや。

 

Googleマップ: 長良川分水嶺から国道156号線に沿って南へ。郡上市高鷲町。

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